『いただきます。ごちそうさま。 怪談えほん13』あさのあつこ作/加藤休ミ絵/東雅夫編(岩崎書店)、『おめん 怪談絵本14』夢枕獏作/辻川奈美絵/東雅夫編(岩崎書店)

『いただきます。ごちそうさま。 怪談えほん13』あさのあつこ作/加藤休ミ絵/東雅夫編(岩崎書店)、『おめん 怪談絵本14』夢枕獏作/辻川奈美絵/東雅夫編(岩崎書店

 怪談えほん第三期の第二回配本と第三回配本です。第二期の高橋克彦はいつの間にか中止になっていたので9は欠番なんですね。……と思っていたら、2024年2月に「怪談えほんコンテスト大賞受賞作」+伊藤潤二という形で9巻目が発売されたようです。

『いただきます。ごちそうさま。』あさのあつこ/加藤休ミ(岩崎書店★★☆☆☆

 主人公は食いしん坊の子ども。しばらくは好きな食べ物ばかりが羅列され、怖くなる雰囲気はありません。お父さんが八の字ヒゲを生やしていて、いつの時代のお父さんなんだと笑っちゃいました。不穏な空気になってくるのは真ん中近く、「なんでも たべます。たべられます。」で真ん丸にふくらんだ姿が描かれます。出会った犬を食べるのは予想通りにしても、食べられる子どもが口から血反吐か何かを吐き出しているのはグロテスクで、画家の妙なこだわりを感じます。
 

『おめん』夢枕獏/辻川奈美(岩崎書店★★★★☆

 他人を妬んだり憎んだりしてばかりの子が呪いのおめんを手に入れてしっぺ返しを喰らう話です。いつの時代の日本なんだというような(そもそも日本なのでしょうか?)、妙に生々しくて小汚い下町が描かれていて、おめんの怖さよりもむしろそういった背景に生理的な嫌悪を感じました。呪いが成就して有頂天になっている場面が金魚とともに明るく描かれているのはともかく、絶望に駆られてうずくまっている場面で明るく輝くすだれか何かのなかにいるのは何ともブラックです。「どんどろぼろぞうむ でんでればらぞうむ」という呪文の響きもおどろおどろしい。「わたしのかお おめんと おんなじになっていた」の場面で、主人公の顔を描かないのは卓見だと思いました。そこであの埴輪のような顔を描いてしまったらギャグにしかならないでしょうから。
 

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『私立霧舎学園ミステリ白書 八月は一夜限りの心霊探偵』霧舎巧(講談社ノベルス)★★★☆☆

『私立霧舎学園ミステリ白書 八月は一夜限りの心霊探偵』霧舎巧講談社ノベルス

 霧舎学園シリーズ第五作。

 七月事件で知り合った久賀カメラマンに口説き落とされて漫画雑誌のグラビアを飾った琴葉だったが、撮影現場のサイパンには母親までくっついて来た。

 それでも養護教諭の日辻美加から伊豆の「別荘」に招待されたときには、母親は警察大学校時代の同期会が北海道で開かれるとかでくっついては来なかった。ところが琴葉は行きの電車のなかで見ず知らずの女性に水難を予言される。不穏に思いながらも伊豆に到着すると、日辻の横にはなぜか担任の脇野までいた。まさか日辻の言っていた婚約者とは……。

 別荘とは日辻の祖父の研究施設だった。電気もガスも通っていないため、発電機で最小限の明かりしか確保できない。日辻の祖父はヒツジ出血熱の原因となるウイルスの発見者だった。地元の名家である炭野家の老婦人は、日辻家に呪いをかけられていると信じて日辻家を忌み嫌っていた。だが若い炭野秋人だけは呪いを信じてはおらず、研究所までトラックを運転してくれた。冬美は秋人にぞっこんだった。

