『幻想と怪奇』7【ウィアード・テールズ 恐怖と冒険の王国】

『幻想と怪奇』7【ウィアード・テールズ 恐怖と冒険の王国】

「『ウィアード・テールズ』――ある雑誌の歴史と、表紙画家たちの横顔」
 パルプ雑誌のカバーワークの良さはよくわかりません。
 

「パルプ・ホラーが映しだすもの」牧原勝志
 

「レッドフック街怪事件」H・P・ラヴクラフト/植草昌実訳(The Horror at the Red Hook,H. P. Lovecraft,1927)★☆☆☆☆
 ――ニューヨークから来たマローンという刑事は、事件の最中に煉瓦造りの建物が倒壊して精神に痛手を負い、木造建築しかないチェパチェットで長期療養中だった。この世ならざる存在を、マローンはつねに感じていた。レッドフック街に注意を向けたのは、ブルックリンに配属されていた頃のことだ。ロバート・サイダムは中世の迷信に造詣の深い老人だったが、毎晩のように外国人やならず者たちを地下室に集めて怪しげな儀式をしているらしい。

 これまで雑誌やアンソロジーなどで、苦手なりにもラヴクラフト作品を幾つか読んで、「これは凄い!」という作品もなかにはあったのですが、本篇は凡作に類する作品だと思います。むしろ人種差別的な描写があるために悪い意味で埋もれずに済んだとさえ言えるでしょう。
 

「アンポイの根」クラーク・アシュトン・スミス夏来健次(The Root of Ampoi,Clarke Ashton Smith,1949)★★☆☆☆
 ――サーカスで出会った八フィートはありそうな大男は、巨人症によくある不均衡な感じがしなかった。わたしが声をかけると、ジム・ノックスは自分が大男になった経緯を語ってくれた。冒険好きの船乗りだったジム・ノックスは遭難してニューギニアの小島に運ばれた。そこで稀少な部族の話を聞いた。女性は九フィートもの身長があるが男たちは普通の背丈だという。旅行者が訪れると、付近の山腹で産出する紅玉をガラス玉と交換してくれる。部族の山を訪れたジム・ノックスは女王と結婚することになったが、いつしか男が女に従っていることに懊悩を感じ始めた。

 没になったのもむべなるかな、巨人の現在の境遇とそうなるに至った過去の奇譚とのあいだの繋がりが雑すぎて、やっつけ感がひどいです。男一人が巨大になったところでどうにもならないのは明白だし、当時の船乗りなら教養がないので潰しがきかないのだろうとはいえいきなりサーカス団員になるのもよくわかりません。
 

「消え失せた女たちの谷」ロバート・E・ハワード/宇野利泰・中村融(The Vale of Lost Women,Robert E. Howard,1967)

「H・P・ラヴクラフトの退化論の進化論――人種という疫病の恐怖」西山智則
 

「レオノーラ」イヴリル・ウォレル/植草昌実訳(Leonora,Everil Worrell,1927)★★★★☆
 ――何度も話してそのたびに「頭がおかしい」と言われてきた。十月、十六回目の誕生日の晩、マーガレットの家から帰る途中、自動車が駐まっていた。わたしはその夜、恋に落ちた。彼と再会したのは二か月後のことだった。「今夜は乗っていかないか、レオノーラ?」一歩前進――とうとう誘われた! でもわたしにはその気はなかった。「またいつかの晩に」。三月になった。わたしが外に出なかった一月の嵐の夜も、彼はあの十字路にいたのだろうか。十二時十五分前、わたしは外に出た。

 冒頭で精神を病んでいる(と思われている)らしきことはわかりますが、描かれるのはどうやら超常的な怪談というよりは火遊び的なスリルと貞操危機の恐怖の様子です。これはこれでけっこう読ませるので、無理に怪異に絡めなくともよいと思うのですが、かなりストレートに悪魔の恋人というオチが待っていました。
 

