『ミステリマガジン』2022年9月号No.754【マイクル・Z・リューイン生誕80周年記念特集】

『ミステリマガジン』2022年9月号No.754【マイクル・Z・リューイン生誕80周年記念特集】

「リューインの思い出」阿津川辰海

サムスン試論」米澤穂信

「ラッキーな気分の日」リザ・コディ/矢島真理訳(When I'm Feeling Lucky,Liza Cody,2021)★☆☆☆☆
 ――ラッキーな気分になるときがたまにある。そんなとき、わたしは宝くじを買う。その夜も、ハフニさんの店で数字を選んでいた。次の数字に迷っていると、ドアが開く音が聞こえ、ドンという音とガラスが砕ける音が聞こえた。ハフニさんの頭の中身が酒瓶の上に流れ落ちていた。何者かが叫んだ。「殺しやがって。ロバ糞野郎が」。これは現実じゃない。わたしは自分に言い聞かせる。わたしは詩人で作詞家――になるつもりでいる。こんなところにいるべき人間ではない。突然、松尾芭蕉の句が頭に浮かんだ。こんなときに五・七・五を思い浮かべてしまうなんて。「くそ、鍵がかかっている」ロバ糞野郎が叫んだ。「ポケットを探せ」怒れる男が叫んだ。ハフニさんの甥っ子の泣き声が聞こえる。「鍵を持ってこい」別人の声だ。きっと靴には血がついていない、となぜか思った。甥っ子の声が聞こえなくなった。誰かが床に突っ伏しているわたしの脇腹を蹴った。「おきな」怒れる男が言った。わたしはあえぎながら体を起こした。「あなた、バディ・ホリーに似ている」「おまえも五〇年代のポップスに詳しいのか?」「ええ、まあ」わたしは『アメリカン・パイ』の歌詞を引用して答えた。「おれが一番好きだった歌だ」うっとりした表情で言うと、次の瞬間、ロバ糞野郎の頭を殴った。「こんなバカに銃を持たせやがって」

 著者はマイクル・Z・リューインとの共編書のあるミステリ作家。事件に巻き込まれた主人公が、(おそらくはパニックになってか?)やたらと饒舌にふざけ倒していたら、犯人の一人に気に入られたのか命は助かったうえに、奇妙な感情を抱いたという、よくわからない話。アメリカ人にしかわからない、と言われそうな類の話に思えます。
 

「ジャック・ヒギンズ追悼」

「飛び立った鷲への祈り」月村了衛
 

「迷宮解体新書(129)辻真先」村上貴史

「書評」
『新編怪奇幻想の文学1 怪物』、麻耶雄嵩他『円居挽のミステリ塾』、『「ハコヅメ」仕事論』、『藤田新策作品集 STORIES』、新訳『オペラ座の怪人』、漫画版『十角館の殺人』完結など。「麻耶の(中略)貴重な創作論に触れることが出来る」『円居挽のミステリ塾』や、「衝撃度は、漫画版の方に軍配を上げたい」『十角館の殺人』といったコメントは参考になります。
 

「時代劇だよ!ミステリー(31)どこに消えた⁉ 八王子巨大隕石の謎」ペリー荻野
 『暴れん坊将軍』に彗星の出てくるエピソードがあったとは知りませんでした。
 

「これからミステリ好きになる予定のみんなに読破してほしい100選(8)ダイイングメッセージ・暗号」斜線堂有紀
 クイーン「角砂糖」は「シンプルイズベスト」かなあ? クリスティーは『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』に限らずだいたい上手い。都筑道夫はあらすじだけ聞くと面白そうなのに読むと物足りない。「乾いた死体」は『退職刑事3』に収録。ほかに麻耶雄嵩「氷山の一角」など。
 

「華文ミステリ招待席 第6回」

「みにくい白鳥の子」水天一色/阿井幸作訳(丑小鹅,水天一色,2005)★☆☆☆☆
 ――江庭刑事は穆青煙の家を訪れ、公安局の顧問を打診した。そうして些細なことで通報してくる神経質な爺さんがいる、という話をしていた矢先、当の爺さんである陸徳が危篤という報せが届いた。数年前、娘を救うために腎臓をくれたら百万元払うと訴えて物議を醸した人物だ。その娘――陸文彩は高飛車な美人で、妹の陸雲素は姉の前では霞んでしまう。青煙が陸雲素と話していると、電話が鳴った。陸徳の弁護士である楊一明が二十階の自宅から落ちて死んでいるのが発見されたという報せだった。状況は自殺だが遺書がない。腰には古い手術痕があった。それを聞いた江庭の脳裏をある考えがよぎった。腎臓? 楊は陸文彩と以前結婚していた人物でもあった。一方、陸雲素は自分が陸徳の娘であることを証明するDNA鑑定書を楊に依頼していた。