 日辻先生の招待に保が絡んでいることから、どうやらまたも棚彦との探偵勝負を計画しているらしい。予想を裏づけるように、保は私立霧舎学園の「新刊」を差し出した。七月とまだ発生していない『八月・心霊探偵』。保によれば八月だけは別人の作で、作者の見当も付いているという。図書委員の中込さんに頼んで調べてもらっている最中だ。

 そうこうしているうち中込と久賀まで伊豆に現れ、中込の鞄が盗まれるという事件が起こる。

 廃校となった近所の小学校まで肝試しをすることになり、冬美の提案で、四組に分かれたグループが四冊の私立霧舎学園のうちそれぞれ一冊を小学校から持ち帰ることになった。トップバッターは冬美と秋人だったが、冬美が一人だけで戻ってきた。秋人が死んでいるという……。

 八月のテーマは心霊探偵で、一応は〈甦る死者〉が扱われていますが、心霊探偵の要素はほとんどありません。甦る死者というよりは、現れたり消えたり北海道まで移動したりする死体消失が謎となっています。

 謎の真相はある著名作【神の灯】のバリエーションですが、またもや脇野が謎の発生に一役買っているところが可笑しかったです。グラビアや付録や書籍そのものまで手がかりにしてきたこのシリーズのこと、当然のように見取り図も手がかりになっていたことにも舌を巻きました。

 そのほかにも羽月警視や蘭堂ひろみやファンの子との会話や、温泉での出来事など、細かい描写によってトリックが補強されており、こういうところは毎度ながら上手いなあと感心させられます。

 そして本を用いた仕掛けは今回も大がかりなものでした。『六月』同様に本書も電子書籍化は出来ませんね。

 この仕掛けが保と棚彦の推理の明暗を分けることにも繋がっていて、単なるお遊びに終わっていないことにも注目です。暗闇のなかでの光源とこの仕掛けの二つによって、真犯人が導き出されるように出来ていました。

 その犯人像に、ちゃんとグラビアが関わっていることにも驚きました。ただのキャラ萌えではなかったんですね。

 派手でこそないものの完成度は高い作品でした。

 当然のことながら今回も保は負けてしまうのですが、それにしてもお茶目なことをやります。よほど一度は勝ちたかったのでしょう。第一の事件に用意された手がかりの数々は、なるほどいかにも推理小説っぽい理屈でした。

 冒頭の予言者は開かずの扉研究会シリーズの咲さんであるらしく、今回はそんなところにリンクがありました。【※「ひろみ」も由井広美だという説もあるらしい

 八月。偶然につぐ偶然の末、クラビア・アイドルとしてデビューを飾った琴葉は夏休みに伊豆の「別荘」へと赴く……が、そこで琴葉を待っていたのは奇怪な怪談にまつわる殺人事件だった! 和服の老婆は叫ぶ――「呪い殺されたらどうする!」

 学園ラブコメディーと本格ミステリーの二重奏、「霧舎が書かずに誰が書く!」、“霧舎学園シリーズ”。八月のテーマは心霊探偵!(カバーあらすじ)

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 私立霧舎学園ミステリ白書 八月は一夜限りの心霊探偵 

『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム編/中村融他訳(竹書房文庫)★★★☆☆

『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム編/中村融他訳(竹書房文庫)

 『Zion's Fiction: A Treasury of Israeli Speculative Literature』Sheldon Teitelbaum and Emanuel Lottem ed.,2018年。

 その名の通り、イスラエルSFのアンソロジーです。面白い作品はあったけれど突出したものはなく、この人のほかの作品も読みたい!とは感じませんでした。
 

「まえがき」ロバート・シルヴァーバーグ中村融(Foreword,Robert Silverberg)
 