「殺人スチーム・ショベル」アリスン・V・ハーディング/高澤真弓訳(The Murderous Steam Shovel,Allison V. Harding,1945)★★☆☆☆
 ――エドはずっと建設現場で働いていた。ある晩、彼が帰ってきて言ったの。現場にショベルが来たんだ、って。女房なら亭主の考えていることぐらいわかるものよ。ああ、エドはそのスチーム・ショベルを動かしたいんだって。とうとうエドの不満の矛先は、ショベルを動かすためにやって来たロンスフォードという男に向けられるようになった。ところがしばらくして、ロンスフォードが姿を消したの。代わりにエドがショベルを動かすことになった。エドはショベルが言うことを聞いてくれないと言うようになった。

 エドがロンスフォードを殺して呪われたショベルカーに襲われるまでなら当たり前な怪異譚なのですが、エドが襲われたあとに妻の方も延々と襲われ続けるという点、一種異様な内容でした。
 

「廃屋」クリステル・ヘイスティングズ/植草昌実訳(An Old House,Crystel Hastings,1927)★★☆☆☆
 ――月の光のもと そは黙し佇む/曲り畝る小道 人の影も絶え/扉を覆い塞ぐ 蜘蛛の巣の帳/仄白く揺らぎ 宛ら屍衣の如/窓を震わすは 風の噎び泣き/沼から靡くは 重く深き夜霧//明かりもなく 物音も聞かず/……

 詩。なので韻律を楽しむべきものなのでしょう。内容にはさしたるものはありません。
 

「魔の潜む館」メアリー・エリザベス・カウンセルマン/岩田佳代子訳(Parasite Mansion,Mary Elizabeth Counselman,1942)★★★☆☆
 ――マーシャが道路を運転していると、フロントガラスに穴が開いた。狙撃されている! 外に出ようとした拍子に足首をひねった。気づくと目の前には髭面の男、神経質で殺伐とした少年、ミイラのような老婆がいた。「こいつはロリーを捕まえにきたんだ。殺してやる!」とわめく少年をなだめて、髭面の兄はマーシャを部屋に案内した。だがマーシャが異常心理学の准教授だと知った髭面のヴィクターは、「ここでは科学の話などするな!」と一喝した。老婆は意地の悪い態度を取るばかりだった。やがて物音に気づいて顔を上げると、十六歳くらいの少女が部屋に入ってきた。マーシャのブローチに興味を示し、触れようとした瞬間、ブローチがひとりでに飛んでいき、ロリーの手首にひっかき傷ができていた。

 「ハーグレイヴの前小口」『漆黒の霊魂』()、「七子」『怪奇文学大山脈3』()「三つの銅貨」『たべるのがおそいvol.6』()などの邦訳あり。ポルターガイスト現象に襲われた少女とその家族の不幸。それ自体がつけ込まれたものであり、縛りつけるためのものだった――にしても、怪異は怪異として存在しているのがユニークです。
 

「怪奇な話再び」藤元直樹

「うなばらの魔女」ニクツィン・ダイアリス/野村芳夫(The Sea-Witchi,Nictzin Dyalhis,1937)★☆☆☆☆
 ――ヘルドラは呪わしいとともに愛らしい女性なのである。閉所恐怖症に悩まされたわたしは、大風のなか渚へ散歩に出かけ、一糸まとわず冬の海からあがってきた女性を見つけた。「乗っていた船が沈んでしまい、衣服を脱ぎ捨てラーンのふところに飛びこんだの」。ラーンだって? 古代スカンディナヴィアのヴァイキングが信仰した海の女神じゃないか。

 異国趣味とファム・ファタールをやりたかったのかもしれませんが、いかんせん平板です。
 

「『ウィアード・テイルズ』の幻の作家たち」植草昌実

「道」シーベリー・クイン/荒俣宏(Roads,Seabury Quinn,1938)
 