 水天一色はアジア本格リーグ『蝶の夢 乱神館記』が面白かったのですが、短篇「おれみたいな奴が」や本篇はイマイチです。長篇型の作家なのか、一発屋なのか。陸秋槎もそうなのですが、キャラクターがわざとらしすぎるうえに説明的すぎて頭に入ってこないというか、どうでもよく感じてしまうんですよね。いろいろ詰め込みすぎて事件のピントがぼやけているので、謎も犯人もどっちらけです。
 

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 ミステリマガジン 2022年9月号 

『危険なヴィジョン〔完全版〕1』ハーラン・エリスン編/伊藤典夫他訳(ハヤカワ文庫SF)★★☆☆☆

『危険なヴィジョン〔完全版〕1』ハーラン・エリスン編/伊藤典夫他訳(ハヤカワ文庫SF)

 『Dangerous Visions』Edited by Harlan Ellison,1967年。

 (かつての)伝説の書き下ろしアンソロジーが(今さら)完訳刊行された、というのが正直なところなのでしょう。エリスン短篇集がハヤカワ文庫でなぜか2016年2017年になって突然立て続けに刊行された流れなのか、2018年に編者が死去した追悼なのか。期待はしていませんでしたが、それをすら下回る内容でした。
 

「まえがき その1――第二革命」アイザック・アシモフ
 

「まえがき その2――ハーランとわたし」アイザック・アシモフ
 

「序――三十二人の予言者」ハーラン・エリスン
 

「夕べの祈り」レスター・デル・レイ山田和子(Evensong,Lester del Rey)★☆☆☆☆
 ――その小さな惑星の地表に到達した時に、男は力を使い果たしていた。ここが簒奪者たちから逃れられる安息の地ならよいのだが。

 二十一世紀の日本人が今これを読む意味はないでしょう。星新一のようなショートショートならまた違っていたのでしょうけれど。この「神」が本当の神なのか神的な何かなのかもよくわかりません。
 

「蠅」ロバート・シルヴァーバーグ浅倉久志(Flies,Robert Silverberg)★★☆☆☆
 ――キャシディの体はほとんど残されていなかった。金色の生きものは彼を修理することにした。人間の感情のデータが欲しかった金色の生きものは、キャシディが他人の気持を前よりも敏感に感じ取れるようにした。キャシディは地球に戻ると前妻の一人を麻薬漬にし、別の一人のペットを殺し、また一人を流産させた。データを得るために邪魔だったキャシディ自身の感情を取り除いた結果だった。金色の生きものは方針を変えた。

 タイトルの「蠅」とは作中にあるとおり『リア王』のグロスター伯の台詞で、「蠅と気ままないたずらっ子、それがわれわれと神との関係だ。神々はなぐさみに人を殺す」から来ています。キャシディ本人は「キャシディ-前妻」のことだと考えていた「神-人」の関係が、実は「金色の生きもの-キャシディ」だったというだけの話です。
 

「火星人が来た日の翌日」フレデリック・ポール/中村融(The Day After the Day the Martians Came,Frederik Pohl)★★☆☆☆
 ――「火星人のジョークを思いついたぞ! 火星人が大西洋で泳がないのはどうしてだ?」「おまえさんの賭ける番だ」とポーカーの親。「大西洋にはめる輪っかを置いてきたからだよ」と記者がいい、手札を伏せてゲームを降りた。だれも笑わなかった。

 作中の人物による「多少は新しいジョークがあると思うだろう。わたしが聞いたのは古いのばかりだ。ユダヤ人やカトリックや――だれそれをからかう代わりに、火星人の話にしているだけだった」という言葉に尽きます。ということはつまり、内容が陳腐でつまらなくなければ成立しない作品でもあるわけです。
 