「オレンジ畑の香り」ラヴィ・ティドハー/小川隆(The Smell of Orange Groves,Lavie Tidhar,2011)★★☆☆☆
 ――ボリスは捨てていこうとした。家族の記憶を、〈威衛の愚行〉と呼んでいるものを。/鍾威衛は巫女に会いに来た。「架け橋がほしいのです。過去と未来のあいだにかかる橋です」「不死か」「子供たちにわたしのことを覚えていてほしいのです」/彼はミリアムのことを思った。いまはジョーンズおばさんと呼ばれている。世界は若く、二人は愛し合っていた。二人のあいだを裂いたのは、ただ生活だった。

 好みの問題なのでしょうが、こういう自分たちの問題を勝手に押しつけられているような作品は読んでいてうんざりしてしまいます。あと、こういう家族の結びつきはユダヤや中国は日本より格段に強そうなのでピンと来ないところもあります。
 

「スロー族」ガイル・ハエヴェン/山田順子(The Slows,Gail Hareven,1999)★★★★☆
 ――保護地区を閉鎖するというニュースは最悪のものだ。スロー族の研究の進捗が損なわれる。オフィスのドアを開けると、スロー族の女がいた。未開人たちは許可を得ないと入れない。どうやって入ってきたのだろう? 「おはよう」警備兵を呼ぼうとは思わない。女はデスクのわきからなにかを持ちあげた。キャリーバッグで、なかに人間の幼体が寝ていた。「あなたたちはあかんぼうを奪わないと誓約した。協定が結ばれ、署名した」怒りと強い感情に満ちた口ぶりだ。「それは何世代も前のことだ」「子どもを奪わないで」「成長促進技術は短命にはならない。むしろすぐに成人してその後の長い人生を楽しめるんだ」

 スロー族とはどうやら新人類から見た旧人類(今の人類)であるらしいのですが、種としては変わってはおらず、新しい技術を拒んで古いしきたりを守ろうとする少数民族のようです。為そうとする側にとっては疑うべくもない正義であるのが恐ろしいところです。どんなことであれ自分の側の常識に囚われていないか、襟を正します。
 

アレキサンドリアを焼く」ケレン・ランズマン/山田順子(Burn Alexandria,Keren Landsman,2015)★★★★☆
 ――「5-7-20。接近して静止している」通話機の向こうでシルがいった。「侵入。もしくは侵略か――」わたしの目の前に、巨大な黒い球体がある。球体からは何の反応もない。自己消滅開始――衝撃と苦痛、無、再構築と覚醒。だが苦痛はやってこない。わたしとシルの背後で球体の外殻が閉じた。白いローブの女性が現れた。わたしは女性をスキャンした。人間。あるいはかぎりなく人間に近い模倣物。「主任司書のニュファー。アレキサンドリア第八版の」図書館には人類の歴史を網羅した記録の数々があるという。「三百年ごとに記録に必要な情報を集めています」

 人類の叡智を集めた図書館と、人類を守り続けてきたロボット。なのに肝心の人類は【宇宙人によって滅ぼされていた】というのが第一の衝撃でした。図書館のワープ・フィールドのせいで宇宙人が襲来したため、それを阻止するために再びアレキサンドリア図書館を燃やすという、歴史をなぞるかのような火災の必然が秀逸でした。
 

「完璧な娘」ガイ・ハソン/中村融(The Perfect Girl,Guy Hasson,2005)★★★★☆
 ――新入生はいろいろと雑事がある。「アレクザンドラ・ワトスン?」「はい」「きみは……モルグだ」「モルグですか? でもここは超能力者のための学院で――」「人の心は死後も読めるんだ」あたしが最初のモルグの担当者だった。ベンディス教授の二日目の授業は、新しい遺体を使って被験者の精神を分析することだった。「ミズ・ワトスン、彼女の名前を知っていますか?」「ステファニー・レナルズです」「ミドル・ネームは?」「いいえ」「彼女に触れて、ミドル・ネームを教えてください。出発点を得るために、記憶のなかにすでに存在する場所を見つけなければなりません」――ステファニーはひとりですわって、昨日のことを考えている。マイクルとのキスのことを。

