『鳥居の密室 世界にただ一人のサンタクロース』島田荘司(新潮社)★☆☆☆☆

 京大時代の御手洗が登場する進々堂シリーズの長篇です。

 数ある御手洗もの長篇のなかでもぶっちぎりの失敗作でした。

 ぼくという語り手が透明すぎて存在感がなく、地の文でも心情をほとんど発することがないため、小説といよりも御手洗の台詞だけが書かれた台本のようにメリハリなく物語が進んでゆきます。そのせいで、エキセントリックな御手洗の台詞も御手洗本人の台詞というより、御手洗の物真似芸人が本人の言いそうな台詞をなぞっているような空々しさしか感じませんでした。語り手の受け答えが幼稚なのはまだ十代の予備校生と考えれば目をつぶるべきなのでしょうか。

 当然のことながら事件そのものもメリハリのない文章の犠牲となり、あの本格ミステリー宣言の著者とは思えないようなただの推理クイズになっていました。

 ただし本書の場合は実際に推理クイズや理科の実験レベルの真相ではあるのだけれど。それでもこれまでの著者は謎の見せ方が抜群に上手かったので、たとえ真相がしょぼくても面白かったのです。ところが本書では、序盤で御手洗が真相に気づいて叫んだ時点でほぼ真相は見えているにもかかわらず、そこから過去パートに戻ってまた同じ現象を謎として書き起こすというひどい構成でした。

 〈鍵と糸〉テーマの密室アンソロジーに書き下ろす予定だった短篇が長篇化したという事情はあるにしても。

 ほかにもお粗末なところを数え上げればきりがありません。

 最後に「ん」がつくと負けというしりとりのルールをわざわざ説明する意味がわかりません。しりとりのルールを知らない読者がいると?

 少女がサンタクロースを信じているから、夢を壊さないために殺人の罪をかぶり続ける……八歳のころならまだわかります。冒頭で今も信じているとは本人が断言していますが、さすがにもう十八歳です。どれだけメルヘンに生きているんでしょうか。

 殺人容疑者が子ども時代に経験したオリンピックのチケットのエピソードが、ネットのコピペで有名な野球のチケットのエピソードそのまんまでした。おそらくオリジナルとなる何らかの原典があるのでしょう。あるいはすでに一つの型になっていると考えるべきなのかもしれません。

 これまでの著者の作品では、とても現実とは思えない出来事が鮮やかに解明されてきました。ところが何と、本書冒頭の落ち武者集団の真相は、【ネタバレ*1】だった――という唖然とするものでした。これなら何でもありですよね。

 それからこれは小説自体とは関係ありませんが、講談社の御手洗ものは凝った装幀の単行本が多かったのに対し、新潮社の本書は装幀もかなりテキトーで、手に取った時点でわくわく感に乏しかったです。

 時計の飾られた喫茶店で一つの時計だけが何度止めても動き出すという怪事件が起こった。やがて喫茶店の女主人・美子のもとに弟から電話がかかってきた。自宅で妻が死んでいる。娘の楓が母の死体を目にしないようにすぐに向かってくれ。美子が弟の家にたどり着くと、すでに警察が到着していた。弟が線路に飛び込み自殺したという。弟の家は窓もドアも鍵が閉められている完全な密室だった。警官が窓を壊して中に入ると、弟の妻が首を絞められて死んでいた。子ども部屋に行くと楓はまだ眠っていた。そして枕元にはサンタクロースの贈り物が。これまでプレゼントとは無縁の家庭だったうえに、現場が密室だったため、本物のサンタクロースが来てくれたのだと、八歳の楓は信じた。弟の遺書から、弟の会社の従業員・国丸が逮捕された。

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 鳥居の密室 


 

 

 

 

*1振動によって不調に陥った人物の幻覚

 