「紫綬褒金の騎手たち、または大いなる強制飼養」フィリップ・ホセ・ファーマー山形浩生(Riders of the Purple Wage,Philip José Farmer)★☆☆☆☆
 ――夢と無の巨人どもがパンを求めて彼をグラインド中。ちぎれたかけらが眠りの美酒の中から浮かびあがる。巨大な歩幅がどん底ブドウを夢魔的正餐向けに押し潰す。だるまさんたる彼は洗面器たる魂の中をレヴァイアサン求めて探る。彼はうなり、目を覚ましかけ、寝返りを打ち、暗い海の汗を流して再びうめく。

 著者あとがきによれば「三重革命」文書に影響を受けたらしい。タブーとは言い換えるならルールや制限のことで、それを無視して作家が好き勝手に書いてもこういう作品しか生まれないのでしょう。
 

「マレイ・システム」ミリアム・アレン・ディフォード/山田和子(The Malley System,Miriam Allen deFord)★★☆☆☆
 ――シェップ:おれは素早くあたりを見まわした。誰もいない。子供を暗い入口に押しこんだ。「こんなことしたら――」「黙れ!」怒り狂ったおれは、その細い首を両手でつかみ、何度もセメントの床に叩きつけた。

 犯罪者に脳がダメージを喰らうまで犯罪行為を追体験させるという懲罰の末路。どうもその作品も書き方が素直すぎるのでは。
 

「ジュリエットのおもちゃ」ロバート・ブロック/浅倉久志(A Toy for Juliette,Robert Bloch)★★★☆☆
 ――ジュリエットはほほえみながら寝室へはいっていった。お祖父さんが帰ってきたから、おみやげをくれるだろう。ジュリエットは十一歳のときに、最初のおもちゃを殺した。小さな男の子だった。お祖父さんが〈過去〉のどこかから、初歩的なセックス遊びをさせようと連れて帰ってきたのだ。

 未来の切り裂きジャックというのがオチの作品なのに、編者に序文でネタをバラされるというひどい扱いを受けています。それでも楽しめるのがさすがですが。ベンジャミン・バサーストやアメリア・イアハートやマリー・セレスト号などの失踪事件がすべて時間旅行者による誘拐だったという小ネタが楽しい。
 

「世界の縁にたつ都市をさまよう者」ハーラン・エリスン伊藤典夫(The Prowler in the City at the Edge of the World,Harlan Ellison)★★☆☆☆
 ――かわいらしい、健康そうな娘。だが、それも彼女がローブをひらき、はすっぱな本性をあらわすまでだった。だから彼女を殺したのだ。だがここはどこだ。神に召されたのだろうか? ではこの娘は何者なのか? 「わたしの孫娘だよ」「お許しください、神さま」「わたしは神じゃない。卓抜な発想だがちがう」

 ブロック「ジュリエットのおもちゃ」の続編。
 

「すべての時間が噴きでた夜」ブライアン・W・オールディス/中村融(The Night That All Times Broke Out,Brian W. Aldiss)★★☆☆☆
 ――ふたりは制御装置をオンにした。フィフィが一日のうちいちばん好きなキッチン仕事の時間に着いた。とりわけおだやかで機嫌のいい時期の雰囲気が、いまふたりを呑みこんだ。ふたりは口づけを交わし、「科学ってすばらしい!」と叫びながら廊下へ駆けこんだ。トレーシーは妻の髪をそっと撫でた。「きみが十二歳だったときにダイヤルをあわせ、そのときにもどってみたい」

 もし時間旅行が実用化されていたなら、こんなふうにスマート家電ぽくなっていても不思議ではありません。

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『幻想と怪奇』10【イギリス怪奇紳士録 英国怪談の二十世紀】

『幻想と怪奇』10【イギリス怪奇紳士録 英国怪談の二十世紀】

「A Map of Nowhere 09:ブラックウッド「柳」のドナウ川」藤原ヨウコウ

「英国怪談・十五人の紳士」

「時計の怪/酒蔵の妖魔」蘆谷重常(『インゴルズビー伝説』より)★★☆☆☆
 ――「時計を御覧なさい。一体何時だと思ってるのです」ダビッド・プライスが戸をたたくと細君のウィニフレッドが噛みつくように怒鳴りつけた。「なに、こん畜生」酔っていたプライスが、薪をとりあげ内儀目がけて投げつけると、内儀はその場に倒れた。妻を殺したには違いないが、情状酌量すべきものがあるというので、極めて軽い刑を課せられて、事は済んだ。何時の間にか懇意になったダヴィス嬢の顔を見たくなり、プライスは夜の山道を辿った。その時怪しい音を聞いてプライスは振り返った。それは時計だった。