「稲妻マリー」/S・チョウイー・ルウ/勝山海百合訳(The Shapeshifter Unraveled,S. Qiouyi Lu,2019)★★★★☆
 ――マリーは霹靂であり稲妻であり、大平原を引き裂く竜巻であり、兵器のような憤怒だった。わたしはといえば遠くで草むらにしがみつくネズミであり、彼女の栄光の軌跡に震えるのだった。羨望がわたしを飲み込んだ。彼女になりたかった。わたしはまず貝になった。だがそれは砂を噛んで内側を切り刻んだにすぎなかった。こんどは孔雀になろう。しかし羽は自らの重みでしなだれた。次にマリーに会ったのは、サンフランシスコの中華街だった。わたしは何かのふりをするのをあきらめて、自分自身の醜い身体に戻っていた。同じ茶館で彼女と鉢合わせた。

 《Le forum du Roman Fantastique》とあるので投稿作のようです。訳者は中国ファンタジーの著作もあるプロの小説家。著者は中国系アメリカ人で、『S-Fマガジン』2021年10月号()に同じ訳者による「年年有魚」が訳載されています。子どもの頃には特別な存在に思えたものが、長じてみると当たり前に見えた。それが幻滅ではなく前向きなものとして描かれている、少女たちの成長譚。「マリーは霹靂であり稲妻であり、大平原を引き裂く竜巻であり、……」という文体にもまた引き込まれます。
 

「天使についての試論」伊藤なむあひ ★★★☆☆
 ――二〇二三年に地上で初めて天使が観測されたのは、北海道伊達町の公園だ。一日一羽以上のペースで落ちてくる天使たちを、ついには事実上隔離する形で離島に移動することになった。天使が国際人権法によって保護されるかどうかは議論を生んだが、最終的に『天使三原則』という形に落ち着いた。だがC国により天使を傷つけずにクローンを食材にするという建前の抜け道が取られ、北海道に密猟者が殺到した。二〇二四年六月十一日、事実上、日本から北海道はなくなった。日本時間で十三時。ファンファーレのような音が鳴った。

 創作の投稿作。天使を生物・獣として描いた小説はいくつか読んだことがありますが、生物として描き且つ聖書の天使の要素も兼ね備えている作品は初めて読みました。
 

「蛙中人」柳下亜旅
 

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 幻想と怪奇7 ウィアード・テイルズ 

『ハコヅメ』18、『スインギンドラゴンタイガーブギ』5、『紙一重りんちゃん』1、『勇気あるものより散れ』1

『ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜』(18)泰三子(講談社モーニングKC)
 時系列的には『別章アンボックス』の続きです。西川係長とカナがいなくなったことは、さらっと触れられていました。如月部長がけっこうガチで川合に気があるようで驚きます。牧高の変態度合いがこの巻で一気に上がりました。156話の最後のページに描かれた女性が髪型も表情も川合っぽくないのですが、何か意味があるのでしょうか。意味ありげに顔を隠す缶サワーも気になります。
 

『スインギンドラゴンタイガーブギ』(5)灰田高鴻(講談社モーニングKC) 
 本誌連載は終了していますが、コミックスはあと1巻つづきます。バンドはバラバラ、とらちゃんは悩みながらもデビュー、小田島たちは志磨と再会し、それぞれの道を進んでゆきます。ちばてつや賞入選作「しろい花」併録。

紙一重りんちゃん』(1)長崎ライチKADOKAWAハルタコミックス)
 『ふうらい姉妹』の長崎ライチによる最新作。『阿呆にも歴史がありますの』収録の同名作品とは若干ちがうようです。りんちゃんの苗字や、先生や友だちの髪型は同じですが、学年が三年生から五年生になっています。「誰だよ‼ コイツ委員長にしたの(オレか…)」(p.051)や、p.064で社長が「復帰」しているというコメントを見て、それ以前にそんな描写はなかったのに?と読み返してしばらく悩んでしまいましたが、社長の復帰の方は忘年会で当たった魔法の杖で「飛んだ」(p.040)状態から復帰したということのようです。いつもクールなこだまちゃんが海に行くとはしゃいでしまうのが子どもらしくて微笑ましい。
 

