『人形 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア/務台夏子訳(創元推理文庫)★★★★☆

 『The Doll and Other Stories』Daphne du Maurier,2011/1980年。

 デュ・モーリア死後に再発掘された短篇と、初期の短篇からなる短篇集で、書誌情報がいっさい不明ですが、どうやら完全な日本オリジナル短篇集というわけではなく、2011年に出版された初期短篇集『The Doll』全篇に、1980年出版『The Rendezvous and Other Stories』所収の「Angels and Archangels」一篇を加えたもののようです。
 

「東風」(East Wind,1926/1980)★★★★★
 ――シリー島の百マイル西に、セント・ヒルダ島はある。人口は七十人を超えたことがない。ときおり島民の誰かが本土をめざし、外界の話を持ち帰ると約束して出航したが、それっきり戻らなかった。ごく稀に島を訪れる船も、来るのは一度限りで、二度と通らないのだ。漁労長ガスリーは妻のジェインと子供のように暮らしていた。「東風が吹きだした。あの鱗みたいな雲。大風が来るぞ。船に注意しろよ」

 1926年に執筆され1980年の『Rebecca Notebook』に収録された最初期の作品です。これを十九歳で書いたというのですから天才としか言いようがありません。現実離れした離れ小島に吹き込んだ外界の風は、流行り病のように瞬く間に島の秩序を破壊します。風に囁かれて、快楽は言うに及ばず悪徳にすら陶酔したように突き動かされてしまう場面には、眩暈を感じました。風が通りすぎて熱病は去り、そこで初めて悪夢だったと気づくのでしょう。
 

「人形」(The Doll,1928/1937)★★★★☆
 ――何か感じられたなら、男に愛されるとはどういうことか彼女に教えただろう。そう、男にだ。つらいのはこの空虚感だ。レベッカレベッカ。最初はスタジオだった。外は雨だったことを覚えている。その姿は小妖精《エルフ》のよう、少年のようだった。金曜日、ついにレベッカを訪ねた。「わたしは恋をしたことがないの」「でも君は何もかも経験しているような素晴らしい演奏をするじゃないか」

 1937年刊行の『The Editor Regrets』なるアンソロジー収録作が近年発掘されたものです。タイトルからもわかる通り、人形を恋人にしている女性の話……というよりは、そのレベッカという名の女性に失恋して転げ落ちてゆく語り手の話、という方が正確でしょう。恋した女性の狂気の愛に触れて、正気を失いつつある男性の、不完全な手記という、三重に信頼できない語りは、「東風」の素朴な語りと比べると試行錯誤の跡が窺えます。注目すべきはレベッカという女性が登場することです。レベッカ、という名前はデュ・モーリアにとって魔性の名前だったのでしょうか。
 

「いざ、父なる神に」(And Now to God the Father,1929)★★★★☆
 ――聖スウィジン教会の牧師、ジェイムズ・ホラウェイ師は、鏡に映った自分の姿に満足した。女たちは牧師を崇拝した。男たちは牧師が意外にも楽しいやつであることを認めた。若いクランリー卿が女性問題で相談に来ると、自分も若い頃はいろいろと経験したからよくわかっている、と思わせた。「その娘の問題はまかせておきなさい」。それから民主党候補者と食事をし、障碍者施設で講話をした。

 母方の親戚であるウィリアム・カミンズ・ボーモントが編集長を務める雑誌『The Bystander』1929年5月号に掲載された作品です。俗物である牧師による、人心掌握と出世術。言動のすべてに、確たる効果を狙った意図があります。こういう人が牧師だったり教師だったり政治家だったりすると、ちょっと怖い話にもなりそうでもありますが、ホラウェイ師は徹底的に通俗のままでいてくれます。
 

「性格の不一致」(A Difference in Temperament,1929)★★★☆☆
 ――彼が知り合いと出かけると彼女は不機嫌になる。「だって仕方ないだろう」。なぜこの人は率直になれないんだろう? お前といるだけじゃ満足できないと認めればいいのに。だが会食は苦痛だった。こんな連中には会いたくない。大事なのは彼女だけだ。

 同じく『The Bystander』1929年6月号に掲載された作品。思ってもみないことを口に出してしまったり、不必要に尖った態度を取ってしまったりといった、あるあるネタのスケッチです。
 

「満たされぬ欲求」(Frustration,1927-1930)★★★★☆
 ――彼は結婚の許しを請うた。「扱えるのはスパナだけ。それで娘を養えるのか?」「僕は――」「娘ももう二十四。好きにすればいい。結婚式の費用は払ってやろう。だがあとは一ペニーもなしだ」海辺のホテルに行く金がないため、ハネムーンはテントだった。夕食後、二人は一行に出てこない月を待った。雲が駆け抜け、疾風が襲った。