 トマス・インゴルズビー(聖職者リチャード・バーラム)がまとめた地元の古俗伝承『インゴルズビー伝説』(1840-1847)の自由訳。
 

「チッペンデールの鏡」E・F・ベンスン/伊東晶子訳(The Chippendale Mirror,E. F. Benson,1915)★★★☆☆
 ――イェイツ夫人がベッド脇の床で喉を掻き切られていた事件は、手がかりが得られないまま半年経ち、家具の一部が売りに出された。それから五か月ほど経ったころ、ぼくは友人のヒュー・グレンジャーを訪ねた。その日の彼はチッペンデールの鏡にご満悦だった。思いもかけぬ店で驚くほど安い値段で手に入れたという。ヒューが飼っているペルシャ猫のサイラスもご満悦らしく、鏡面全体を見渡していた。

 鏡は見ていた、という話ですが、殺され方が不必要に残酷で、そういうところで怖がらせるのは邪道であるとも思います。
 

ポインター氏の日記帳」M・R・ジェイムズ/紀田順一郎
 さすがにこれは定番すぎるので今回は読んでいません。
 

「柳」アルジャーノン・ブラックウッド/田村美佐子訳(The Willow,Algernon Blackwood,1907)★★☆☆☆
 ――僕と相棒のスウェーデン人は、ドナウ川でカヌーの旅を楽しんでいた。その日は風も激しくなりそうだったため、いつもより早めに中洲にキャンプを張った。柳に覆われたその場所では、地面に穴がいくつも開いていたり、パドルが流されたり、何かが聞こえてきたりと、不穏な出来事が起こり始めた……。

 これもアンソロジーピースですが、良さがいまいちわかりません。木の葉が風に吹かれて音を立てる。風の音だと頭ではわかっていてもそこに何かの存在を感じてしまう。そんな日常のなかに潜む疑心暗鬼をいくつも積み重ねて、怪異に仕立て上げたスタイルはたいしたものだと思います。漏斗型の穴というのもまた、魚や蟹についばまれた水死体の状態に、超常的な存在を見出したものでしょう。その正体が、精霊とも古の神々とも違う、生贄を求める「何か」だというのも、今となってはクトゥルーっぽさは否めないものの、雰囲気は感じられます。いかんせん長すぎます。偶然のようなことが起こって怖がる友人と理性的に読み解こうとする語り手という同じことの繰り返しに、盛り上がるというよりもクドさを感じてしまいました。
 

「イギリスの本屋さん」南條竹則
 

「ミセス・イーガンの腕」ウィリアム・F・ハーヴィー/岩田佳代子訳(The Arm of Mrs. Egan,William F. Harvey,1935)★★★☆☆
 ――白状すれば、呪いはあると信じている。ミセス・イーガンはどう考えても魔女だった。ギルバート・レノックスは医学部の入学試験に難なく合格したが、研究者ではなく開業医の道を選んだ。ミセス・イーガンは夫の忘れ形見を溺愛していた。その忘れ形見がひどく吐いたのを、ギルバートは食べ過ぎによる消化不良だと請け合った。だが一向によくならないので別の医者に診せたところ、猩紅熱だったとわかった。息子は亡くなった。葬儀の翌日、ミセス・イーガンはギルバートを呼び出して呪ったのだ。その年の晩秋、銀行の支店長夫人が出産の際に命を落とした。支店長夫人がミセス・イーガンの反対を押し切って診てもらいたいと言った新しい医者というのが、ギルバートだった。それから数ヶ月間、考えられないような誤診に見舞われた。

 ハーヴィーの日本オリジナル短篇集が刊行予定だそうです。腕がどこでからんでくるのかと思っていたら、どこまでも追いかけて絡みつく譬喩としての腕でした。差し違えてでもという執念に、逃れられないその腕の長さ強さを感じます。
 