 本書随一の長篇です。共感によって引きずられてしまうという、ある意味で古典的なテレパスの苦悩を描いた作品です。自分にコンプレックスを持っている女の子が、死体とはいえ完璧な美少女に興味を持ってしまうところに、思春期ものとしての上手さがありました。共感するあまりステファニーの両親にまで会いに行き完全に周りが見えなくなっている語り手に、当たり前の視野を取り戻す手助けをするパークス教授は、教師の鑑ですね。本当の物語はこれから始まるのだというような前向きな終わり方に救われます。
 

「星々の狩人」ナヴァ・セメル/市田泉訳(Hunter of Stars,Nava Semel,2009)★★☆☆☆
 ――すべての星の光が消えた夜、ぼくは生まれた。世界はその状態に慣れてしまった。何世紀ものあいだ、大気中に放出していた有毒ガスのせいで空気は透明じゃなくなって、今ではどんな星の光も通り抜けることはできない。ぼくはふだんからおじいちゃんにしつこく質問する。「星の見えたころの世界はどんなふうだったの?」

 星が見えなくなった世界で星を愛する少年が、狩人オリオンになぞらえて星々の狩人になると宣言するのですが、あんまり上手いこと言えてると思えません。
 

「信心者たち」ニル・ヤニヴ/山岸真(The Believers,Nir Yaniv,2007)★★★☆☆
 ――食料雑貨店で老女の手からチーズが落ちる。カートの中身は戒律的に不適切だった。チーズが鶏もも肉パックにぶつかる。すさまじい音がして老女がまっ二つになる。誰もが知らんぷりしてうつむいたまま。/来週、機械との会合があり、わたしの人生を変えることになるだろう。すべて変えられたとき、わたしたちはついに、神を殺すことができるかもしれない。/青年が図書館で少女とぶつかる。少女が握りしめているのは小冊子『天使たちの夢』。その翌日、ふたりは青年のアパートにいる。少女は微笑み、二枚の白い翼を広げる。

 旧約時代の怒れる神がなぜか突然復活してしまった世界で、神を信じず抵抗しようとする人々の話。バベルの塔が神への抵抗の象徴のように扱われているのが面白い。頭に機械をつけたら本当に翼が生えるとは思えないので、最後に不信心者たちがなった天使とは精神的な何かなのだろうけれど、それすらも神の怒りからは逃れられないようです。語り手だけが免れたのは、それ以前に天使と接触していたからなのか、決意の問題なのか、よくわかりません。
 

「可能性世界」エヤル・テレル/山岸真(Possibilitie,Eyal Teler,2003)★★☆☆☆
 ――その記憶は死ぬまでわたしにつきまとうだろう。五十年という歳月も消し去ることはできなかった。あの老人がわたしに殴打され崩れ落ちるようすを、いまでも思い浮かべられる。タイムマシン、レイがわたしをわたし自身に引きあわせたこと。あの日じっさいになにが起きたのか、二十年前に見つけようとしたことはある。占い師のセデフによれば、わたしは病院で死んだ。ではあの年寄りは?

 レイ・ブラッドベリ「埋め合わせ」を通して実現した別の可能性世界。いかにもファンライターっぽいと感じるのは、プロ作家ではないという経歴を読んでしまったせいでしょうか。
 

「鏡」ロテム・バルヒン/安野玲(In the Mirror,Rotem Barchin,2007)★★★☆☆
 ――猫のミカが車に轢かれて死んだ。リロンに悲しい顔をさせたくない。わたしは覚悟した――鏡を割るしかない。初めて割ったのは十歳のとき、人形を壊してしまったあとだった。それから何か月かのあいだ、わたしは壊れていない人形を抱いて鏡を見つめて過ごした――わたしとは違う、別のダニエルを。そのダニエルはわたしとちがう高校に進み、看護学を勉強して、男の医者と結婚した。リロンと巡り会ってからは、ほかのダニエルたちをほとんど観察しなくなった。

