『フリーキー・グリーンアイ』ジョイス・キャロル・オーツ(ソニー・マガジンズ)★★★★☆

 フランキー・ピアソン、十五歳。ちょうど一年前、あたしの心に、フリーキー・グリーンアイが入りこんできた。どんなときでも、イカれた緑の目《フリーキー・グリーンアイ》が助けてくれる。パパは元フットボール選手でスーパースターだ。兄妹には十歳になるサマンサと大学生のトッドがいる。最近ママがパパを怒らせるようなことばかり言うようになった。そしてあたしたちを捨てて家を出て行ってしまった。

 ジョイス・キャロル・オーツ作品の登場人物たちは、誰もがもう一人の自分を持っています。多くは二重人格というほど極端なものではない。たいていの場合、主人公の独白として姿を現わします。本書のフリーキー・グリーンアイも、フランキー・ピアソンのそんなもう一人の自分の姿です。だからわざとらしくないリアルな揺れ動く心に共感できるのでした。そして共感していたからこそ、明かされる真相には恐ろしさを感じることでしょう。

 お金持ちのぼんぼんが野生動物を違法に檻で飼っている(と称している)場面があります。檻を開けて動物を逃がしてやったフランキーのことを、あろうことか大人たちまでが非難するのです。そのときにフランキーが悟ったことが、「人は正しい行いをするために、罰をうけなければならないこともある」ということでした。これが痛いほどの伏線になっていることに、読み終えてから気づきました。幾重にも暗示されている事実。本書の最後でフランキーは「正しい行い」を選択します。それ自体が罰であるような。そしてこれまで真実を選択できなかったのは、(二重の意味で)罰が怖かったから。

 フランチェスカという大仰な名前が嫌いで、フランキーと呼ばれたがる少女。家庭小説。大人になるということや両親のあいだの不和が、何よりも一番大事で大きな冒険だった頃。いかにも現代的な結末。

 フランキーはものすごく頭がいい。だから人とうまくやっていく術を知っています。だけどときどき抗いたくなる。それがフリーキー・グリーンアイ。どんないい子やクールな子でも、心の中はぐちゃぐちゃでいろんな感情が入り乱れてる。その言葉には出来ないごちゃごちゃした感じを、オーツは(つまりフランキーは)実にうまく表現してくれます。よっぽどの自信家や悩みのない人でもないかぎり、大人も子どもも女も男も必ずや共感できることでしょう。

 オーツは本書の中でアメリカン・ヒーローをばっさりと斬り捨てています。ヒーローであるためには、ヒーローという役割を演じ続けなければならない。なぜならヒーローとは特別な存在だから。周りの人間も、そして自らも認める“ほかのやつらとは違う人間”。父親がクリントン大統領と握手する写真があります。「ハンサムで自信に満ちた二人の男」。クリントンのカリスマ性に驚いた父親が言った言葉が「とにかく、愛さずにいられない人物なんだ。人々にそれだけ愛されているから、なにをやってもゆるされる」。前述のお金持ちのエピソードも、まさに「なにをやってもゆるされる」ことを信じて疑わない人々そのものでした。いわゆる“マッチョ”的な理想のヒーロー像や“勝ち組”を盲目的に信奉する危うさをも描いていると捉えれば、これは現代日本の大人にこそ読んでほしいとも言えるのではないでしょうか。

 なんでいまごろ電話なんかしてきたの? あたし、マジでうんざりしてるんだけど。物語のとても重要な場面でフランキー(フリーキー)が思う独白。ここだけ中途半端な口語体なので、せっかくの大事な場面が浮いちゃってるのが残念。
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フリーキー・グリーンアイ
ジョイス・キャロル・オーツ著/大嶌 双恵訳
ソニー・マガジンズ (2005.9)
ISBN : 4789726312
価格 : ¥1,680
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