「中古車」H・ラッセル・ウェイクフィールド野村芳夫(Used Car,H. Russell Wakefield,1932)★★★☆☆
 ――事務弁護士事務所の所長を務めるアーサー・カニング氏は、十九歳になる娘のアンジェラと妻のジェーンに言われて、新しく車を買いに出かけた。新車を買えないわけではないが、彼が求めていたのは中古車だった。カニング氏はとある店先にあったハイウェイ・ストレート・エイトに目を留め、運転手のトンクスに運ばせた。後部座席の背凭れにある黒っぽい染みは、ごしごし拭いても取れなかった。いつもなら乗せてもらうのを大喜びする愛犬のジャンボが、今回はお義理でしっぽを振ったにすぎなかった。数日後、二十マイルほど離れたタルボット家から母子で帰る途中、アンジェラが急に声をあげた。「やめてよ、お母さま。なんでそんなことするの?」「わたしがなにしたっていうの?」「喉に手をかけたじゃないの!」

 ピーター・ヘイニング編『死のドライブ』より再録。車に限らず中古のものには常に伴う恐れです。
 

「壁の中の蜂蜜」オリヴァー・オニオンズ/圷香織訳(The Honey in the Wall,Oliver Onions,1924)★★★★☆
 ――崩れかけた壁の中から重量二十ポンドを超える蜂蜜が見つかった。かつて修道院だった邸宅の客たちが、見にくるようにとジェルヴェーズに手を振るが、彼女の方は彼らを見下ろしたまま、ここまで追い詰められながらこの家は客など呼べる立場なのかしらと思うのだった。表面的には贅沢に見えるが、価値のある絵をお金に換えた結果、数枚の絵と、あとは作者不明の絵が一枚あるばかり。レディ・ジェーンの全身像だ。母親はいつもジグソーパズルをしていた。いつか屋敷は終わりを迎えるだろう。だがそんな心配も、フレディ・ランピーターを思うと頭から消え失せた。フレディは蝶のような男だ。次から次へと別の娘と噂になる。ジェルヴェーズにしても、自制心がなければやはり彼に色目を使っていただろう。だがやすやすと屈するつもりはなかった。ジェルヴェーズが応接室に入ると、金鳳花のような髪色をしたパメラが一座の中心になって笑っていた。「ねえ、今夜はみんなで仮装をしましょうよ」。ジェルヴェーズは疲れ果てていた。

 中篇。幽霊の出現を描かないゴースト・ストーリーという触れ込みですが、孤独で不幸な女が生き方を変えることもできないまま、まるで亡霊のように彷徨います。行動を起こそうとしたときには、時すでに遅いのでした。
 

「イギリスホラーを観る時はコナン・ドイルであれ」斜線堂有紀
 

「灰色の家」ベイジル・コッパー/三浦玲子訳(The Grey House,Basil Copper,1967)★★★★☆
 ――灰色の家《グレイ・ハウス》と名づけたその家は、日中の明るい雰囲気とは正反対の、冷たく荒廃した空気をたたえているようにアンジェルには感じられた。夫のフィリップは探偵小説と怪奇小説の作家で、インスピレーションを与えてくれそうなこの家に有頂天だった。修繕が必要だったが、驚くほど格安だった。ところが工事が始まると、職人が電気を引くまで作業をしたくないと言い出した。アンジェルには職人たちの気持ちがわかったが、フィリップは元の持ち主だったド・メニヴァル家のがらくたに夢中だった。だが知り合いの聖職者ジョフロワは、そうしたもののひとつである鞭を見るなり、顔色を変えた。ジョフロワは詳しくは話さなかったが、おぞましい所業の証拠だという。その午後、アンジェルは奇妙な体験をした。バルコニーにいるとき、黒い影が果樹園の木から抜け出てべつの木の後ろに消えるのが感覚でわかった。それが消えた直後、鞭を振るうような音が聞こえた。修繕が進むと、大広間の壁の漆喰の下から一幅の絵が現れた。昔風の服を着込んだ老人が、裸の娘を茂みの中に引きずり込もうとしている絵だった。

 本書のなかでは知名度は低めですが、怪奇系の雑誌やアンソロジーにはちょこちょこ訳されていて、わたしも何作か読んだことがあります。新しく引っ越した家に過去の因縁があるという点ではオーソドックスではありますし、鈍感な夫と繊細な妻という取り合わせもよくあるものですが、消えない悪臭といったおぞましさや見え隠れする猫のような影や嗜虐趣味の一族の存在といった様々な仄めかしには、古くささを感じさせない魅力がありました。しかも表向きは古典的な幽霊屋敷ものの結構を採っておきながら、オカルトめいた恐怖に着地させるバランスも面白いところです。
 