 1955年に刊行された『Early Stories』収録作。愛しかない二人の悲哀に満ちた、けれどちょっと笑いを誘う新婚初夜が描かれています。やることなすこと裏目に出てしまい、前途多難、ですがこの二人なら、何とかうまくやっていきそうな気もします。
 

「ピカデリー」(Piccadilly,1927-1930)★★☆☆☆
 ――女は椅子に座って脚をぶらぶらさせていた。「つまり新聞記者ってことかい? じゃあよく聴きなよ。ひとつ話をしてあげる。ある意味じゃ、何もかも迷信のせいなんだよ。そのうち、あたしはジムに出会った。いつか教会につれていってくれると信じていたよ。ところがジムは泥棒だったのさ。だけど彼なしじゃ生きていけなかった」

 元掏摸の女の一人称による思い出語り。要所要所で迷信によって軌道を変えられてゆく女が、男に騙されて転がり落ちてゆく様子を描いた一代記ですが、よくある話の域を出ません。
 

「飼い猫」(Tame Cat,1927-1930)★★★★☆
 ――大人になったんだ。これからは寄宿学校の日々は霞み、パーティーを楽しみ、シャンパンだって飲むだろう。マミーだって娘を自慢に思うはずだ。姉妹みたいになるに違いない。それにジョンおじさんもいる。本当の親戚ではないけれど、親戚も同然だ。寄宿生の一人は「あなたのお母さんの飼い猫」と言っていたっけ。なのにマミーとジョンおじさんは彼女を変な目で見た。

 お洒落をして垢抜けて大人みたいに振る舞うことが大人になる条件だと思っていた、うぶな女の子が、家族の現実という、とても嫌な形で、本当の大人の世界を知ることになります。相手の態度が同じでも、受け手の意識の違いによってその受け取り方も違ってくるという、精神的な成長の瞬間が鮮やかに切り取られています。
 

「メイジー(Mazie,1927-1930)★★★☆☆
 ――メイジーは動くのが怖くて、じっとあおむけに横たわっていた。流感にかかったあと、ドリーはこんな症状に襲われた。そしてあっと言う間に死んでしまった。ああ、ちくしょう! 通りを歩いていると、みすぼらしくなったノーラに声をかけられた。「何があったの?」「あたしたちみんなに、遅かれ早かれ起こることさ」

 同じくメイジーという名前の娼婦が登場する「ピカデリー」は、無理して背伸びして娼婦の世界を描こうとしているように見えましたが、この「メイジー」は同じく娼婦を題材にはしていても漠とした日常的な不安を描いている分だけ、無理のない描写になっていました。
 

「痛みはいつか消える」(Nothing Hurts for Long,1927-1930)★★★☆☆
 ――ドレスはクリーニングしたて。髪も昨日セットしてある。じっと見つめる彼の顔が目に見えるようだ。料理は彼の好きなものにしよう。けれど時間になっても彼は現れない。たぶん時計がずれているだけ。

 本書のなかでは「性格の不一致」と同様、すれ違いの決定的な瞬間に気づいてしまった恋人たちが描かれていますが、こちらの作品の場合は、女性側が一方的に恋する乙女気質であるように見える分だけ惨めです。
 

「天使ら、大天使らとともに」(Angels and Archangels,1945)★★★☆☆
 ――ホラウェイ師は六週間にわたって教区を副牧師にあずけざるを得なかった。戻ってみると教区はさまがわりしていた。常連の信徒は抗議の手紙を書いた。ついにホラウェイ師が「君のやっていることは俗受けする“芸”」だと副牧師を諫めると、「貧しい者たちは娯楽を求めて教会に来ているのではなく神について知りたがっているのです」と反論された。

 1945年刊行『The Rendezvous and Other Stories』収録作で、「いざ、父なる神に」のジェイムズ・ホラウェイ牧師が再登場します。俗物なりに才能にあふれ人生を謳歌しているホラウェイ師が自分の生活を守るために、商業キリスト教会という秩序を破壊しようとする敵を弾圧します。愛すべき小物という感じだったホラウェイ師がわかりやすい悪人に成り果てていました。
 

「ウィークエンド」(Week-End,1927-1930)★★★☆☆
 ――金曜の夕方、車で郊外に向かうとき、ふたりはほとんど口をきかなかった。言葉など交わせばこの完璧な調和が損なわれる。ふたりはまったく同じ気持ちだった。「マウシーは水浴びにいきたいな」と彼女は言った。「フーシーもだよ」。「ボートに乗せてくれる?」