 鏡に映るもう一つの世界。パートナーとの幸せのため、鏡を割ることで現実を変えてきた語り手が、しっぺ返しを喰らいます。こちらから見ている状態が向こうから見られているようにも見えるという、鏡の特性を活かした結末でした。
 

「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」モルデハイ・サソン/中村融(The Stern-Gerlach Mice,Mordechai Sasson,1984)★★★☆☆
 ――どこかの生物物理学者が、生体組織に電子ビームを通過させたとき生じるシュテルン=ゲルラッハ効果を測定しようとした。脳に直接ビームを照射されたネズミの一群は、知能が増大し、研究室から脱走した。はじまりはぼくがおばあちゃんに会いにいったときだ。〈ブリキの物乞い〉があらわれた。眼窩から電線が垂れさがり、ナットが何本かなくなっている。「金属をめぐんでもらえないでしょうか」。おばあちゃんは錆びた釘をやり、「脚が痛くてさ。ゴミを捨ててもらえないかしら」。じつにおばあちゃんらしい。錆びた釘一本で奴隷にしてしまったのだ。「マダム、キッチンに巨大なネズミがいます」。ぼくがキッチンに行くと、ロバほどもあるネズミがいた。

 文体からも内容からもパニックものではなく、コメディであることが窺えますが、正直なところイスラエルのユーモア感覚はわからないというほかありません。
 

「夜の似合う場所」サヴィヨン・リーブレヒト安野玲(A Good Place for the Night,Savyon Lieberecht,2002)★★★★☆
 ――列車がいきなり揺れたときのことを、ジーラは今も思い出す。喫煙車両の扉をあけると、ついさっきまで起きていた人たちがみんな眠っていた。もう一人起きていた男は、「新手の事故ですかね。放射線が一気に撒き散らかされるような」と言った。辺りを調べるため家に足を踏み入れた途端、初めて竜巻を見た。五人の大人は死んでいたが、赤ん坊は生きていた。三人は家で暮らし始めた。駅まで行くと、老人を介抱している修道女がいた。ある日の朝には、自転車に乗ってポーランド人の男がやってきた。

 終末とポスト人類に於いて避けては通れない問題を、避けずに描いた作品です。人間はこうした状況になったとき、実際に個人の尊厳よりも種としての継続を選ぶのでしょうか。
 

エルサレムの死神」エレナ・ゴメル/市田泉訳(Death in Jerusalem,Elana Gomel,2017)★★★★☆
 ――モールは大学のカフェテリアでデイヴィッドと出会い、一週間毎日デートした。モールは三十五歳だった。友人はみな結婚して子供もいた。モールの部屋で、二人は服を脱いだ。「すまない。だけどぼくは死ねない。たとえ小さな死でも」「あなたは……」「ぼくは死神だ」。二週間後、披露宴には死神たちがやって来た。デイヴィッドの専門は射撃による死だった。ほかに〈疫病〉〈自殺〉〈飢饉〉……〈戦争〉は死神社会では高い地位にあるらしい。死神を引退したダニエルという小男が話しかけてきた。死神はもともと人間で、別の死神に殺されれば死神も死ぬ。

 死に方ごとに分担が決まっていて死に方の流行り廃りもあるという設定がマンガチックでわかりやすく、死神が一堂に会する場面だったり、最古の死神が出てくるところだったりを読むと、なんだか楽しくなってしまいます。最後がちょっとご都合主義に感じられましたが、死と生の対比という意味では当然の結末ではあるのでしょうか。
 

「白いカーテン」ペサハ(パヴェル)・エマヌエル/山岸真(White Curtain,Pesakh (Pavel) Amnuel,2007)★★★☆☆
 ――十一年ぶりにオレグと再会した。「イリーナが去年死んだ。きみにはできる。きみは分枝どうしを結びつけて継合することができる」「ぼくはずっと試してきた。数百の現実のすべてでイラは死んでいた」「きみは分枝は無限だと……」「ディマ、ただしかったのはあなただということだ。分枝は有限だ。イラが生きている世界線はただの一本も存在しない」