『勇気あるものより散れ』(1)相田裕白泉社ヤングアニマルコミックス)
 『ガンスリンガーガール』『1518! イチゴーイチハチ!』の相田裕による最新作。戊辰戦争で死に損ねた元会津藩士・鬼生田春安は、大久保利通の護衛をしていた不老不死の女性・九皐シノと剣を交え、またも死に損ね、シノの血を分け与えられる。歴代の為政者により不死者製造器として孕まされ気の触れてしまった母親を殺すのがシノの願いだった。同人誌版『青頭巾』や本書連載スタート時に読んだときにはあまり面白いと感じなかったのですが、通して読むとちゃんと面白い。ただ、やはりテンポが速過ぎるというか、誰も彼もが何の葛藤もなく物わかりがよすぎて物足りないのは事実です。『ガンスリンガーガール』にしても『イチゴーイチハチ!』にしても、人間ドラマを描くのに長けている人だと思うので、今後もっと描き込まれてゆくことに期待します。鬼九郎は昔の侍だから一重で目が細いのでしょうが、そのせいで漫画的な表情表現に乏しくて盛り上がりに欠ける原因の一つになっているとも思いました。サブタイトルの「She Know Why Kill」に三単現のsがついていないのは、「シー・ノ-・ワイ・キル」で「シノは生きる」ということのようです。
 

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『S-Fマガジン』2021年10月号No.747【1500番到達記念特集 ハヤカワ文庫JA総解説PART2[502〜998]】

『S-Fマガジン』2021年10月号No.747【1500番到達記念特集 ハヤカワ文庫JA総解説PART2[502〜998]】

「ハヤカワ文庫JA総解説 PART2 [502〜998]」
 

「『日本SFの臨界点』編纂の記録2021」伴名練
 中井紀夫新城カズマ石黒達昌の短篇集について。オリジナルの方の『山の上の交響楽』は持っているけれど、編纂の経緯を知ると今回の傑作選も欲しくなってきました。まんまと編者の思惑に乗って3冊とも買ってしまいそうです。一番のお目当ては石黒達昌でしたが、何と全短篇がkindle化されているそうです。これは買うしかありません。
 

「乱視読者の小説千一夜(72)肉体の本」若島正

「SFのある文学誌(78)SF少女マンガが生まれた頃――「花の24年組」とは何か」長山靖生
 

「SF BOOK SCOPE 書評など」
『移動迷宮 中国史SF短篇集』は、中国SFのうちでも「二十一世紀に発表された、中国の歴史に関連するSF」に絞ったアンソロジー

『海の鎖』は、〈未来の文学〉完結巻。伊藤典夫編訳によるアンソロジーです。『不死身の戦艦 銀河連邦SF傑作選』は、「銀河連邦をコンセプトにしたSF」を集めたというよくわからないアンソロジー。創元SF文庫のアンソロジーは日本オリジナルと海外編の翻訳とがありますが、これは後者です。

◆ホラーは国書刊行会づいてます。人狼ヴァグナー』ジョージ・W・M・レノルズは、十九世紀の週刊連続通俗小説。『マルペルチュイ』ジャン・レーは、表題長篇に、フランス語の短篇集『恐怖の輪』全篇とオランダ語の短篇集『四次元』の約半数を収めた作品集。『骸骨』ジェローム・K・ジェロームは、『ボートの三人男』でお馴染みの著者による幻想奇譚集。

 