 成田離婚の話ですが、恋人たちがいちゃいちゃしているのがただでさえ痛々しいのに、さらに三十路を過ぎているという事実によって痛々しさが飛び抜けたものになっています。最初と最後の一文の対比がおしゃれです。
 

「幸福の谷」(The Happy Valley,1932)★★★★☆
 ――彼女はその谷をよく夢のなかで見て、大きな安らぎを感じた。彼女は何かを待っているのだ。あの夢のなかのようなものを。彼の最初の言葉はこうだった。「怪我はないよね? 車に向かってまっすぐ歩いてくるんだもの」。彼女は目を瞬いて彼を見返し、なぜわたしは路上であおむけなのだろうと考えた。彼との会話はお定まりのものだったが、その夜はきわめて鮮明にあの谷が見えた。

 週刊新聞『The Illustrated London News』1932年クリスマス号に掲載された作品。夢見心地な主人公が漠然とした幸せな将来像をつかむまでの物語で、少女小説の一つの型が、夢見る夢子な少女というよりは、夢と現が渾然一体となった幻視体質を持つ一人の女性の視点で書かれていました。
 

「そして手紙は冷たくなった」(And His Letters Grew Colder,1931)★★★☆☆
 ――親愛なるミセス・B。私はあなたのお兄様とご懇意にしているのですが、今度の休暇のおりにチャーリーの近況をお伝えできればと思います。X・Y・Zより/親愛なるA。本当にAとお呼びしてよろしいのでしょうか。本当に楽しかった。X/ダーリン、昨夜あなたは僕をものすごく幸せにしてくれました……。

 月刊誌『Hearst's International Combined with Cosmopolitan』1931年9月号に掲載されています。書簡体のみから成る作品で、しかも男性側の手紙のみで造られているのに、きちんと男女のやり取りが伝わってくる構成こそ際立っているものの、内容はこれまで収録の他の作品と大同小異の男女のすれ違いでした。
 

「笠貝」(The Limpet,1959)★★★★☆
 ――わたしのことを無神経な女と呼べる人はいないはずです。他人の気持ちを無視できるようなら、廃残の身にならずにすんだことでしょう。いつでもエドワードと結婚できたけれど、彼のためを思って過激なまねをしなかったんです。奥さんがあるし、仕事があるんだから。ケネスが去ったときも、文句を言ったりはしませんでした。彼の落ち着きのなさは、わたしの出不精な性格と相容れない、と言っただけです。

 テーマが似ているからなのか、なぜかこの作品だけ後年の『破局』から採られた一篇です。異色作家短篇集破局』にも「あおがい」の邦題で収録されています。いま読むとストーカーの一人称みたいでえらく怖くて気持ちが悪く、こうした悪意を引いた視点で描いています。この作品と比べるとなるほど他の作品はまだ可愛いげがありました。

  

『スインギンドラゴンタイガーブギ』1、『スキップとローファー』4 ★★★★★

『スインギンドラゴンタイガーブギ』1 灰田高鴻(講談社 MORNING KC)
 ――昭和26年。十代の少女「とら」は、6年前に疎開先の福井で姉・依音子がベーシストと過ごしているのを見てベースの魅力に打たれた。だが依音子は川で溺れ心神を喪失し、ベーシスト・オダジマタツジは姿を消した。姉が大切に思っていたオダジマタツジを見つければ姉も正気に戻ると信じて、とらはオダジマを探しに東京に出た。路上でベースの弾き語りをして手がかりを探していたとらは、通りかかったベーシストのベースを壊してしまったことがきっかけで、かれらと米軍基地のステージに立つことに……。

 「しろい花」がモーニング主催のちばてつや賞の第74回に入選した著者の初連載作品です。デビュー作はガロ系の絵柄でガロっぽい幻想的な作風でした。本書では一転してモダンなジャズが題材ですが、良い意味でしょんべん臭い絵柄が、戦後の日本という時代の空気にぴったり合っています。とらちゃんは音楽に関しては素人ですが、天性の歌の才能によってバンドになくてはならない存在となります。

 単行本を買おうかどうしようか迷っていたのですが、レコードジャケットを模したカバーワークに一目惚れしました。Apple music と Spotify で登場曲や同時代の曲が試聴できるようになっていますが、そちらではまさにレコードジャケットのように正方形にされていました。

