『特別料理 異色作家短篇集11』スタンリイ・エリン/田中融二訳(早川書房)★★★☆☆

 原題『Mystery Stories』Stanley Ellin,1958年。

 あまりにも有名な「特別料理」「決断の時」などを除けば、以外と普通のショート・ミステリの書き手でした。もっと“重い”作家だという印象があったので構えて読み始めたのですが、拍子抜けするほどまっとうなアイデア・ストーリーも多かった。そこが逆にもの足りなくて、深読みしてしまいたくなる作家ではあります。

「特別料理」(The Specialty of the House)★★★★★
 ――「ほら、ここだ。君の舌がどんなに肥えているかは知らんが、スビローズで出す料理の一口ごとに、君は舌鼓を打つにきまっている」上司が案内してくれたレストランには、いつ出るかはわからない、アミルスタン羊という特別料理があった。

 ひさかたぶりに読み返しました。命を助けられた給仕のエピソードなんてすっかり忘れていた。最後の文章が記憶に残っているのも、印象が強烈だったからじゃなくて、いろんなところで引用されているからだと思う。そういうわけで、「アミルスタン羊」とその正体以外、細かいところはまったく覚えてなかったのでほとんど初読みたいなものでした。

 ビアスの失踪がうまく伏線になってるんだなあ。その後に出張云々とあるのがものすごく自然に受け入れられる。小説好きをにやりとさせる単なる特別出演的なサービスじゃないんだ。

 ラフラーとコステインによる、いかにもアメリカのビジネスマンっぽい感じのやりとりも、雰囲気を盛り上げる。まわりで何が起ころうともあわてずさわがず、どんなときでも自分たちには自分たちの娯楽を楽しむ権利があるのが当然みたいな尊大な感じの人たちが夢中になるわけですからその味やかくやと。サッカーの試合とかでよく偉そうにふんぞり返って座ってるVIPとかが、飛び跳ねておおはしゃぎで応援していたとしましょう。この店の料理に対する二人の反応は、まさにそんな感じ。

 給仕のエピソードがわざとらしすぎる気もするけれど、これはこれで、うすうす真相を感じ取っている読者としてみれば「ほら、やっぱり!」てなふうに快哉を叫びたくなるところなのかも。
 

「お先棒かつぎ」(The Cat's Paw)★★★☆☆
 ――ミスター・クラブトリーが採用された仕事は、毎日雑誌を読んで報告書を書くという単純なものだった。ただし決して仕事のことを口外してはならない。あるとき現れた経営者は、クラブトリーにこう言った。「人をひとり殺してもらいたいのだが」

 「赤毛連盟」風に始まり、完全犯罪とレール軌道人生が披露されます。お先棒をかつぐのが性に合っているタイプというのは確かにいるものです。決められたとおりにこなすのが生き甲斐。犯罪の実行自体は単純なのですが、そこに至るまでと実行後のことまで考えた、微に入り細をうがつ人間心理の“読み”が見事です。
 

「クリスマス・イヴの凶事」(Death of Christmas Eve)★★★☆☆
 ――ステッキでたたくと、セリアがドアを開けた。セリアはジェシーの死を悼むふりをして明かりをつけない。暗がりの中チャーリーの部屋を訪れた。チャーリーはいまもジェシーの死をセリアのせいだと信じて部屋から一歩も出なかった。

 アシモフ編の『クリスマス12のミステリー』に収録されていた「クリスマス・イヴの惨劇」で読んだことがありました。サプライズド・エンディングが肝要な作品なので、再読でも面白い「特別料理」とくらべるとやや落ちる。とはいうものの初読時の衝撃は今でも忘れていません。初読時を思い返せば間違いなく★★★★★です。「決断の時」→「クリスマス・イヴの惨劇」という順番で読んだので、当時はエリンというとサプライズド・エンディングの作者というイメージを植えつけられてしまった。そんなだから、アンソロジーで「特別料理」をはじめて読んだときは、あれれ?という印象だった。
 

「アプルビー氏の乱れなき世界」(The Ordenerly World of Mr. Appleby)★★★☆☆
 ――本で読んだところによると、妻が小型の絨毯のうえで転倒したように見せかけて殺した夫の事件があったそうである。骨董店の借金がかさんで来たので、アプルビー氏は財産を遺してくれる七人目の妻を物色しはじめた。

 真実一路というか馬鹿の一つ覚えというか虚仮の一念というか、アプルビー氏も奥さんも一つのことにこだわる性格のようです。おかげでコン・ゲーム的な騙し合いにはならずに、なにやら宿命の対決のようなおどろおどろしい雰囲気も漂う作品となりました。ほかの作家なら、全編通して軽めに仕上げることも可能でしたでしょうが、このどろどろの動機・心理を書き込むあたりがエリンらしい。
 

「好敵手」(Fool's Mate)★★☆☆☆
 ――ジョージ・ヒュネカーは知人からもらったチェス一式に夢中になった。妻が相手にしてくれないので、ジョージは一人でチェスの手を考えることにした。自分は黒の駒、相手は白の駒だ。白ならこの局面をどう考えるだろう。それを考えるのがこのやりかたの難しいところだ。