 平行世界有限説を採る語り手が、無限説を採るかつてのライバルに妻が生きている世界線を継合してほしいと頼むという、ドラマチックな展開です。学問だけではなく恋のライバルでもあったのだからなおのこと。本当に不可能なのかかつての意趣返しなのか、頼みは断られるものの実は……という趣向です。ベタといえばベタですが、恋のライバルでもあったという設定が活かされていました。
 

「男の夢」ヤエル・フルマン/市田泉訳(A Man's Dream,Yael Furman,2006)★★★☆☆
 ――「リナ!」ガリアはベッドから出ようとあがいたが、ヤイルを起こせるのはリナだけだ。「ヤイル!」リナの声にベッドのヤイルが身じろぎし、ガリアを包んでいた見えない障壁が消え失せた。「運転してたの。歩行者もいた」。幸い怪我人はいなかった。「どうしてあたしの夢ばかり見続けるの? しかも朝っぱらから寝てるってどういうつもり?」。ガリアが帰ったあと、ヤイルは言った。「また薬を試してみようかな」「こないだ死にかけたじゃない。人類の三十パーセントはあの薬にアレルギーがあるのよ」

 夢に見たものを引き寄せてしまう夢見人という奇病が蔓延している社会で、なぜか特定の女の夢ばかり見て迷惑を掛けっぱなしな男が主人公です。「男の夢」というタイトルは、妻以外の女と――という願望への含みも持たせているのでしょうか。ガリアの言う通り、頼むからせて夜中に寝てくれと思わずにはいられませんが、最後まで傍迷惑な男でした。
 

「二分早く」グル・ショムロン/山岸真(Two Minuites Too Early,Gur Shomron,2003)★★☆☆☆
 ――配達が二分早すぎたことを除けば、その箱が世界パズル選手権の決勝戦出場者であるリントン家に届けられたのはおかしなことではなかった。全解答者は、立体模型の組み立て完了までに四十八時間が与えられる。世界記録二十時間五十五分七秒だ。隣家の六十代の紳士アルフレッドは、リントン・チームのコーチとマネージャーを務め、前年のコンテストで三兄妹が成功をおさめるのに多大な貢献をした。パイパーはリントン兄妹のコンパクト・コンピュータだ。時間との競争がはじまった。

 配達が二分早かった理由と、新記録の達成者は――意外ではあるものの陳腐なものでした。追放されたマッド・サイエンティストがマッドな発明を完成させたようにしか思えないのですが、なぜかほっこり風味です。
 

「ろくでもない秋」ニタイ・ペレツ/植草昌実訳(My Crappy Autumn,Nitay Peretz,2005)★★☆☆☆
 ――「おはよう、イド。別れましょう」とオシャーが言った。「どうしたんだ」「話すことはない。もう終わりだから」。オシャーは出ていった。シフトを休んで馘首になった。突然ルームメイトのマックスの身に一大事が起きた。救急車が来たが、マックスが医師の体を撫でると疥癬の痕が消えた。何人かがマックスのお供についていくと言い出し、驢馬のトニーが歌い出した。

 取り留めなくふざけ倒したような作品で、作者のノリについていけないときつい。
 

「立ち去らなくては」シモン・アダフ/植草昌実訳(They Had to Move,Simon Adaf,2008)★★★★☆
 ――母さんは日に日に弱っていく。とうとうアヴィヴァやノームとは何年も顔を合わせてないテヒラおばさんが家に来ることになった。レバノンとの戦争は終わったが、何も変わらなかった。おばさんの家に引っ越すことになった。家には本がたくさんあった。何が起きたのはアヴィヴァにはわからなかった。その日は裏庭で『ノーサンガー・アビー』を読んでいた。がっしりした体格の女の人が、体のあちこちに青あざのできた男の子を連れてきた。「あんたの弟がやったのよ」「ノームがどれだけ小柄かごらんなさい。一人で三人も相手にしたなんて信じられますか」「もう一人いたんだ」