 新連載時のカラーがそのまま白黒につぶれて印刷されているのではなく、ちゃんと白黒原稿に直されて収録されています。(恐らく)デジタルだとこういうことも以前ほど難しくはないのでしょう。

 タイトルのドラゴンは登場人物の一人、龍治(タツジ)から。タイガーは同じく主人公のとらから採られているようです。とらの本名・於兎も虎の異名だそうです。とら本人は「寅年の生まれだから、お虎」だと説明しており(p.39)、寅年生まれだとすると昭和13年生まれの13歳ということになります。幼すぎる気もしますが、昭和20年の回想シーンはまだ幼児のような外見ですし、引き合いに出されている美空ひばり(p.21)が昭和12年生まれなので、実際13歳でもおかしくはないのでしょう。

 米兵の「SWEETS」という台詞に「アメちゃん」という訳語が当てられ、その訳語に対して日本語で「アメちゃんはそっちじゃんか」と反応していたり(p.12)、同じく米兵の「I'VE FALLEN IN LOVE WITH YOU!!(キミにガチ恋してしまったんだ!!)」(p.159)にも「ガチ……」と日本語で反応するなど、対訳をルビのように活用しているのが斬新でした。
 

『スキップとローファー』4 高松美咲(講談社 AFTERNOON KC)
 ――文化祭のミュージカルに出場することになった志摩と、生徒会とのかけもちで大変そうな美津未。自分を演じる癖があり、逃げ出した作中人物に自分を重ねる志摩だったが、文化祭当日、見学に来た母親と弟が、梨々華たちと鉢合わせし……。

 これまでは女子の心理描写に比重がありましたが、この巻では志摩くんの心情が掘り下げられています。自分のキャラを気にしすぎて正常な判断ができなくなってしまったり、『サウンド・オブ・ミュージック』の作中人物ロルフと重なることで自分の感情に気づけたりしたことで、最終的に前に進むことができました。美津未だけでなく兼近先輩もきっかけになっているのがよかったです。二人とも自分をしっかり持っているキャラだから。志摩の家庭の事情というのもようやくはっきりしました。

 志摩くんに慰められて前向きに復活する美津未が本当に格好いいです(p.51)。半分は大真面目で、半分は照れ隠しと志摩くんを心配させまいとする気持でわざと気取ったポーズを取っているのだと思うのですが、こういう場面でこういう態度を取れるのがやっぱり美津未です。志摩くんの目には美津未がきらきらと輝いて見えていましたが、そう見えているのは志摩くんだけじゃありません。「多少ド派手に転ぶことが多い人間だけど/そのぶん起き上がるのもムチャクチャ得意なんだから!」という台詞も恰好いい。

 ライバルや敵役が仲間になったらただのモブ、というのはよくあるパターンですが、ミカちゃんは相変わらずの屈折した面倒臭い性格で安心しました(pp.18~19)。志摩くん中心の巻のなかにさらっとこういう描写を入れてくるのが上手いなあと思いました。
 

    

『メルカトルと美袋のための殺人』麻耶雄嵩(集英社文庫)★★★★☆

 再読。講談社文庫版も持っているのですが、今回は集英社文庫版で読みました。
 

「遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる」(1992)★★★★☆
 ――昨夜初めて紹介されたときには何も感じなかったのに、その日の佑美子はまったく違って見えた。遊歩道沿いの杉林のなかで、転寝を佑美子に見つけられてからだった。だがその翌々日、佑美子は頭を拳銃で撃ち抜いた状態で発見された。妊娠の相手である恩師を殺して自殺したと、状況は語っていた。だがわたしは信じなかった。

 初出は島田荘司鮎川哲也監修『ミステリーの愉しみ 5 奇想の復活』ですが、島田氏によるのちの「20世紀本格」を連想させるような仕掛けが扱われているのは恐らく偶然でしょう。この真相は掟破りぎりぎりだとか、そんなことは気にならないほどに、メルの推理でどこまでも説明されてしまいます。美袋に起こったある出来事による犯行の予見だけならそれはそれで普通のよくできたミステリなのですが、麻耶作品の意地の悪いところは、美袋のメルに対する深層心理さえも語り手の目撃証言に影響しているところや、佑美子に対する恋心にすらメスを入れてしまうところです。いちおう犯人も論理的に指摘されているものの、もはや犯人なんて誰でも構いません。
 

「化粧した男の冒険」(1994)★★★☆☆
 ――学生時代の友人がオーナーをしているペンションで、大学生グループの宿泊客が殺されていた。奇怪なことに被害者の男は死後に化粧を施されていた。翌日に「外せない用事」があるというメルは、警察が来る前に事件を解決しようと、ゼミの五人を締め上げた。

