『ウは宇宙船のウ』レイ・ブラッドベリ/大西尹明訳(創元SF文庫)★★★☆☆

映画『サウンド・オブ・サンダー』公開に合わせた文字の大きな新装版。

「「ウ」は宇宙船の略号さ」(R is for Rocket)★★☆☆☆
 ――そのフェンスにぼくらは顔を押しつけて待っていた。宇宙船。早く大人になりたい。そして選抜してもらわなければ。ぼくはそれを待っていた。

 宇宙船に対する無条件の憧れ。そこらへんにいまいち共感できなかった。選抜式のエリート機関である宇宙航行局という“政治的な”設定と、単純無垢な少年の夢というギャップに、読んでいて折り合いをつけられなかったのが理由だろうか。似たような設定の映画に『ガタカ』というのがあったけれど、あらは目立つけどいい映画でした。あれには宇宙を目指す主人公にそれなりの説得力がありました。

 「『ウ』は宇宙船の略号だね?」という不可解なセリフは、「『ウ』とくれば宇宙船のことしかないのかね?」ということらしい。
 

「初期の終わり」(The End of the Beginning)★★★★☆
 ――「そろそろ時間よ」と妻が言った。彼はうなずいて、空を見上げた。今夜、宇宙ステーションを打ち立てるため、宇宙船に息子が乗り込み飛び立つのだ。

 やはり邦題は「始めの終わり」あるいは「始まりの終わり」にしてほしい。せっかくうまいタイトルなんだから。やっぱいい作品です。人類初の宇宙ステーション計画のために宇宙船に乗り組んだ息子の打ち上げを、夫婦が見守りながらしみじみと感慨に耽るというだけの作品なのですが、これがいい。
 

「霧笛」(The Fog Horn)★★★★★
 ――海にはいろいろな不思議なできごとが起こる。霧の深い夜には、信号灯の代わりに霧笛の太い叫び声が通り抜けた。動物が鳴いているみたいだ。夜鳴きする一匹動物。見ると、何かが灯台に向かって泳いでいる!

 中学校の教科書に載っていました。ブラッドベリを採用するとは今から考えるととてもおしゃれな選択なのですが、教科書会社もなんともまたシブイ作品を選んだものです。ファンタジックなSF作家というイメージがあったから、初めて読んだこのブラッドベリに少し戸惑ったものです。というか当時は、SFガジェットやファンタジーガジェットに満ちあふれてもいない普通の日常に、いきなり恐竜が出てくるからびっくりした。

 恐竜の気持なんてわかるわけがないのに、わかった気になってしまえるところがすごい。霧笛自体にちょっと物悲しい響きがあるんですよね。長い首に光る目に太い声。言われてみると灯台って恐竜・怪獣意外の何者でもないな、と思う。
 

「宇宙船」(The Rocket)★★★★☆
 ――ボドニは三千ドル貯めて持っていた。火星に行く宇宙船に乗るためだ。だが残された妻は? 子供たちは? その日、三千ドルでボドニはアルミニウム製の宇宙船の模型を買った。

 “善意の嘘”というと反射的に映画『やさしい嘘』を思い出します。やさしい嘘に答えたやさしい嘘。あれは善意の嘘のなかでも究極のものでしょう。本篇は、莫大なお金を掛けた小さな、けれど一生忘れない善意の嘘の物語でした。
 

「宇宙船乗組員」(The Rocket Man)★★★★★
 ――お父さんが久しぶりに帰ってきた。お母さんはもう二度と宇宙船に乗ってほしくはないみたいだ。だけどぼくは思わず言ってしまった。「ねえ、どんな感じ、宇宙にとび出していくのは?」

 「長いあいだ」というのがどのくらいのあいだだったのだろう? ときには永遠だと感じてやりきれない残酷な気持になるし、ときには数年で済んだのだと思いたくなる。「宇宙船乗組員」を「探検家」とか「軍人」とかに置き換えれば、そのままこれは現代の物語でしょう。こんな思いをしている人たちが、今も世界中に何百人もいるのだと思うと頭がぼうっとしてくる。
 

