『ルート350』古川日出男(講談社)★★★★★

「お前のことは忘れてないよバッハ」★★★★★
 ――彼女がバッハの冒険について語る。「バッハっていうのは飼ってたハムスターの名前。その冒険がはじまるまでは、実に平穏な日々がつづいていた。でも、これ、虚構だったの」

 この作品の語り手は、実は聞き手です。物語の語り手は、その会話相手。フィクションであれ事実であれ、物語が生まれるには切実な欲求がある。物語が生まれるまさにその瞬間を、この作品は描いてくれる。この物語の聞き手は、聞き上手だ。最後に新しい物語を、届けてくれる。
 

「カノン」★★★★☆
 ――男の子は顔の見えない男の子たちと話をしていた。「やっと気づいたのかよ、全部インチキだってことに。ここは数年前まで海だったんだぞ。こんなもの低予算映画のセットも同然だ。だけど今度できるテーマパークはやばい。A級の映画だ」

 ザ・マウスのいるテーマパークのインチキを暴く男の子と、テーマパークで働くことを夢見る女の子の物語。だってこの世はベタな低予算映画なんだもの、センチなボーイ・ミーツ・ガールが待ってるのダ。ラジオが奏でるパラレル・ワールドが真実を告げる。今も虚飾の王国の下に、真実が埋まっている。ラジオというのはなぜか青春のキーワードです。本篇自体は違うけれど、本書にいくつか収められたロード・ノヴェルにもまたラジオというアイテムがよく似合う。旅、青春、深夜。ラジオは永遠の友だち=真実だった。
 

「ストーリーライター、ストーリーダンサー、ストーリーファイター」★★★★★
 ――さて僕は記録者だ。僕は幽体離脱をしたのだ。高校生になったばかりで、どのグループに所属するかで、もてるかどうかが決まる。焦る。焦って僕は幽体離脱した。うわお。教室で視線がなぜか三人に吸い寄せられた。エロ王とガーリーとお猿。

 幽体離脱という局所限定の“神の視点”。だから三人はたまたま選ばれた三人なのだ。全能の視点の語り手が都合良く選び出したのではなく(全能の作者が都合良く選び出したんだけどさ(^^;)。三人の視線が交わる窓の光と相まって、黄金の三角形が形成される。黄金すなわち絶対的な三。ピラミッドパワー? 物語を紡ぎ出す三人に宿る生産力。力に引き寄せられて瀕死の語り手は生へと帰還する。そういえばいいようによっちゃあ性欲だって生産力だ。ということで、生産力に満ちあふれた青春が爆発しているスタイリッシュな物語。おバカな語りが三人のカッコヨサを引き立てる。
 

「飲み物はいるかい」★★★★☆
 ――旅について。どうしてみんな休暇イコール旅行だと考えるのだろう。旅行したら休めないじゃないか。もちろん、こんな僕だって旅をしたことはあるし、一度は休暇と旅を等号で結んだこともある。旅をしたのは六年前だ。それが離婚休暇だ。

 女の子とおじさんのロード・ムービー。すぐに思い浮かぶのは『ペーパー・ムーン』。偶然にも嘘と真実の物語。こうして本篇も、本書の他作品とどこかで通底する。空からやってきた女の子が三億年も死んだふりをしていたことを、どうして信じられないなんて思うんだろう? 旅とは、どこかの土地に旅行に出かけることだけを指すわけじゃない。だからこれは正真正銘のロード・ノヴェルで、当然、旅はまだ終わっていない。日本人の作家でも、こんなクールな女の子が書けるんだ、と思うとうれしい。
 

「物語卵」★★★★☆
 ――さてインコです。流行によって購入された鳥獣は、悲惨な末路をたどる以外にない。一、二年したら飽きられて都市部に放たれる。ここで男が登場するんです。バードマン、鳥男と呼ばれています。家庭を訪問して、インコを譲って下さいと告げるのです。