 化粧した男の死体という奇っ怪な表象に惑わされず、化粧されていることの意味から、消去法でまたたくまに犯人を指摘してしまうメルカトルの頭のキレが冴え渡っていますが、続く「小人閒居為不善」に連なるような悪意の冴えも垣間見えています。
 

「小人閒居為不善」(1994)★★★★☆
 ――退屈をもてあましていたメルは、遺産目当てに甥が資産家の老人を殺したニュースを引き合いに出し、「身近に危険・不安を感じている方、相談・調査承ります」というダイレクトメールを送りつけたことを明かした。果たして引退した老画家が訪れ、猫がいなくなったのは自分が殺される前兆だと訴えるのだった。

 まさに本書タイトルにある通り「メルカトルのため」の殺人事件です。そして古今東西さまざまな名探偵がいましたが、メル以外には扱えない事件でもあります。メルの極悪っぷりが最悪の形で発揮されています。メルに昭子嬢という秘書がいたことなどすっかり忘れていました。
 

「水難」(1995)★★★☆☆
 ――美袋が境内で見たセーラー服の少女は幽霊なのか。扉にペンキで「死」と書かれた土蔵から見つかった女性二人の死体も、少女と同じ十年前の土砂崩れの生き残りだという。メルカトルは心霊探偵物部太郎を名乗り、関係者から事情を聞く。

 美袋も鬼畜なことが明らかになり、なるほど「美袋のため」の事件でもあるようです。メルが物部太郎を名乗るのにも、ちゃんと鬼畜な理由があることが最後に判明していました。別々の二人が土蔵のなかで見つかったのは、確率の低い偶然が重なった結果ですが、この程度の偶然など、麻耶作品のなかでは驚くには当たりません。
 

ノスタルジア(1997)★★★☆☆
 ――帰省中に呼び出したメルの用件は、自作の犯人当てを正解してみろ、というふざけたものだった。見事正解できたら失明しそうな従兄弟のため角膜を都合してもらい、不正解ならメルの原稿を代わりに掲載しなくてはならない。「上杉家の兄弟は二人とも医者と刑事になり、父親の跡を継いだりはしなかった。そんななか謙信公の死体が雪密室で発見された……」

 タイトルを見ても少しも内容が思い出せませんでしたが、メルによる作中作でしたか。内容はメル作なので屁理屈を理屈と言い張るたぐいです。なぜメルが犯人当てなど書いたかといえば、美袋に嫌がらせをするためでしかありません。
 

「彷徨える美袋」(1997)★★★☆☆
 ――目が覚めると見知らぬ場所にいた。後頭部にこぶができている。山の中を歩いてなんとかペンションにたどりついた。そこには大学時代の友人・大黒の弟がいた。そもそもその大黒からシガレット・ケースが送られてきたのが始まりだった。弟によれば大黒は行方不明。現在宿泊している絵画サークルのメンバーを疑っていた。

 どんどんメルの悪意がエスカレートしてゆき、とうとう、美袋目当て+「小人閒居……」というところにまで行き着いてしまいました。美袋の無罪と犯人の特定がさらっと描かれていますが、実際それはおまけみたいなもので、メルの狙いこそが肝のようです。
 

「シベリア急行西へ」(1988,1997)★★★★☆
 ――私とメルはタダでもらった旅行券でシベリア急行十二日間の旅に参加していた。ほかの乗客には人気作家の桐原や、メルに言わせると財産目当ての仰木麻衣と仰木氏、正体のよくわからない剣らがいた。事故のため列車が急停車したあと、桐原が背後から銃で撃たれて殺害されているのが発見された。

 デビュー前の短篇が元になっていることもあり、メルによる悪意のエスカレートの流れはストップしています。内容に関していえば、例えば雪密室における「雪が降り止んだ前か後か」という問題が、「急停車の前か後か」という形にアレンジして用いられていたり、一つの事実からいくつかの解釈がなされて二転されたり、と、古典的なミステリとしての工夫や構成がしっかりしています。けれどそれよりも最後の一文の恐ろしさが何より印象に残ります。メルが絡んでいなくともやはり美袋は命の危険にさらされてしまうようです。
 

「名探偵の自筆調書」(1997)★★★☆☆
 ――「美袋くん。なぜ屋敷で殺人が起こるか教えてあげようか」メルカトルが暇そうに呟いた。「最も安全な殺害方法はわかるかい?」「暗い夜道で通り魔的にぽかりと殴ったらいいんじゃないのか」「動機がなければね。動機があればいずれ警察が辿り着く」