 よくある二重人格の話だし、読んでいても面白くない。「クリスマスの凶事」もそうだったが、フィニッシング・ストロークものの本筋を面白く書くのは難しいのでしょう。
 

「君にそっくり」(The Best of Everything)★★★★☆
 ――どいつもこいつも身なりのいい連中だ。彼らの仲間入りができるなら、アーサーは魂を売り渡したってよかった。今のままではアンはアーサーに見向きもしない。そんな折り、有力者の父親から勘当されたチャーリー・プリンスに出会ったアーサーは、チャーリーの雰囲気を身につけようと同居することにした。

 エリンって「ブレッシントン計画」とか「特別料理」とかが有名なために、人生の裏表をめくって見せる心理小説の名手のようなイメージがあったのだけれど、意外と普通のショート・ミステリっぽい作品も書いてくれています。本篇にいたっては驚くほどあっさりと(初め読んだときは比喩かと思ったくらいさらっと)殺人が記述されています。記述。プロットが要請するから殺人が起こるだけで、別に殺人犯の心理を描ききろうとかいう意思はさらさらない。エリン・ファンにはそこがものたりないかもしれないけれど、いっそ潔いくらいの娯楽ミステリとして一級品だと思います。
 

「壁をへだてた目撃者」(The Betrayers)★★★★☆
 ――かれらの間には壁があった。はじめに聞こえたのは足音、やがて声ともお馴染みになった。わざわざ聞き耳をたてるようになると、その娘がエミーという名で夫のいることもわかってきた。ある日、壁の向こうで言い争う声が聞こえ、やがて重いものが倒れるような音がした。

 これも大方の人にはオチの予想がつくかと思います。結末がわかりきっているのに楽しめるところにエリンの凄さがあります。ただ本篇は「特別料理」や「決断の時」とは違い、最後の一文に向かって幾重もの伏線を張りめぐらせてゆくタイプの物語ではなく、一ネタでびっくりさせるタイプの物語です。だから本来なら中盤は不要といえば不要ともいえるのですが、中盤の聞き込みで明らかになったエピソードがあるからこそ、「The Betrayers(裏切者)」というタイトルが生きてきます。ミステリ的な驚きを導く齟齬の方にではなく、「裏切者」という結末に向かって伏線を張りめぐらせている作品だと思って読むと、これまた「特別料理」や「決断の時」のような再読に耐える傑作なのでした。
 

「パーティの夜」(The House Party)★★★☆☆
 ――「やあ、気がついたらしいぞ」とその声は言った。マイルスは玄関の外で倒れていたのだ。通りかかった医者が心配ないというので、パーティを続けた。だがパーティも妻のハンナもロングランの舞台に出演し続けるのもうんざりだった。

 なんだかメロドラマだなぁと思っていたら、メロドラマなのは必然なのでした。作品内容そのものをこの作品のネタの伏線にしてしまうという意味では、神がかり的な傑作といえる。ただしそのメロドラマの内容自体はつまらないという致命的欠陥もある。これはメロドラマだから仕方がない。
 

「専用列車」(Broker's Special)★★★☆☆
 ――コーネリウスが株屋の専用列車以外の列車で帰宅するのは初めてのことだった。妻のクレアと見知らぬ男が一緒にいるのを目撃してしまった。コーネリウスはその男を殺すことを決意した。以前に聞いたことがある。自動車で人を轢いても、不幸な事故として同情されて軽い罪で済むと……。

 完全犯罪を描いた作品ですが、本格ミステリ的に完全無欠な完全犯罪ではなく、いかにもエリンらしい、言ってみれば“嫌らしい”完全犯罪です。思い込みが激しいというか思い立ったら躊躇しないというか、殺人を一瞬たりともためらわない主人公が、そのくせネクラにねちねちと用意周到な計画を立てるのですが、それが異常なことではなくごく当たり前のように感じられるからいやです。電車ミステリかと思いきや自動車ミステリなのが人を食っていていい。
 

「決断の時」(The Moment of Decision)★★★★★
 ――義兄のヒュー・ロジャーはたいへんな自信家だった。といっても他人から好かれるタイプではあった。隣に元大奇術師レイモンドが越してくるまでは、うまくいっていたのだ。そしてその日、二人の衝突は決定的な瞬間を迎えた。レイモンドが地下の牢屋から時間内に脱出できるかどうか賭けを始めたのだ……。

 再読です。というか何度目かわかりません。何度読んでも傑作ですね。今回読み返してみると、結末に関して言えばこれはレイモンドの騙り以外にないなあという印象を持ちました。明らかに吹きでしょう。それよりも周到に張りめぐらされた伏線の数々に唸らされました。ヒューの性格、日に日に深まる溝、決断をめぐる会話……。「人間の性質についての知識」を持ったレイモンドが、ヒューが悩むところまでを見越してからかっているようにしか読めませんでした。実際に“どちらなのか”が問題なのではなく、“ヒューがどちらを決断するのか”が問題の作品なのだと、初めて気づいた次第です。なんて残酷な作品なんだろう。一瞬、スタンリイ・エリンが嫌いになった。
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特別料理
『特別料理』 スタンリイ・エリン著/田中融二
早川書房 (2006.7)
ISBN : 4152087412
価格 : ¥2,100
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