「NOVEL & SHORT STORY REVIEW(ヒューゴー賞あれこれ)」東茅子
 

「年年有魚」S・チョウイー・ルウ/勝山海百合訳(An Abundance of Fish,S. Qiouyi Lu,2017)★★★☆☆
 ――魚がやってくるまえの春節。あなたは台所で晩のご馳走を作っている。ねんねんゆうよ。年年有余。年を追うごとに余裕ができるという吉語で、余も魚も「よ」で同音なので縁起担ぎで魚を食べるのだ。本を読むことに夢中になり、魚を焦がしてしまった。あとになってみればそれが運の尽きる理由だったように思える。春節の八日目に魚がやってきた。観光バスほどの大きさのサバは海から浮かび、ヒレを打ち振るって空を飛ぶ。

 中国系アメリカ人作家による掌篇。蝗害ならぬ魚害なのですが、バスほどの大きさと言われると蝗害ではなく航空機テロを連想してしまいます。そうなるとこれは天災ではなくなってしまう。いずれにしても個人ではどうすることも出来ない以上、受け入れて生きるしかないのでしょう。
 

大森望×いとうせいこう 『三体』シリーズ完結記念 トークイベント採録
 作者の劉慈欣は冗談で言っているのか本気なのわからない人だそうです。なんか天然っぽい人です。
 

「環の平和」津久井五月★★★☆☆
 ――わたしはどこに行っても、〈環の平和実験〉の被験者として扱われる。小学校の先生はわたしたち三十人に手を繫がせ、大きな人の環を作りました。「あなたたちは今、何人と繋がってる?」。自動交感装置。それがわたしたちの頭の中に入っている。全員が平等で、全員が間接的に繋がり、よって全員の思考が多様なままで調和する――それを妄言と切り捨てなかった人々がいた。十一歳の春にわたしの〈右手〉である渡辺瑛との交感が始まり、同時に訓練の日々が始まった。そしてもうすぐ、〈左手〉も塞がることになる。アナンディーン・アマル。モンゴル国籍の二十二歳男性。これまでバラバラのペアとして存在したわたしたち被験者は、その冬をもって全員がひとつの環に繋がった。

 「2050年に向けた社会的な課題に取り組む『ムーンショット型研究開発事業』、その新たな目標設定のために大阪大学の佐久間洋司氏をリーダーとする『人類の調和』検討チームが発足され、SF作家の創作内容を研究内容と参照しあって議論を深める『SF実現構想』が昨冬から今夏まで行われました。参加作家の1人である津久井月氏による、人類の調和をテーマにした短篇を掲載します」という経緯による短篇です。仮に争いの原因の一つが相互無理解だったとしても、理解し合ったからといって争わなくなるとはかぎりません。でもそれが輪になれば……いや、やっぱり不幸になるだけでしょう――という「交感戦争」のその先の可能性(かもしれないもの)の話。
 

「時間の王」宝樹/阿井幸作訳(时间之王,宝树,2015)★★★☆☆
 ――ビルの階段を上っているとき、誰かにぶつかって階段から転げ落ちたはずだ。なのに怪我一つなくピンピンしている。階段から落ちていれば入院しないとも限らない。十歳の頃に急病で入院していたように。一瞬で二十年前の記憶に沈んだ。書類も同僚の姿も見えない。病室の前に立っていた。今がいつかわかった。初めて琪琪《チーチー》と出会った日だ。半年後、白血病で死んでしまったのだ。俺は行く先々の時間でその年代の琪琪に出会った。何度もすれ違っていたのに気づけなかったのだ。だが何度出会っても助けることは出来なかった。

 事故で過去と現在を行き来する能力を身につけた男が、かつて守れなかった少女と再会するものの、すぐに元の時代に戻ってしまう……というあきりたりのループものであり、主人公の妄想がそのまま物語になったような話――だと思ったら、それどころか実際に妄想だった(怪我と治療に起因する記憶障害)というとんでもない話でした。それでいて駄作というのではなく、やるせない話がいっそうやるせなくなっているのだからすごいです。
 