 短編集を読んだついでに単発ものも再読。講談社ノベルスで活躍する「名探偵」たちによる「自筆調書」という連載企画で、麻耶氏のものは講談社文庫の宣伝雑誌『IN★POCKET』1997年8月号に掲載されました。作品の最後に「自筆」のサインが記されています。ただしこの作品の場合は「名探偵」といってもメルではなく美袋です。上記二つの理由により、麻耶雄嵩名義ではなく美袋三条名義の作品となっています。

 美袋の鬱屈した思いと、すべてお見通しのメルの姿は、短篇集『メルと美袋のための――』でも描かれていました。「安全な殺害方法」を巡る思考実験の果てのメルの結論は、まるで何かの作品の前日譚のようです。
 

「愛護精神」(1997)★★★☆☆
 ――近所に住む昭紀青年が庭に穴を掘っているのは、多美未亡人の飼い犬が死んでしまったのを埋めるためだ。そのとき勝手口から多美が顔を見せた。「まあ、美袋さん」。財産目当てで老人と結婚したの、夫の死後は夜な夜な別の男を連れ込んでいるだの、よくない噂を聞く。そんな多美にメルカトルへの相談を頼まれた。曰く、死んだ犬は殺されたのだ、多美を殺すのに犬が邪魔だから――。

 小説現代1997年9月増刊『メフィスト』掲載作。麻耶氏の作品にしては比較的おとなしい印象を受けますが、ほかの短篇集と同様に、もし連作が書かれていれば、徐々に著者の意図が明らかになる趣向だったのでしょうか。実際「殺されたのは○○だと判った」、「メルがこの事件でどんな役得をしたのか」等、謎は残ります。まあ後者は、美袋を危険な目に遭わせることだけが目的だったか、実際に夜な夜な通っていたうちの一人がメルだったか、のどちらかだと思いますが。犬が死んだ理由から犯人の目的をたどってゆく推理とその過程は、シンプルですが大胆です。死体の隠蔽だけに留まらず、「名探偵の自筆調書」に書かれていた「安全な殺害方法」のバリエーションをも企んでいたところに犯人の性格の悪さが滲み出ています。
 

「名探偵の自筆調書」George Shinano(1997)★★★☆☆
 ――「名前は?」「形式的な質問はやめましょうって。信濃譲二。一九五九年十二月二十四日生まれ。定職なし。ほかには?」「てめえ、立場をわかってるのか!」と怒声をあげた望月を追いやって、増山がたずねた。「寒くないのか?」三月下旬なみの冷え込みのなか雨も降っているというのに、この信濃という男ときたらタンクトップにビーチサンダルだった。

 麻耶作品を読んだついでに『IN★POCKET』の1997年7月号に掲載されている歌野晶午氏の「名探偵の自筆調書」も読みました。作者は歌野晶午ではなくGeorge Shinano(信濃譲二)名義です。信濃譲二が取り調べを受けているという衝撃的な内容ですが、最後まで読めば納得。そういう設定でしたね。信濃譲二がビーチサンダルを履いている理由が判明します。

  

『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション 恋』東雅夫編/谷川千佳絵(汐文社)★★★☆☆

「幼い頃の記憶」泉鏡花(1912)★★★☆☆
 ――五つくらいの時と思う。船に乗って、母の乳房を摘み摘みしていたように覚えている。そばに一人の美しい若い女のいたことを、私はふと見出した。今思ってみると、十七ぐらいであったと思う。いかにも色の白い、瓜実顔であったことを覚えている。

 タイトル通りの幼い頃の思い出が、およそあり得ないほど事細かに語られていることを考えれば、偽の記憶なのでしょうが、初恋とも言えぬ淡い記憶に、郷愁を覚えます。
 

「緑衣の少女」佐藤春夫(1922)★★★☆☆
 ――于生という若者が僧房で読書に耽っていると、窓のそとに若い女性の声が聞こえた。緑の衣を着たたおやかな少女であった。于は一目にその少女が人間でないと感じたが、心から好きになってしまった。その夜、少女は若者の許に泊った。下着は透かして見える絹で、紐をといた腰は掌でまわるほど細かった。それから後、少女の訪れない夜はなかった。

 一種の異類婚姻譚のような内容ですが、「緑衣」からこの正体はなかなか連想しません。また、昔話ではなく小説なので、鶴のようにわざわざ別れの挨拶はせずに、ひっそりと姿を消します。この二点によるものでしょうか、鏡花作品同様、淡い印象の残る作品です。
 