「太陽の金色のりんご」(The Golden Apples of the Sun)★★★☆☆
 ――「南。太陽めがけてまっすぐ進む」宇宙船の船長はいった。太陽に近づくにつれ、冷凍装置の氷が溶け出した。

 太陽の温度というのは常識のレベルを超えているんだな、と愕然とした。防火・防熱だけではなく、宇宙船全体を氷点下一千度に冷凍させて近づくとは……。この発想だけでじゅうぶん驚きました。これは有人じゃなくちゃだめなのかなー?とも思いましたが、まあいいでしょう。
 

「雷のとどろくような声」(A Sound of Thunder)★★★★☆
 ――「動物狩りタイム・トラベル社」エッケルズはタイム・マシンで恐竜狩りに参加した。いかなる理由があろうとも、〈通路〉から出てはいけない。未来を変える危険があるからだ。

 これはやはり「雷のとどろくような音」と訳してほしい一篇。『サウンド・オブ・サンダー』の紹介文では「映像化不可能と言われていた」とか書かれているのだけれど、どのへんがそうなんだろう? 「雷のとどろくような音」という表現は確かにそうだけれど、作品の肝ってわけでもないしな。単純に特殊撮影の技術的な難しさなのだろうか? だとすればいまさらのうたい文句ではありますな。

 それはともかく原作はというと。映画なんかでは普通こういうばかなことをやらかすのは、傍若無人な自信家とか初めから悪意を持った奴とかってのがパターンだと思うのだけれど、臆病者がぼうっとしてというのがちょっとリアル。迷惑なやつではあるんだけれど悪人とまではいかない。悪意などどこにもないのに最悪の展開になってしまうあたりに、現実の不条理感が感じられたような。
 

「長雨」(The Long Rain)★★★☆☆
 ――雨は降りつづいていた。太陽ドームまであとどのくらいあるか、それさえわからない。金星という雨の世界では、死んだ同僚の口からすでに緑色のきのこが生えていた。

 ブラッドベリ作品には、「太陽の金色のりんご」の冷凍宇宙船だとか「雷のとどろくような声」の臆病な時間旅行者だとか、妙にリアルな生々しい説得力があるのだけれど、本篇に出てくる雨で成長し続ける金星の植物や立ったまま溺死する人間なども、不気味かつリアル。嘘っぽいんだけど妙に説得力がある。「Endless Rain」じゃなくて「Long Rain」であるところに救いがあります。
 

「亡命した人々」(The Exiles)★★☆☆☆
 ――死因は不明。宇宙船の乗組員は恐怖に震えていた。同じころ火星ではエドガー・アラン・ポオ氏を筆頭に、ビアス、ブラックウッド、コパード、マッケンら失われた幻想小説の書き手たちが一同に会していた。

 ファンタシーに対するブラッドベリの愛情が詰まった一篇。おれはおまえらの仲間じゃない、とつっぱねるディケンズがお茶目。シェイクスピアが三人の魔女やオベロンやパックをこき使っているのも微笑ましい。
 

「この地には虎数匹おれり」(Here There Be Tygers)★★☆☆☆
 ――その宇宙船は、第八十四恒星系第七惑星に降下した。あざやかな緑に覆われ、風が優しく空を飛ばせてくれる、のんびりした世界だった。だがチャタトンだけは強硬姿勢を貫いていた。

 攻撃的なチャタトンもチャタトンだけど、まったく警戒心を持たない他のメンバーも気持ち悪い。
 

「いちご色の窓」(The Strawberry Window)★★☆☆☆
 ――「わたし故郷へ帰りたいの」キャリーはそう切り出した。火星の生活はもううんざり。だから彼は一つだけばかなことをした。それを見てほしい。それでもだめだったら、地球へ帰ろう。

 『90年代SF傑作選(上)』で読んだデイヴィッド・ブリン「羊飼い衛星」にどこか似た雰囲気の作品。奥さんが帰りたいっていうとこだけ。当然本篇の方が先ですが。やはりブラッドベリは甘いのだけれど、そこがブラッドベリの魅力かな。「いちご色の窓」という表現はファンシーで魅力的なんだけれど、日本語人の感覚では「いちご色」と呼ぶのには違和感がありすぎるように思う。いちご色の朝焼けなんてちっとも魅力的じゃない。こればっかりは感覚の問題なんでどうにもならないけれど……。
 