 メアリー・ポピンズ的なちょっと不思議なおばさんの話かと思いきや、複雑な家庭環境の子どもが異能を持っていたという話だとわかる意外性がありました。しかも異能があるのは願いを伝える本人ではないところにもうひとひねりが効いています。願いが叶うだとか逃避文学だとかいうファンタジーが、願ってもいない形で実現してしまう恐怖が、「立ち去らなくては」というタイトルに集約されています。
 

イスラエルSFの歴史」シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム/中村融(Introduction,Sheldon Teitelbaum and Emanuel Lottem)

 イスラエルSFの歴史というよりイスラエルの歴史であり、けれど本書収録作にはさほどこの序文の内容は響いていないように感じました。

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『私がふたりいる』戸川昌子(光文社文庫)★☆☆☆☆

『私がふたりいる』戸川昌子光文社文庫

 1977年『蒼い悪霊』の改題文庫化。

 学園都市の建設に携わった職員が電車内で遭遇した、顔を白い繃帯でぐるぐる巻きにした若い女性。彼女はクローンの研究を心霊学と勘違いして、同じ人間がふたりいる証拠である手記を研究所に渡してほしいと、職員に託す。「私がふたりいる」という題名のその手記には、孤児となった若い女性が心霊会で体験した奇怪な出来事が記されていた。

 孤児となった波子はお手伝い募集の広告を見て、生島心霊会に面接に行く。処女でなければ資格はない、噓をつけば下半身が不随となる――と狐顔の女に脅されながらも心霊会にたどり着くと、そこには同姓同名の秦野波子という醜女がいた。紫野という美しい女性が黒塗りの箱の蓋を開くと、白い蛇のようなものが動き、脚のあいだから躰の中に入ってきた。そこで波子は気を失った。

 自分たちには双生児の背後霊がついていると主張する同姓同名の秦野波子、波子は悪霊に憑かれていると告げる紫野。ラーメン屋の主人や俳優の船山一郎に犯されたのは夢なのか。波子は同姓同名の秦野波子に熱いラーメンをかけられ顔に大やけどを負い、臨死体験を味わう。

 戸川昌子らしいエロティックな幻想譚です。とは言え果たしてこれをエロティックと言ってよいのかどうか、やたらと割れ目を撫でたりセックスがそそり立ったりのオンパレードで、大半がそうした描写で占められていました。

 前半は話がどう転がるのかわからず、とにかく波子が意識を失うたびに繰り返す不思議な体験を追って、波子とともに迷路の彷徨に身を委ねました。

 中盤からは、波子は実は船山一郎の義妹・船山志摩子なのではないか――という新たな疑惑(幻覚?)が持ち上がるものの、結局は波子が意識を失うたびに新たな人物とエロティックな関係になって――の繰り返しで、そういう描写はいいから早く話を先に進めてくれと思わずにはいられませんでした。

 最終的に、精神病院の看護婦N子さんの妄想――だったのか何なのかもよくわからないまま、もっともらしい感じで幕が閉じられました。

 「生島心霊会の会長様はとてもこわいの。口の中に蛇がすんでいたの。舌のかわりに大きな蛇が、あたしに近づいてきて……」秦野波子と船山志摩子同一人物の奇怪な人生の開幕……⁉

 波子と志摩子の人生のどちらが現実であるのか?この本を読みながら、読者《あなた》は奇妙な錯覚におちいるにちがいない。異色|推理《サスペンス》力作!(カバーあらすじ)

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『さよならの手口』若竹七海(文春文庫)★★★★★

『さよならの手口』若竹七海(文春文庫)