『丘の上 豊島与志雄メランコリー幻想集』豊島与志雄/長山靖生編(彩流社)★★★☆☆

 『レ・ミゼラブル』翻訳で有名な著者の作品集です。『文豪怪談傑作選・昭和篇』に二篇が収録されていたので、読んでみました。徹頭徹尾内省的で、ちょっとはずした結末をつける作風は、繊細とうじうじの間の揺れ幅が大きかったです。
 

「蠱惑――瞑目して坐せるある青年の独白――」(1914)★★★☆☆
 ――私がその男をじっと見つめたのはそのカフェーだった。男は私の卓子と並んだ卓子に着いた。私は喉が渇いていたので紅茶を二杯のんで林檎を食った。その時彼も紅茶を二杯のみ林檎を食ったのだ。女中が私の方をふり向いてくすりと笑った。すべてに腹立っていた私は勘定をして立ち上がった。その瞬間彼の眼が異様に輝いて私の胸を射た。何かを盗まれていると感じた。私が自分の世界の中心に瞑想している時、彼が突然やって来る。彼があの眼で私の魂をじっと見つめるとしたら……決して油断してはいけないんだ。

 語り手の主観的には感覚器を共有するドッペルゲンガーのようなものも、実際には他人の視線を気に病む神経症の症状でしかありません。自らの物真似に無自覚で、視線によって物の魂を抜かれると信じるサイコパスの「~なんだ」という口調が、自分に言い聞かせようとしているようで恐ろしい。憑物が落ちたようになってからもなお対象を移すだけで、最後になっても治っていないのが哀しくありました。
 

「悪夢」(1923)★★★★☆
 ――私は時々、変梃な気持になることがある。こんな生活が毎日続くとは。ああせめて、力いっぱいぶつかってゆけるものでもあったら……。然し都会の真中では体力を要求するようなものはない。私はふと足を止めた。眼の前の惨めな男を殴りつけるという意志にはっきり気づいた。無理に引離した視線の先に、硝子器具を扱う店があった。

 冒頭のサラリーマンの通勤ルーチンが現在とまったく同じことに衝撃を受けました。通行人を殴りたくなったり店に石を投げたりと、完全に抑圧されていることの限界が訪れています。子犬と少女はどちらも弱そうに見えてたくましいものの象徴でしょうか。道に落ちていた小銭一枚に救いを見出す感覚があまりにも救いがなさ過ぎて悲しくなりました。
 

「都会の幽気」(1924)★★★★☆
 ――都会には、都会特有の一種の幽気がある。或る夜、変なものに……いや変な気持に出逢ったのである。ふと、後から誰かついて来るような気配を私は感じた……といって足音も声もなく、ただその気配だけが風のようについてくる。

 『文豪怪談傑作選・昭和篇 女霊は誘う』()で既読でしたが忘れていたので再読。またドッペルゲンガー神経症の話だと思っていたら、心霊譚になるのは驚きました。翻せば心霊現象なんてどれも神経の話と思うこともできます。
 

「丘の上」(1925)★★★★☆
 ――丘の上の木立の外れの叢の上に、彼等は腰を下ろした。「あああれですね」「晴れた日は大抵光ってますの」「妙な景色だ。平凡な丘と、畑の眺めと、それが地平線のところに帯のような海がきらきら光っている……」「あんまりです」「海とは違うと言うんですか。行ってみなければ分らない。ただそれだけの違いです」

 丘の上に腰掛けて行軍を眺めている男女の会話を中心にして、死のイメージに彩られた作品です。死体など直接的な死も登場するなかで、日射病になって倒れる兵隊のイメージが鮮やかでした。
 

「常識」(1934)★★★☆☆
 ――富永郁子と坪井宏は互いに享楽の道具にすぎなかった。あなたの涙がなかったならば、私は恋愛の楼閣を築き初めはしなかったろう。それ故に農園の計画に本気で身を入れたのだ。そんなときにあなたの裏切りが起った。これについて私の認識は明確ではない。だがあなたはこう云った。「みますの娘と御自分とのことはどうなの」