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 SFマガジン 2021年10月号 

桜庭一樹氏と鴻巣友季子氏の書評をめぐるやりとりについて

 ここ何日かで急に「読み」がどうこうという話題が増えたので何だろうと思ったら、鴻巣友季子氏が朝日新聞に寄稿した『少女を埋める』評に対し、作者の桜庭一樹氏が反論しているということのようです。

 桜庭氏の最初の反論がTwitterだったこともあり、情報が断片的で経緯がよくわからなかったのですが、遡って確認してゆくと以下のような事情のようです。

 桜庭氏が反論しているのは、鴻巣氏が書評のなかで『少女を埋める』について「家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。」と書いてある箇所です。この部分は鴻巣氏の解釈であるのだから、「まるで原稿にそう書いてあったかのように評のあらすじで言い切るのではなく」、「評者の想像として分けて書くべき」というのが桜庭氏の主張です。

 これに対して鴻巣氏が、「小説は多様な『読み』にひらかれている」「あらすじと解釈とを分離するのはむずかしい」と再反論し、騒動が大きくなっていったようです。

 なぜこういうことが起こってしまったかとわたしなりに考えると、ひとつにはTwitterというものの性質にあると思います。鴻巣氏は再反論として「そういう物語として、わたしは読みました。」とnoteに書き、その後もTwitterで「作者がご自分の読みを」「作者と違う読み方も(理にかなっていれば)否定されたり排除されたりすべきではない」等コメントしています。この後半部分は飽くまでフォロワーがツイートした話題に対する返答であって、桜庭氏への回答ではないのですが、桜庭氏や読者が誤解してしまう余地はあるでしょう。

 実際、「作者と違う読み方の否定は一切していません。」という桜庭氏のコメントに対して、「この点は理解しています。再確認できてよかったです。」と書いてある通り、問題点がどこにあるのかは鴻巣氏も認識しているようです。のちに桜庭氏も「変えてもらうということでは決してなく、評者の読みであるとわかるようにしていただけないかという要望になりました。(修正していただいた文章も届いています。受け止めて改めて考えてくださったこと、ありがとうございます)」と書いてあるように、鴻巣氏も問題点を認めて修正する用意はあったようです。

 そのうえで、この問題について誤解を与える表現は修正するものの、文芸評論に対するスタンスは変えるつもりはない、ということなのでしょう。本人同士も混乱しているようですが、ツイートを断片的に読んだ読者にはますます事情がわかりづらいのが現状です。

 その結果、騒動発生からもう数日経ち、桜庭氏本人が「論点がずれないようにと危惧しています」と明言しているというのに、いまだに誤読の是非や読みは自由だの作者の圧力だの云々といった、外野によるピントはずれのコメントが見られるという状況になっているのだと思われます。
 

 さて、もうひとつの原因として、恐らくは鴻巣氏の想像力の欠如が挙げられます。わたしが確認したかぎりではその点に言及した文章はなかったので、ふだんあまりこうした時事的な出来事に関する文章を書かないわたしが今回にかぎって書いたのはそうした理由によります。

 これは批評の問題ではなく感情であり暴力の問題なのだと思います。「家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。」。桜庭氏の立場からしてみればこれは単なる事実誤認のあらすじどころではなく、「おまえの母親は要介護の夫を虐待していたんだ」と名指しでデマを全国区の新聞で広められたも同然と感じたのではないでしょうか。だからこそ、「わたしは評者としての鴻巣友季子さんを軽蔑し、今後執筆されるものについては、一切敬意を抱きません」という強い言葉を用い、「朝日新聞社での仕事をすべて降ります」という強硬な意思を示しているのだと思います。

 ところが、どうも鴻巣氏はそのことをわかっていない、自分の文章が相手にどう受け止められたのかをわかっていない節があります。飽くまで「事実誤認」程度の問題だと思っているのではないでしょうか。だからこそ最初の反論で「余白の解釈」云々と通り一遍のことを書いて、桜庭氏に上記の「軽蔑」云々という激しい言葉で批判されているのでしょう。