著作権消滅」ラムジー・キャンベル/安原和見訳(Out of Copyright,Ramsey Campbell,1980)★★☆☆☆
 ――サーンは買いたたいた本の詰まった段ボールを地下室へ運んだ。選り分ける手が止まった。ダミアン・デイモン『あの世からの物語集』、伝説の一冊だ。この本に収録されている「ディアヴォロの取り立て」を、いまサーンが編んでいるアンソロジーに入れれば完璧だ。引っかかるのは「じつのところ(indeed)」が「しのところ(undeed)」と誤植されていることだ。面白いことにこの誤植は「不死(undead)」に通じる。残りの文章をチェックして、秘書にタイプしなおすよう頼んだ。秘書が帰ったあと、サーンはタイプ原稿を読んだ。一か所スペルが直してあるだけだ。にもかかわらず落ち着かない。廊下で音がしたような気がする。埃のにおいがひどい。

 弁護士とのやり取りや著作権に関することがあまり活かされていませんし、怪異も唐突すぎでした。
 

「眺望」ロバート・エイクマン/植草昌実訳(The View,Robert Aickman,1951)★★★★☆
 ――健康上の理由で休暇を勧められたカーファクスは、アイリッシュ海の島へ渡る船上で、ヴォルテールの英訳を読んでいた女と知り合った。「ご体調がよろしくないのでしたなら、ホテルではなく〈入江荘〉にいらっしゃるのがよろしいかと」。カーファクスは混乱しながらも、その申し出を受け入れた。「ところで、お名前は?」「三つの名がありますが、ありきたりすぎますから、お聞かせしたくはありません。だから、書いてお見せします」「エアリエルと呼ばせてもらうよ」制服姿の女性の運転で山道を登っていったが、煙をあげる煙突は一本も見えない。「島に住人はいない?」「中心街にいるのは旅行者だけ。この島はもともと雁のものだったの。でも人間が来て、いなくなってしまった」。入江荘は広く素晴らしい屋敷だったが、滞在する最上階は部屋と廊下の配置が複雑で、絨毯の模様には奇妙なことに繰り返しというものがなかった。カーファクスはエアリエルの立ち居に見とれていた。だから大柄でいかつい男の影が窓の向こうを通り過ぎていっても、意識をかすめただけだった。滞在しているうちに、カーファクスはふと窓の外を見て恐怖を覚えた。窓の外の景色が一変していたのだ。

 一種の竜宮城や隠れ里もののようではありますが、それにしては不気味で不穏な空気が漂います。こうしたパターンの場合、不気味に感じていたものの方が実は現実であったということも多いのですが、他のエイクマン作品同様、実際に何が起こっていたのかは不明瞭なままです。「島の神々の一柱」が登場する一方で、本来の「ありきたり」の名ではない妖精の名前をカーファクスから与えられたエアリエルはつまり人間なのでしょう。だから竜宮城の乙姫というよりは『銀河鉄道999』のメーテルのような存在であったとは言えそうです。
 

 後記によると、『時のきざはし』の続編『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選2』が今夏刊行予定とのこと。

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『ジーヴスの世界』森村たまき(国書刊行会)★★★☆☆

ジーヴスの世界』森村たまき国書刊行会

 国書刊行会ウッドハウス・コレクションの訳者による、バーティージーヴスものを中心としたウッドハウス読本です。

 第一章はウッドハウス作品の聖地巡り。ダリア叔母さんのロンドンの居宅がバーティーのフラットの目と鼻の先だったという事実は、それだけでもう面白いです。それだけ近くでは逃れられようがありません。

 ドローンズ・クラブのモデルとなったクラブで、ドローンズ・クラブと同じような馬鹿なことがおこなわれていたというのにも笑ってしまいました。

 第二章はジーヴスものに出てくる当時のイギリスの文化などが、ジーヴスへのインタビュー形式で解説されています。意外と知らないことが結構ありました。クリスマス・プディングってただのクリスマス用のお菓子だと思っていたのですが、実は末永い繁栄を願って来年の分を前の年に作ってそれを毎年繰り返してゆくものなのだとか。