 さすがにひねくれた感受性の持ち主の話ばかりだと食傷してしまいます。向き合わずに逃げていられたら、きれいごとで済ませられるでしょう。
 

「食慾」(1935)★★★☆☆
 ――「お前は胃腸も悪いかもしれないが、神経衰弱かも知れないよ」野口は安っぽく片付けてしまいました。木村さんの側では私は野口に感じるような圧迫は感じませんでした。

 胃腸の弱い妻を憐れみおかしな理論を信奉する野生の獣のような匂いのする夫……浮気相手との情事がどこまでも美しく描かれているのに対し、ギャグのようなくそみそぶりです。
 

「逢魔の刻」(?)★★☆☆☆
 ――昔は逢魔の刻というのがいろいろあった。現在、吾々の生活にも――特に精神生活にはそういう逢魔の刻がいろいろある。「こんなことをして一体に何になるか」というのがそれだ。其奴は、真理の面と詭弁の面とを二重に被っている恐るべき魔物だ。草津旧街道の茶店で出会った木挽が、「一体何になるんだ」という体験を聞かせてくれた。

 壮大なものに触れて、自分のしてきたことが「一体に何になるか」と感じる感覚を、意識高い系の語り手が斜に構えて「そんなのしょっちゅうですけど」「植物や動物はそんなこと感じてませんけど」と胸の内で思う小説です。のーてんき過ぎる人につっこみを入れたくなる気持はわかるけれど、語り手があまりに痛々しい。
 

「球体派」(1929)★★★☆☆
 ――立体派をもう一つ先の球体派というところにまでつきぬけるんだ。友人はそうくり返していた。人間の眼球は測り知られぬ美を持っている。恋人の眼をのみ美しいと云う勿れ。だが、眼球をもに美しいと云う勿れ。私はその時、撞球象牙の球を頭の中に眺めていた。いや凡て球形のものには円満具足の美がある。

 球体こそ究極の美であるという結論に至った芸術家二人は明らかに死を希求しているように見えます。現実的に考えれば遠くから見たらどんなものであれ凹凸はつぶれて丸っこく見えるに決まっているのですが、こじつけてしまう精神状態にこそ問題があるのでしょう。あるいは落下する人体を球体に結びつけられる感性を繊細と讃えるべきでしょうか。
 

「奇怪な話」(1933)★★☆☆☆
 ――私の故郷の村中に無気味な隘路がある。夕暮、上方の茂みを貫いて、ぶらりと、大きな馬の足が一本垂れ下る……という。私はこれに似た事柄を、人間について経験したことがある。寝台車のカーテンからはみ出た足が引込んだ瞬間に、私はぞっとしたのだった。人体の一部は、それが人体から切り離されて、別個のものとなる時、不気味さを持つようである。

 これは小説というには構成が立っておらず、三つの話を〈奇怪〉というキーワードだけで連ねたエッセイだと思います。正気と狂気の穴の話や鯰の話は蛇足というべきか、せっかくの人体の不気味さの話が活かされていないというべきか。馬の足の話は豊島の故郷・福岡県に伝わる怪異のようです。
 

「碑文」(1940)★★★☆☆
 ――大地主の崔之庚は若い頃に財宝の詰まった壺を拾って財を成したと云う。二十五も年下の崔範を妻にしていた。あるとき崔範が黒い鳥を見てそのまま意識を失ったが、他人に妻を触れさせたくない崔之庚が医者を拒んだため崔範は息を引き取った。崔範の甥である曹新は崔之庚を怪しんだが、事情をたずねた使用人の徐和が岩に潰されて死んでしまった。
 

「白塔の歌」(?)★★★☆☆
 ――荘太玄は今もその見識徳望の高きを以て聳えていた。だから息子の荘一清が方福山に招待されるのはわかるが、その友人である貧しい王紹生が招待される理由がない。民族運動家をまとめて招待するところに裏面の意図があるのではないか。招宴には柳秋雲も出るらしい。柳秋雲は新時代の女性の玩具を持って来てほしいと頼んだ。それは拳銃のことであった。