「鯉の巴」小田仁二郎(1953)★★★★☆
 ――内助は沼のほとりに住んでいて、獲れた魚を生簀にはなして、溜まったところで町に売りにいく。一匹だけは売らない。女鯉である。左の鱗に巴の模様があるのを内助は可愛がった。わかれているのがつらくなって、巴をだきかかえ家のなかへ連れて帰った。巴も陸にいるのにだんだんなれてきた。

 笑顔の描写が「にこにこ」ではなく「にやにや」など、そこはかとなく気持ち悪さは漂っていましたが、作者の手癖みたいなものだと読み流して、「蜜のあはれ」のような魚との幻想譚なのだろうと思っていると、突如として凶暴に変態化します。――というより、魚の話ではなく人間の女性相手の話だと思えば有り体な内容なのですが、それを単純に魚に置き換えるだけなので途端に気持ち悪くなります。そしてまた唐突な復讐譚へ。最後の一文が怖いようでいて、でも実は単に実家に帰っただけだと思うとお間抜けですらあります。全体を通して作者の頭のおかしい感じが怖かったです。
 

「片腕」川端康成(1963~1964)
 

「月ぞ悪魔」香山滋(1949)★★☆☆☆
 ――興行の失敗からコンスタンチノープルに逃げて餓死を待つばかりの私の前に、片足の老婆が現れて、女を一人預かってくれと言う。スーザというその美しいペルシア女は巧みな腹話術を用いて名声を得た。ある夜、私はスーザへの情火を抑えられなくなった。

 人工人面瘡。香山滋のB級を、私は楽しめないタイプです。
 

押絵と旅する男江戸川乱歩(1929)
 

「影の狩人」中井英夫(1979)★★★★☆
 ――青年が彼に初めて逢ったのは行きつけのスナックで、カウンターに並んだ客と頻りに悪魔の話に興じているのが関心を唆った。二度めに逢ったときは夭折した天才について話していた。三度め、すぐ隣に坐ることができた。「物事の影の部分がお好きなようですね」この人物は、影のコレクターというべきか、それとも影の狩人といったらいいのか。

 一方的に同性愛傾向を期待する青年はどうやら野暮の極みだったようで、ものごとには――それも同性愛と○○○には様式美が必要なようです。様式美のための様式ともいえるような、無意味にも思えるこだわりが――無意味だからこそ、美しさのためだけに奉仕する真の美しさなのでしょう。
 

「菊花の約」上田秋成(1776)
 ――播磨の国に丈部左門といふ博士あり。同じ里の何某の許に訪ひしに、壁を隔てて人の痛楚む声あり。主に尋ぬるに、「西の国の人に一宿を求められしに、その夜邪熱劇しく出でけり」と答ふ。左門、同胞のごとく病を看るに、その武士赤穴、左門が愛憐の厚きに泪を流して、諸子百家のことなど日夜交わりて、終に兄弟の盟をなす。赤穴、やがて一たび下向りて重陽の佳節に帰り来ると云ふ。

 幻妖チャレンジ!のコーナーは『雨月物語』よりの一篇です。編者による現代語訳付き。病死なり何なりだったと勘違いして記憶していたのですが、実際には自害&言いがかり復讐とかいうド変態な内容でした。『雨月物語』なんて大半が執着の話ですし、美談とか武士道ではない妄執が恐ろしい話です。

  

『首折り男のための協奏曲』伊坂幸太郎(新潮文庫)★★★☆☆

 首を折って人を殺す殺し屋「首折り男」に関連する短篇と、探偵の黒澤が登場する短篇から成る、異なる媒体に発表された短篇を集めてまとめたオムニバス作品集です。
 

「首折り男の周辺」(2008)★★★★☆
 ――定年後の若林夫妻がテレビを観ていて気づいた。「これ、隣のお兄さんじゃないかしら」。首を捻って人を殺した容疑者の特徴が、隣の部屋の大柄な住人と確かによく似ていた。その男が銀行のATMの列で怒鳴っているのを見て、やはり危険な人間なのだと確信した……。……気の弱い小笠原は、大藪という男と間違われて声をかけられた。待ち合わせに来ない大藪の代わりに人に会いに行ってくれ。物騒な話だとは思ったが、気弱ゆえに断りきれなかった。

 この短篇自体が複数視点からなるオムニバス形式になっていて、首折り男の隣人である若林夫妻、物騒な仕事に就いている大藪によく似た小心な小笠原、いじめられっ子の中学生・中島の話が、ゆるやかにつながってゆきます。若林夫妻が目撃した大藪の「誰かに親切にしたい病」が、やがて小笠原や中島少年にも影響を及ぼしてゆくという点、やはり首折り男が中心に話が回っています。
 