 第三章ではジーヴスものの刊行に合わせてウッドハウスの生涯を振り返ります。ウッドハウスの娘さんレオノーラがとても魅力的な女性であり、ウッドハウス作品のヒロインとそっくりである、という両立しなさそうな事実が明かされますが、考えてみるとヒロインたちはバーティーにとって天敵なだけで人間的な魅力は別なのでしょう。『封建精神』で作中のお店がガサ入れを受ける理由など、作中の疑問も解決されたり。イヴリン・ウォーウッドハウス愛や、アガサ・クリスティの素っ気なさなど、作家同士の交流も興味深い。

 第四章はバーティージーヴスのプロフィールと、映像化などの関連作品。紹介されているシャーロキアン的考察が楽しい。著者が研究者のノーマンに自説を披露して否定されたりするのが可笑しすぎます。

 ウッドハウスジーヴスものについて、コンパクトにまとめられていました。

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『体温 多田尋子小説集』多田尋子(書肆汽水域)★★★☆☆

『体温 多田尋子小説集』多田尋子(書肆汽水域)

 約30年前、芥川賞候補に6度なったことのある著者の、候補作「体温」「単身者たち」+「秘密」の全3作を収録した作品集です。著者あとがきに書かれた復刊の経緯によると、どうやら小説書きを引退しているらしい著者に、ひとり出版社である書肆汽水域が働きかけて本書の出版が実現したようです。
 

「体温」(1991)★★★☆☆
 ――夫に死なれて小学生の娘・百合と二人暮らしの率子は、苦しい生活の一助になればと思い、空いている部屋を大学生に貸すことにした。夫の共同経営者だった小山も何かと協力してくれた。部屋を借りた大学生は二人ともいい子たちだったが、清子は自分のことを茶化すようなところがあり、あけみは自分勝手なところがあった。夫との生活につらいところはなかったが、しあわせだとか愛し合っているとかいうのでもなかった。

 主人公の率子は優柔不断で自分というものがありません。流されやすくて行き当たりばったりで、そんなふうに人間何でもかんでも理詰めで行動できないところはリアルでもあります。清子が寝込んでしゃっくりをしただけで妊娠中絶を疑うように、フィクションならぬ現実世界では何の根拠もなく思い込みで動くこともままあるでしょう。家族揃って、歯並びから他人の人格を推測したりすらします。誰もがみんな感覚的に生きています。それにしても、三十年前であってすらこの作品の価値観は古くさすぎたのではないでしょうか。
 

「秘密」(1992)★★★★☆
 ――血のつながりがないと知った兄に恋愛感情を持ってしまうのを恐れて実家を出た素子は、兄と結婚できない以上は誰とも結婚しないだろうと思っていた。雑誌社に就職できたのも、寿退社せず働き続けてくれると思われたからだ。個人的なことで勤めさきの人間と接触することはなかったが、一年先輩の森下と、新しくはいったミチ子とは、引っ越しを手伝ってもらったことがきっかけで親しくなった。ミチ子は森下に気があるようだった。

 主人公が初めやけに他人のせいにばかりしていると思っていたら、それは愚痴を聞いてくれる人が叔母しかいないということの前振りで、そこから家族の話に繋がってゆくのが非常に上手い。子どもが出来ない父母が兄も主人公も養子にしたというドラマチックな設定であるのに、何の取り柄もない恋愛に興味もない女性が人のよさそうな男性から好意を持たれるという構図は「体温」とまったく同じです。
 

「単身者たち」(1988)★★★☆☆
 ――四十二歳の計子は古道具屋の留守番の仕事に採用された。三十代くらいの原口という店主は二階で絵を描いていて、たまにしか来ない客に邪魔されたくないから、わからないことがあるときだけ呼んでくれという話だ。実際、客はほとんど来なかった。ただ、あや子と名乗る女から電話がかかってきたことがあった。

 本書収録の三篇はいずれもアラフォーで恋愛に草食系の女性が主人公です。価値観が古くさいうえに人物造形や主題がワンパターンとあっては、賞レースで不利なのは仕方ないことだと思います。恐らく当時の芥川賞の選評では、「安定しているが頭一つ抜け出せるものが欲しかった」云々といったようなことを書かれていたのではないかと、勝手に想像しました。

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