 どちらも現代(?)中国を舞台にした『近代伝説』の一篇。内省的で観念的なこれまでの作風とは違い、ちゃんと物語も書けるのだと驚きました。
 

「秦の憂愁」(1944)★★☆☆☆
 ――星野武夫は上海に来て、詩人の秦啓源に逢いたかった。太平洋戦争が始まってから彼はふいに支那へ帰った。失恋という風説もある。大使館から帰還させられたという風説もある。公金を横領したという風説もある。

 これまたがらりと作風が変わり、中国人の政治的苦悩。
 

「沼のほとり」(1946)★★★★☆
 ――佐伯八重子は、戦争中、息子が動員されましてから、その兵営に面会に行きました。帰りは夕方になりました。東京方面への切符は売りきれてしまった。そういう時代だったのであります。八重子は腰掛の上で眼をつぶりました。「あの……失礼ではございますが……面会からのお帰りでは……。宿にお困りのようでしたら、どうかおいで下さいませんか。」

 現代日本を舞台にした『近代説話』の一篇。東雅夫編『文豪怪談傑作選・昭和篇 女霊は誘う』で既読。怪談なのかどうかすらわからない不思議としか言いようのない作品で、人の縁の不思議さを感じさせたかと思うとその邂逅自体が幻だったと明かされます。
 

「聖女人像」(1947)★★★☆☆
 ――私は病気らしい。普通の通念の病気ではないにしろ。私は自己の孤独圏を確立したい。婆やは引っ込んでくれるが、研究所の久子はそうはいかない。「私、先生より先に死にたい」。死に際がどうではなく、久子はかつて同性愛を超えた深い情愛を結んでいた清田のおばさまのことを思い出したのだ。研究所の窓から外を眺めている時、私は久子にキスをした。私は偶然を軽蔑しない。然し、これが清子だったならばそのようなものは不要だっただろう。

 もちろん「蠱惑」「悪夢」「都会の幽気」などはどれも現実ではないものを視てしまう神経症者たちが登場するのですが、孤独を愛して妄想のなかの理想の女性を現実の女性と引き比べるこの作品は痛々しさが伴います。p.247「軒の屁」は「軒の庇」の誤記か誤植だと思われます。
 

「絶縁体」(1952)★★★★☆
 ――隣に住んでいる市木さんは、近所からは変人だと思われていた。もう六十歳近い年配だと見えるのに、幼い一男一女があり、妻も女中もいなかった。隣家との境にある竹垣が颱風で壊れてしまったが、市木さんの家に所属するものなので、私がうっかり手をつけるわけにはいかない。だが市木さんは放りっぱなしだった。私の方から切り出すと、区切りもないのはいけませんな、と云って二尺ばかりの四つ目垣を作ったので、家はまる見えのままだった。「退屈な時は、跨ぎ越して遊びにいらっしゃい」

 近所の変人を描いた作品です。変人といってもそれなりに筋は通っていて、そこが妙な魅力でもありますが、筋が通っているだけに厄介でもありました。実際、垣根の話だけならちょっと変な人で済んでいましたが、遺骨や水道や怪我の話まで来ると要注意人物です。

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『7人の名探偵 新本格30周年記念アンソロジー』文芸第三出版部編(講談社ノベルス)★★☆☆☆

 新本格30周年を記念した〈名探偵〉がテーマの書き下ろしアンソロジー。シリーズ探偵を登場させたのは7人中4人。そのうえ真剣に取り組んだ作品というよりもお祭り用のやっつけ仕事が多く期待はずれでした。
 