「濡れ衣の話」(2010)★★★★☆
 ――刑事さん、冷酷無比の殺人鬼であったならどんなに楽でしょうか。人を殺しても心を痛めなくてすむでしょう。あの女が殺されれば、犯人は私だと名指しされるでしょう。今になって後悔しています。ですがあの女は息子の命を奪っておきながら、のうのうと暮らしていたとは。

 濡れ衣はふつう着せられるものですが、これは濡れ衣を自分から着る話です……と思ってよくよく辞書を確認したら、広辞苑には「濡れ衣を着る」の形で載っていました。「首折り男の周辺」でちらっと言及されていた事件の一つの詳細です。
 

「僕の舟」(2011)★★★★☆
 ――意識もなく寝たきりの夫の横で、若林絵美は黒澤からの報告を聞いていた。若い頃に四日間だけ出会った“ロマンス”の相手をさがしてほしい。それが絵美の依頼だった。

 第一話「首折り男の周辺」に登場した若林夫人が主役の話です。「首折り男の周辺」以上にかっちりと嵌るべきところに嵌っている話ですし、出来すぎという点では「濡れ衣の話」のようなコントみたいでもありました。
 

「人間らしく」(2013)★★★☆☆
 ――黒澤は釣り堀で知り合いになった女から、妹の夫が母の介護を押しつけたうえに不倫をしているから証拠をつかんでほしいと頼まれた。出版社とのトラブルがきっかけで知り合った作家の窪田は、クワガタは縄張り意識が強いので一匹ずつ飼わないといけないと言っていた……。……中山少年は塾でいじめられていた。以前そのクラスにいた生徒は、いじめられて背骨が曲がってしまったらしい。

 探偵の黒澤が再登場……と思ったら、首折り男というタイトルながらどちらかといえば黒澤の話ばかりでした。三つのパートで構成されていますが、各パートをつなぐ譬喩があまり効果的ではありません。チャップリンの映画と特殊効果が次の「月曜日から逃げろ」への前奏曲になっていました。
 

「月曜日から逃げろ」(2013)★★★★☆
 ――黒澤はテレビ局の久喜山から、“裏の仕事”をネタに、いつの間にか久喜山の家に飾られていた盗品の絵画を元の持ち主の家に忍び込んで返してきてほしいと脅された。仕方なく言うとおりにしたが、忍び込んで金庫から金を盗るところをしっかりと録画されていた。

 前話と同じく釣り堀から始まる黒澤ものは、実験的ともいえる構成が印象に残ります。手法自体はさほど珍しくないとはいえ違和感なく仕上げているのは泡坂妻夫にも似た職人魂を感じます。
 

「相談役の話」(2010)★★★☆☆
 ――山家清兵衛伊達政宗の家臣であり、正宗の息子秀宗の相談役として仕えていたが、汚名を着せられ暗殺された。死後、暗殺に関わった者たちが不審死し、祟りだと恐れられた。学生時代の知り合いが父親から新しい子会社を任され、相談役に側近をつけたが、その側近が車に轢かれて即死したという。「そっくりじゃないか」と知り合いは言った。

 語り手が嫌な知り合いへの意趣返しに、浮気の証拠をつかまえてやろうとして、依頼するのが、探偵の黒澤です。とはいえ完全な脇役です。内容も純然たる怪談で、さほど面白味はありません。
 

「合コンの話」(2009)★★★☆☆
 ――合コン依存症の井上は、臼田と尾花を誘っておきながら、直前になって欠席した。代役の佐藤は見るからに冴えない男だった。加藤が合コンに参加したのは、井上にひどい目に遭わされた知り合いの復讐のためだ。それなのにその井上が欠席とは。江川は信じられなかった。元カレの尾花が合コンに参加しているとは。しかも現在彼女がいるというのに。オーディションの結果を待っている木嶋にかかってきたのは父親からの電話だった。近くで俳優が首を折られて殺されたのを心配していた。

 第一話からしてそもそも、首折り男に関連しているともしていないとも言えるようなゆるやかなつながりでしたが、この作品ではつながりがいっそう希薄になり、ほぼ無関係といってもよいのですが、大藪が直接登場する場面以外にも、父親からの電話や佐藤の冗談など、首折り男の存在は強く刻まれていました。オムニバス短篇集の掉尾は、やはりオムニバス風にいろいろな断片の混ぜ合わされた短篇でした。

  


防犯カメラ