 永遠に残るもの。照射するもの。名づけること。物語を孵すこと。すべてを必要とする環境だったから、適応して僕らが生まれた。鏡は自分を照らし、名づけることで他者を認識する。生物は自分を永遠に残すために生きている。本当はインコではなく、卵が必要だった。物語が必要だった。完結しては物語が終わってしまう。終わらせないためには、物語が孵る前に邪魔をする別の語り手が必要だった。そうして物語は永遠に終わらずに増殖し続けてゆく……。

 インコに自分の存在を託す男、鏡戦争、「お父さん」という名前を持った人が自分のお父さん以外にいることを知って自我の危機に陥る女の子etc.。終わる必要なんて全然ない、めっぽう面白いファンタジーばかり。
 

「一九九一年、埋め立て地がお台場になる前」★★★★★
 ――ユカさんは、ヨチできる。予知夢。おれたちは一九九一年二月最後の日に出会ったが、翌日は三月ではなかった。「あたしたちが意外だって思ったのは、クルマがたくさん駐車してたことだね。埋め立て地のそこに。マー君がエンジンを修理してるうちに、あたしたちは寝入っちゃった。そこで予知夢を見たの。いま寝てる三人、もう起きない」

 ゾンビものっぽい雰囲気の漂うホラー・ファンタジー。「A級の映画」セットが組まれる前に現れた嘘と真実のひずみ――そこに閉じ込められた恐怖の一夜。寝てしまうと二度と起きないのは、きっと目覚めてしまうから。レプリカの(あるいは現実の)世界に戻ってしまうから(これはわたしの単なる思いつきだけど(^^;)。気づいていないのか、戻りたくないからなのか、語り手たちは眠らない。すべてが眠りについて静寂が訪れることよりも、永遠の物語を語り続けることを選ぶ。
 

「メロウ」★★★★★
 ――三日目。僕らはホテルにこもり、二班にわかれる。誰も勉強してない。そのための夏期講習だったけど、僕たちに勉強なんて必要ないだろ? 僕たちは知的早熟児と呼ばれていた。先生が利口だったから救われた。僕たちは先生のために流す涙を持っている。三日前から、狙撃が始まった。

 知的早熟児というよりも、ほとんどミュータントみたい。『人間以上』いやむしろ『AKIRA』か。何が何だかわからないまま、ただひしひしと展開してゆく子供たちと犯人たちの攻防戦。まるで人類の存亡を賭けた大戦争の物語から一部だけを切り出してきたようにも思える。そう、本篇の外側には、語られないこれ以上の物語が広がっている。わたしたちの想像の許すかぎりどこまでも。そういう意味では、本篇もまたエンドレスの、孵らない物語だ。

 ラブたちだっていずれは大人になるんだけどね。なのに、「さようなら」と告げる。死んでしまった子供たちは永遠にパートナーだと宣言する。こんな矛盾を可能にするのが、メロウ=年齢的には子どもでも、完熟してる。何者でもない状態。
 

「ルート350」★★★★☆
 ――海の上に国道が走っている。これはカーフェリーだ。この航路自体が国道350号線なのだ。当然のように車をむかわせるルートは決定された。そもそも僕たちに目的なんかない。

 カバーイラストのように、いやカバーイラストを越えて、路は地平線の果てのどこまでも続いている。その永遠の果ての果てまで、あらゆる可能性も続いている。サイン本の著者署名には、名前のほかにまるい→が書いてあった。ぐるりと丸く描かれた矢印。ルート350はエンドレス、ぐるぐると円環状にどこまでも続くのだ。
 

 実は初めてちゃんと読んだ古川日出男。読む前から、好きなタイプの作家であることはわかりきってたのにね。うん。すごい。こんなにもありえない物語を使って現実の心を鷲づかみにしちまう。
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ルート350
古川 日出男著
講談社 (2006.4)
ISBN : 4062133911
価格 : ¥1,575
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