「水曜日と金曜日が嫌い――大鏡家殺人事件――」麻耶雄嵩 ★★★★☆
 ――スマホを落とし山道で迷った美袋三条は、偶然たどり着いた大鏡邸に宿を請う。子どものいない故・大鏡博士が引き取った四人の養子は“門外不出の四重奏団”として知られていた。露天風呂から上がり窓の外を眺めていた美袋は、黒ずくめの長身の男が小屋に入ってから出てくるのを目撃した。メイドに聞くと、亡き大鏡博士がよくそんな恰好をしていたというが――不審を感じた美袋が小屋に入ると、血溜まりと凶器と四大呪文のメッセージがあったが、肝心の被害者がいなかった。

 過剰なまでに『黒死館』ネタがまぶされ、その結果“今鏡家殺人事件”『翼ある闇』も意識せざるを得ない、セルフ・パロディのような作品。メルカトルと美袋が登場するのが嬉しいところですが、メルカトルがいつも以上に投げっぱなしなので、真相の周辺がわからずもやもやします。種なしの博士が何かとのハーフの誕生を目論んでいたと想像することもできますが、何の根拠もない妄想にすぎません。タイトル「水曜日と金曜日が嫌い」の意味もわかりません。クラシックやバレエでもないようです。
 

毒饅頭怖い 推理の一問題」山口雅也 ★☆☆☆☆
 ――嘘のうまい鶯吉は、やがて大店の主人となったが、五人の息子が揃いも揃ってボンクラばかりだった。大番頭を養子に迎え息子たちには勘当を言い渡そうとしている最中、大皿から大好物の饅頭を頬張っていた鶯吉が苦しそうに胸を押さえて昏倒した。息子たちの誰かが毒を盛ったと考えられるが……。

 近著『落語魅捨理全集』の無門道絡が探偵役。山口氏のメタと小ネタは本当にくだらなくてイライラします。「饅頭怖い」はほぼ無関係だし、有名な論理パズルをそのまま謎にする見識を疑いますし、その挙句に真相は取ってつけたようでした。
 

「プロジェクト:シャーロック」我孫子武丸 ★★★★☆
 ――最初はそれは、日本の警視庁の木崎という職員の暇を持て余した趣味のようなものだった。名探偵といえる条件は何だろうか。「誰がなぜどのようにそれを犯したか」について答える者である。木崎は「定石」――古今東西推理小説のロジック、トリックを抽象化して取り込んだ。ソースを公開したことでさまざまなプログラムや定石が増えていった。

 シリーズ名探偵ではなく、シャーロックと名づけられた「帰納推理エンジン」の話です。プログラムやデータベースにあること以上のことはできないという限界とその抜け穴はそれとして、もう一つの抜け穴(=そもそも犯罪に見えなければいい)はごく古典的だったりしました。シャーロックが途中からギリシア文字でSを表すΣと呼ばれるようになるのは、Σを横にすればMになることを考えると象徴的です。
 

「船長が死んだ夜」有栖川有栖 ★☆☆☆☆
 ――仕事中に殺人事件を聞きつけた火村と私は現場に向かった。船長と呼ばれている隠居した船乗りが刺殺され、なぜかポスターが壁から剥がされ燃やされていた。二人の女性と三角関係にあったようだが、防犯カメラに映った犯人は周到にもビニールシートをかぶって身体を隠していた。

 あまりにもゆるい犯人特定のロジックと、何の必然性もない犯人への罠。ロジックは二段構えですらまだ弱いですし、罠に掛かったところで決定的な証拠になるわけでもないのに罠を掛ける意味がわかりません。犯罪現場に野次馬に行く火村と有栖にドン引き。
 

「あべこべの遺書」法月綸太郎 ★★★☆☆
 ――二人の人間が相次いで不審な死を遂げた。互いの遺書が入れ違っていて、しかも死んだのは相手の自宅だった。法月警視が綸太郎に話したのは、そんな不可解な事件だった。しかも最初に死んだ転落死体は転落前に死んでいて、他殺もしくは死体遺棄の可能性が高い。二人は憎み合うほどの恋敵であり、無理心中が妙な形を取ったという線はない。