 桜庭氏は誹謗中傷を問題にしているのに、鴻巣氏は飽くまで文芸評論の問題だと捉えている――二人のあいだにはこのぐらいの温度差、認識差があるように思います。

 もちろん、相手がどう感じたのかをしっかり理解したうえで、それと評論とは別だ、というスタンスもあるでしょうし、そもそもあの書評からそこまで感じ取ってしまうのは相手側の勝手だと思う人の方が多いかもしれません。ただ、騒動が起こってしまったあとで、なぜ桜庭氏が激怒しているのかを想像して誤解を解こうと努める余地はあったのではないでしょうか。

 まあそもそもの原因がどこにあるかというと、「評者はおそらく、作品を斜め読みし、内容を勘違いし、ケア、介護という評のテーマに当てはめるために間違った紹介をしてしまったのだろうとわたしは想像しています。指摘されたけれど、認めたくなくて、改めて読み直し、言いわけに使える箇所がないか探したり一般論を駆使したりしたんじゃないかと。」という桜庭氏のツイートに尽きるとは思います。

 
 

『伊藤くんA to E』柚木麻子(幻冬舎文庫)★★★★☆

『伊藤くんA to E』柚木麻子(幻冬舎文庫

 自意識過剰で自信家で傍若無人で共感力がなく野心家で――というキャラはこれまでの柚木作品にもいないわけではありませんでしたが、女から見たそんな男が登場しているのが本書の特徴で、とにかく気持ち悪い!頭おかしい!嫌われるためだけに存在しているような男でした。

 けれど伊藤君は顔だけはいいこともあり、だめんず好きや経験値のない女からはモテる――というか、固執されています。

 Aパートの主人公はショップ店員の智美。美人で教養もあって伊藤君には友だち未満の扱いしかされていないのに、伊藤君にこだわるのは意地だと本人も認めています。

 Bパートの主人公は、Aで伊藤君が好きになったシュウちゃんこと修子です。伊藤君のストーカーっぷりが半端じゃないので、修子は伊藤君のことを嫌っています。当たり前です。

 Cパートでは伊藤君を好きな後輩・実希の親友で、遊び慣れている聡子が主人公。

 Cで伊藤君にフラれた実希が同窓生に処女をもらってもらおうとするのがDパートです。

 A・Bパートの智美や修子はそれなりにまっすぐだったのに、C・Dパートの聡子と実希は彼女たち自身もちょっと歪んでいます。だから伊藤君を通して自分の醜い部分に気づくところまでは一緒ですが、それから一歩前に進む智美と修子とは違い、聡子と実希二人のそれからはちょっとビターです。

 シナリオライターを目指している伊藤君が参加しているのが、プロの脚本家・矢崎莉桜のドラマ研究会です。Eパートでは伊藤君がクズである理由が伊藤君自身の口から明らかにされます。自覚的だったということに驚きですが、それによって伊藤君への評価が変わるわけでもなく、クズっぷりがいっそう濃くなっただけでした(莉桜はなぜか感銘を受けてますが)。しかも傷つかないためのモラトリアムが成功しているとは言いがたく、本書の伊藤君は傷つけられまくっているのが可笑しい。

 ゴミクズ人間の伊藤君と対することによって、5人の女性たちがそれぞれ自分を見つめ直すきっかけになっていて、登場人物の内面を描くにあたって伊藤君という存在はすごい発明だと思います。

 美形でボンボンで博識だが、自意識過剰で幼稚で無神経。人生の決定的な局面から逃げ続ける喰えない男、伊藤誠二郎。彼の周りには恋の話題が尽きない。こんな男のどこがいいのか。尽くす美女は粗末にされ、フリーターはストーカーされ、落ち目の脚本家は逆襲を受け……。傷ついてもなんとか立ち上がる女性たちの姿が共感を呼んだ、連作短編集。(カバーあらすじ)

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