「竜」(The Dragon)★★★★☆
 ――二人の騎士が耳を澄ませていた。竜はどこからやってくるかわからない。いままで何人の騎士が竜を迎え撃とうとしてしくじったことか。

 毛色の変わったショート・ショート。冒頭のやりとりは、なんとなく『ハムレット』で亡霊を見たとか見ないとか噂している兵士たちを連想した。映画版『ハムレット』ではジャック・レモンが兵士を演じていたから、騎士のイメージもジャック・レモンになった。ジャック・レモンが演じるとしたら……。妄想はふくらみ、偏愛する作品になりました。
 

「おくりもの」(The Gift)★★☆☆☆
 ――重量の限度を超えてしまったため、贈り物とクリスマス・ツリーは税関に置いていかざるを得なかった。「あの子はがっかりするだろうなあ」

 これも宇宙に対する無条件の憧れがないとピンと来ない。
 

「霜と炎」(Frost and Fire)★★★★★
 ――太陽に一番近いその惑星では、強い放射線のせいで人は八日間しか生きられなかった。寒暖の差の激しいその星でシムは生まれた。遠い昔、宇宙船が衝突して、彼らの祖先が放り出された。宇宙船は今も山の上に無傷で残されていた。

 放射能のせいで寿命は短い。太陽に近いせいで昼は体液が蒸発し、夜は血も凍る。ブラッドベリらしい雰囲気型の作品が多い中で、本篇はわりと冒険小説的。『火の鳥 黎明編』のラストみたいな感じ。英雄たちの新しい神話。寿命が八日間、つまり比喩でもなんでもなく人の一生を描き切っちゃえるわけで。生と死が詰まっている。
 

タイム・マシン(The Time Machine)★★★☆☆
 ――ダグラスとジョンはチャーリーにつれられてフリーリー大佐の家にやってきた。大佐はタイム・マシンの所有者なのだ。

 似たようなアイデアの作品を以前どこかで読んだ記憶がある。誰の何という作品だったのだろう? ノスタルジーと夢が詰まった素敵な小品。舞台を日本に移して、再話のうまい山本周五郎北村薫に書いてほしい(ほしかった)。それとも似た作品とはそもそも山周や北村薫作品だったのだろうか?

 ラストが意味不明だと思ったらどうやら有名な誤訳らしい。「They came to a fence. "Last one over this fence," said Douglas, "is a girl."/All the way home they called Douglas "Dora."」(「垣根のところにやってきた。「この垣根を越えるびりっけつは女の子」と、ダグラスがいった。/家に帰る途中ずっと、みんなはダグラスのことを「ドーラ」と女の子の名で呼んでいた。」)ということのようです。すると、本書訳では三人を「青年」と訳していたけれど、このラストを考えればやっぱり「少年」だろうなあ。巻頭作からして会話の文体が統一されていなかったし、かなりいいかげんな訳らしい。
 

「駆けまわる夏の足音」(The Sound of Summer Running)★★☆☆☆
 ――「お父さん、新しいテニス・シューズを買ってよ!」去年の靴では何かが死んでいるのだ。新しいラバー・ソールさえ履けば、なんでもできる気がした。

 宇宙に憧れる代わりに、スニーカーに憧れる少年の物語。本書は宇宙に始まりラバー・ソールに終わったわけだけれど、そこらへんがいいです。鉄棒とか塀に腰掛けて靴を履いた足をぶらぶらさせながら夜空を見上げてる感じがして。

 * * *

 誰もが知ってるブラッドベリ。ということでただ単に好き嫌いで★をつけました。あまり好きじゃない話でも、敢えていいところを見つけようということはしていません。好きなら好き、ダメならダメ、でいい(というかそうすべき)作家だと思います。何よりも感性を大事にすべき作家。面白がれなかったわたしの方がセンスないんだね、と自嘲してます。

----------------------------------------

amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。

------------------------------

 HOME ロングマール翻訳書房


防犯カメラ