 綸太郎が「厳密さより、ひらめきが求められる」と述懐しているとおり、可能性を転がしてゆく論理の遊びが楽しい一篇です。しかも警視が情報を後出しにして来るせいで二転三転してしまいます。あべこべの遺書という謎や転がり続ける推理など、これぞミステリの醍醐味とも言える内容ですが、さすがにやや複雑すぎるきらいがありました。
 

「天才少年の見た夢は」歌野晶午 ★★★☆☆
 ――彼の国が弾道誘導弾を発射し、何らかの能力を持つアカデミーの少年少女がシェルターに閉じ込められた。激しい揺れ。真凜が横になって倒れ、名探偵鷺宮藍が目を閉じていた。翌日、真凜が首を吊っていた。絶望から自殺したと思われる。だがその翌日、今度は最年長の月夜さんが首を吊っていた。喉には手で締めた跡が残されていた。

 鷺宮藍という名前は、あとから思えばいかにもな名前ですが、近未来という設定と似たような名前の少年少女とにうまく隠されていました。驚きはあまりありませんでしたが、とはいえそこらへんの描写はやはりうまく書かれています。
 

「仮題・ぬえの密室」綾辻行人 ★☆☆☆☆
 ――京大ミステリ研出身の我孫子武丸が、幻の犯人当て小説があった気がすると話し始めた。すると法月綸太郎も「ぬえ」がどうこうという話だった気がすると言い始めた。だが私、綾辻行人はそんなものまったく覚えていない。

 ただの思い出話です。それが綾辻氏特有の「……」を多用したいらいらする文体で綴られます。

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『終点のあの子』柚木麻子(文春文庫)★★★★★

 柚木麻子のデビュー連作集。ちょっと悪ノリしすぎのものもある最近の作品とは違い、リアルで地に足の着いた登場人物たちに親しみと共感を覚えます。またシリアスな作品も書いてほしい。
 

「フォーゲットミー、ノットブルー」(2008)★★★★★
 ――一体いつ終わるのだろう。希代子の通う私立女子校の最寄り駅はいつ見ても工事中だ。「完成しないところに良さがあるんだよ」という声に振り向くと、青色のワンピースを着た女の子が立っていた。写真家を父に持ち海外暮らしも長い奥沢朱里は、奇矯な言動ですぐにクラスでも浮き始めた。朱里と仲良くなれて興奮していた希代子だったが、学校をさぼって電車に乗ろうと誘われたとき、土壇場で逃げ出した。朱里に言われた「意気地なし」という言葉が刺さった。

 オール読物新人賞を受賞したデビュー作。悪口のセンスを見るに頭はいいのであろう朱里が人間関係には疎くて、朱里を孤立させるためにクラスメイトの会話を誘導するくらい頭も対人スキルもある希代子がでも落としどころがわからなかったりと、誰もが持っている不完全さが描き分けられているので、登場人物の誰をも嫌いにはなれません。なかでも娘を守るために悪気も自覚もなく翻意する母親がリアルで、現実にはこんな人間は大嫌いなのですが、でもこの母親が憎めないのは、娘を愛するがゆえだとわかっているからでしょう。

 タイトルは作中に登場する「勿忘草の青」という絵の具の色に由来しますが、そこに読点が打たれることで「青ではなく、私を忘れて」となるのでしょう。「朱里は、希代子がしたことを大人になっても忘れないだろう」と確信しているにもかかわらず。

 体重が増えたため階段を上るのに苦労するという描写によって、勉強ばかりしていたという事実によりいっそうの現実感が生まれているところが好きです。
 

「甘夏」(2009)★★★★★
 ――森奈津子は生まれて初めて抱く秘密の重さにくらくらした。夏の間に変身しよう。高校に入ってから突如、階級制度が発生し、親友の希代子ちゃんまでもが奥沢朱里という外部生と親しくなっていった。隣のクラスのミッツーに相談して、バスで三十分かかる市民プールで禁止されているアルバイトをすることにした。佐久間さんという大学生のことが気になる。お嬢様校だと知ってからちやほやしだした大学生たちを、ミッツーは切り捨てるけれど……。