 文庫書き下ろしの葉村晶シリーズ第四作。

 長谷川探偵事務所の閉鎖に伴い古本屋でアルバイトをしていた葉村は、故人の遺品の整理中、古くなっていた床板に開いた穴から落ちて怪我をしてしまう。あろうことか穴からは白骨死体が現れた。入院先の病院で所轄の渋沢刑事らから事情を聞かれた葉村は、事件の真相を言い当てる。

 同室に入院していた芦原吹雪がそれを耳にして、二十年前に見合いに出かけたきり行方不明になった娘の志緒利を探してほしいと依頼した。

 当時調査をした元警官の探偵・岩郷の調査報告を読み返し、芦原吹雪がかつての銀幕のスターであり、未婚だった吹雪の娘の父親を巡って大物政治家や大御所俳優の名が取り沙汰されていたことを知る。当時の話を聞こうとしたものの、その岩郷も姿を消していた。

 シェアハウスに帰宅した葉村は、部屋に盗聴器が仕掛けられていたことに気づく。

 志緒利と吹雪の交友関係を追っていた葉村は、志緒利が花嫁修業に通っていたシェフと関係を持っていた事実を知る。志緒利は失踪後も生きていた――。葉村は志緒利がシェフを連れ込んだというアパートを探す。どうやら吹雪のマネージャー山本博輝が関係しているらしい。

 そのころ、古本屋の客でミステリの趣味が合うことから仲良くなった倉嶋舞美がシェアハウスに引っ越してきた。

 ミステリで「さよならの手口」とくれば、当然「殺人の手口」ということになるのでしょうが、もちろん冒頭に引用されたチャンドラー「警官にさよならを言う方法は――」も響いています。実際、葉村は友人と呼べる人間との別れを経験しますが、そこはそれ、マーロウとは違い警官とさよなら出来ても葉村は一人ではありません。それがコージー要素もあるこの作品のいいところです。

 メインとなるのは母娘の確執です。ハードボイルドに相応しい家庭の悲劇が演じられていました。また、往年の大女優とそれに入れあげるマネージャーという構図からは、コロンボ「忘れられたスター」やワイルダーサンセット大通り』を連想します。母娘とマネージャー、三者が揃わなければ、あるいはもっと早くほころびが露わになっていたかもしれません。

 そこに著者らしい本格ミステリ的な仕掛けがいくつも施されていました。末期癌治療による譫妄かと思われた出来事に現実的な解決をつけて、そこで事件の全貌を明らかにする手際は見事と言うほかありません【※志緒利がいるという吹雪の妄想は、吹雪を殺しにきた現実の志緒利の姿だった】。冒頭の殺人事件(のトリック)が伏線として機能していて、もう一つの【入れ替わり】トリックが終盤で明かされたのにも舌を巻きました【※志緒利が失踪後に暮らしていたアパート付近で起きた通り魔殺人の被害者は、山本の妹であり、以後志緒利が山本の妹として生きる】。

 そこにもう一つの事件、舞美の裏カジノ疑惑が持ち上がります。友情と警官という意味で、チャンドラーはこちらにより響いています。概ね優秀な葉月ですが、大事なところで手痛い失敗をしてしまいます。舞美の事件では友情のせいで、そして芦原母娘の事件では同情によって、取るべき手段を見誤ってしまうのが、とても人間らしいところです。

 そして最後の最後に、もう一つの家庭の悲劇が待ち受けていました。有能であるがゆえに気づいてしまうのも不幸ですが、これですべての謎は明らかになりました。

 探偵を休業し、ミステリ専門店でバイト中の葉村晶は、古本引取りの際に白骨死体を発見して負傷。入院した病院で同室の元女優の芦原吹雪から、二十年前に家でした娘の安否についての調査を依頼される。かつて娘の行方を捜した探偵は失踪していた――。有能だが不運な女探偵・葉村晶が文庫書き下ろしで帰ってきた!(カバーあらすじ)

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