 イケてない女子の勘違いによる全能感に、読んでいてはらはらさせられました。若さとは傲慢さであり、周りが見えなくて当然の年頃ゆえに、本書の女の子たちはみんな何かしら自分を肯定して他人を否定してばかりいます。終わらない工事に続いて、酸っぱい甘夏を甘くする譬喩が用いられていました。
 

「ふたりでいるのに無言で読書」(2010)★★★★★
 ――この夏は卓也とのデートで埋め尽くされる予定だった。フラれて一人になりたい恭子は、図書館に足を向けた。……普段は読めない長篇をたくさん読もう。早智子は実は漫画よりも小説を読むのが好きだった。……恭子は早智子に声をかけた。可愛い制服を無頓着にただ着ているだけなのが腹立たしい。「本好きなんだ。どんな本読むの」何の気なしにつぶやいた恭子の問いに、早智子は身を乗り出して語り出した。早智子の語る『危険な情事』のあらすじは面白かった。

 リーダー格の菊池恭子とオタクの保田早智子が主役です。他人の視線を気にする恭子と対照的にいっさい気にしない早智子が、読書という意外なところで繋がりますが、やはり対照的すぎて長続きはしませんでした。わたし自身はマイペースすぎる早智子にすこしいらいらしましたが、それはつまり、わたし自身は他人の視線を気にする側寄りの人間だということなのでしょうか。読書の楽しみが描かれているところが著者らしかったです。
 

オイスターベイビー」(2010)★★★★★
 ――杉ちゃんには誰もが一目置いていた。二十二年で初めての親友。朱里はずっと同性が苦手だった。絵に迷いがない――杉ちゃんはそう言ってくれるけれど、四年間の迷いの末にたどり着いたのが父親と同じカメラだった。恋人の淳之介は就職が決まらず焦っていた。美大を卒業しながら企業のデザイン部を受けるとは、朱里に言わせればプライドがなさ過ぎだ。淳之介が優しくしている美咲のことも、朱里に気があるくせにうじうじしている島根のことも、気に食わない。

 四年後が描かれます。これまでの登場人物は若さゆえに周りが見えていないだけでしたが、ひとり朱里だけは確信的に他人と違う自分に浸りたくて他人を否定して優越感を得ています。就職や『魔女の宅急便』をしたり顔で否定する意識高い系ぶりが痛々しい。そんな朱里と気が合うのが、他人の女だから遊んでいただけの島根だというのが皮肉です。それにしても、もう大人なんだから自分の責任とはいえ、朱里に対する人間関係にしても芸術方面に関しても、瑠璃子さんが無責任に思えてしまいます。「フォーゲットミー」に対するアンサーは「忘れることなどできない」。みんなにとっての乗換駅で、ひとり終点に置いて行かれる朱里には、四年が必要だったのかもしれません。

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 終点のあの子 

『連城三紀彦レジェンド 傑作ミステリー集』綾辻行人他編(講談社文庫)★★★★☆

 綾辻行人伊坂幸太郎小野不由美米澤穂信それぞれの一押しと、第二第三候補のなかから綾辻・伊坂が相談して決めた二篇を収録。
 

「依子の日記」(1980)★★★☆☆
 ――殺人。私から夫までも奪おうとしているあの女を殺害する以外にもう残された道はない。辻井薫は東京の出版社の人間だと名乗った。ある朝、私は夫と彼女の情事を見てしまった。だが出征前にほかの男と関係を持ったことを脅され、私は彼女に屈した。そして二人は私の目の前で情事を続けた。

 二人の相談による選出。『変調二人羽織』所収。読者を騙すためにここまでするか――という企みが、単に読者を騙すためだけではなく作中人物による作中人物への騙しとして構成されているのは、さすがというべきです。複数の男女による愛憎劇がきっちりとはまっています。
 

「眼の中の現場」(1992)★★★☆☆
 ――妻の美那子が駅のホームから落ちて死んだ。一か月後、岡村の許に倉田準一と名乗る男が現れた。妻の遺書にあった浮気相手の名前だった。倉田は岡村の知らない美那子の一面を暴き立てたあと、美那子には死ぬつもりはなかった、あれは遺書ではないと断じた。「俺が殺したというのか」岡村がなじると、「そうは言ってません」と答えた。

 伊坂一押し。『紫の傷』所収。作中人物による作中人物への騙しと男女による愛憎劇という点では「依子の日記」と大同小異ですが、この作品は復讐(?)と観念の殺人の一石二鳥を狙った騙しに特徴があります。登場人物全員が揃いも揃って身勝手すぎるので、全員が不幸になるのは自業自得だとも思います。
 

「桔梗の宿」(1979)★★★★★
 ――娼家の裏露地に沿って流れる溝川から何かを掬いあげるような形に右腕をさし伸べて、その死骸は倒れていた。「一銭松」と呼ばれる客引きだった。右手には白い桔梗の花が握られていた。菱田刑事と私は一銭松が事件直前に入ったという娼家・梢風館を訪れた。一銭松が帰った直後に帰った福村という客が怪しい。福村の相手をした鈴絵という娼婦の部屋には、果たして露台に白い桔梗の鉢があった。

 小野一押し。『戻り川心中』所収の定番です。花葬シリーズ。すごい。「とあるパターンの嚆矢」という小野不由美のコメントがあり、作中の前半ですでにそのパターンの固有名詞も出されているのに、そのパターンだと気づかせないのは、巻末対談で綾辻・伊坂両氏が述べている通り、連城作品に特有のマジックだと思います。場末で虐げられて生きてきた鈴絵や顧みられずに生きてきた矢橋刑事だからこそ、このパターンがいっそうの効果を上げていました。
 

「親愛なるエス君へ」(1983)

 綾辻氏偏愛の一篇ですが、わたしにはよさがよくわかりません。男女や家族がテーマになっていない分、より作り物感が強いというのもあるかもしれません。
 

「花衣の客」(1983)★★★★☆
 ――死ぬ前にもう一度あの朧月の茶碗を見たいという板倉の葉書に応じて、紫津は母が死ぬときに着ていた桜の裾模様の着物を着て病室を訪れた。母が死んだ三十八になり、板倉と一緒に死のうと。父が残した骨董品を見に来る板倉と茶道を教えていた母との関係を紫津が知ったのは十五の時だった。

 米澤一押し。当時は少女だったがゆえに勝負の土俵にすら立てなかった娘の視点で回想される、母と娘と正妻との四角関係。母と正妻との確執を象徴する着物のエピソードが、真相が明らかになることによって反転する。それにしても、真に愛していた相手といい、それを告げるタイミングといい、板倉という男が二重に屑すぎるため、女たちの愛憎の深さに悲劇性がより強まっていると思います。
 

「母の手紙」1984)★★★☆☆
 ――透さん、あなたはこの手紙を、私が死んだ後、受けとることになるでしょう。今の私は、私がいなくなった後、あなたと有子さんが誰にも邪魔されることなく夫婦として幸福に暮らすことを望んでいるのです。姑として私が有子さんに絶えず冷淡にあたっていたのは、私が姑に虐められた仕返しではありません。

 二人の相談による選出。さすがにこの母の理屈には無理があると思うのですが、これまでの自分の人生を正当化しようとして極端に走ったのであればまだ理解の範疇ではあります。そういう意味では、これまでの生き方をずたずたにされた「花衣の客」のあとに置かれているのは配列の妙でした。

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