『ミステリマガジン』2007年04月号No.614【愛しのレイモンド・チャンドラー】★★★★☆

 村上春樹訳『ロング・グッドバイ』は3月8日発売ということで、今月号はレイモンド・チャンドラー特集。来月号は〈執事とメイド〉特集ということでウッドハウス掲載らしい。『S-Fマガジン』の方も来月・再来月号は〈異色作家短篇〉特集だそうで、年度も改まりどちらも充実してます。

「愛しのレイモンド・チャンドラー/イラスト名場面」佐々木梧郎・渡邊伸綱・茂本ヒデキチ
 う〜む。。。こういうタフガイ=男の独りよがり系ハードボイルド観はやめてほしいんだけどなあ……。マーロウがかっこいいのは、馬場啓一氏もエッセイで書いているとおり、「私立探偵のくせに、なにを舞い上がっているのか」というところなのに。しかもそれを本人も自覚してるところ。決して自分に酔ってない。なのにナルシス系イラスト3作品でした。
 

ロング・グッドバイ』(第三章まで)レイモンド・チャンドラー村上春樹訳(The Long Goodbye,Raymond Chandler,1953)
 ――テリー・レノックスとの最初の出会いは、〈ダンサーズ〉のテラスの外だった。ロールズロイス・シルバー・レイスの車中で、彼は酔いつぶれていた。かたわらに若い女がいた。ロールズロイスがそのへんのありきたりの車に見えてしまうほどのショールを掛けていた。

 3月8日発売の本から先行掲載されても、お得感があるようなないような。それはさておき翻訳の方は、意外と違和感がない。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』でも違和感ばりばりだった「〜なんだよ」文体はやはりところどころ気になるものの。「ロールズ」とか「ダーリン」とか「できますまいね」みたいな古風な言い回しとかも、いかにも村上春樹ではあるが。

 なにより完訳版だというのが素晴らしい! すべて比較するつもりはないけれど、冒頭からちょこっとはやはり清水俊二訳と比較する誘惑に勝てなかった。清水版の「青いたちの外套」が「ブルー・ミンクのショール」、「車」が「コンバーティブル」、「警察車」が「パトロールカー」などなどになっているのを見ると、こんなにも昔の訳だったんだと驚く。それはしょうがないにしても、やはり比喩の言い回しは春樹訳の方が格段にうまい。冒頭の「ロールズロールズ」にしても、背中から突き出そうな視線にしても。
 

「愛しのレイモンド・チャンドラー/エッセイ」池上冬樹原りょう・松坂健・向井万起男森英俊山野辺進
 池上氏のエッセイは、これまでにもいろいろなところで述べられてきた清水訳についてのもの。村上訳を念頭に置いたものではないけれど、やはり新訳が出るタイミングで言われると説得力が増す。

 プロの物書きであるのなら、「エッセイを」と注文されたからと言って、単なる駄文を書き連ねていいわけもない。原りょう。書けないのなら引き受けるな。

 チャンドラーの魅力を、寂しがりという点から綴った松坂氏。チャンドラーそのものではなく、チャンドラーの影響力について書いた森氏。

 向井万起男氏はどういう方なのかと思ったら、『ハードボイルドに生きるのだ』なる本を出しているんですね。宇宙飛行士向井千秋氏の旦那さん。顔を見れば、ああ、あの人か。映画は『三つ数えろ』しか見ていないから何ともわからない。ボガートとバコールどちらも好きでないわたしとしては退屈なだけの映画だったのだが。向井氏、山野辺氏ともにロバート・ミッチャムを一番のマーロウ役者に挙げています。
 

「マーロウと白洲次郎――レイモンド・チャンドラーに学ぶダンディズム」馬場啓一
 白洲次郎、チャンドラーともに英国流が身についている、とか、白洲次郎の有名なエピソード「貴下は見事な英語を話しますな」「閣下も練習すれば、もっと良い英語が話せるようになるでしょう」という台詞がほとんどフィリップ・マーロウの世界である、なんて指摘とか、そういうのも面白いんだけど、冒頭にも書いたようにマーロウと服装、ダンディズムと英国なんてのが独特。
 

「チャンドラーにはジャズが似合う」吉村浩二
 以前にチャンドラーへのオマージュ・アルバムを作った方らしいのですが、前半の映画音楽についての記述はともかく、後半のアルバムについての記述は、アルバムが手に入らない現状では何とも言いようがないぞ。CD化しようと考えているそうなのでガンバレ!
 

「人生の大切なことはチャンドラーに学ぶ――チャンドラー名言集」

レイモンド・チャンドラー年譜」「チャンドラー著作リスト」

レイモンド・チャンドラーの映像世界、その光と影」小山正
 メジャー作からマイナーなのまで。ロバート・ミッチャムの映画作品と、一連のテレビシリーズを見てみたいな。チャンドラーにも書き直しさせるというのを読むと、ハリウッドはなあ……と思う反面、現在の日本みたいにクズドラマの脚本家にもわがまま言わせ放題なのも傑作なんて生まれるわけないと思うし、一長一短なんだろうな。
 

「待っている」レイモンド・チャンドラー田口俊樹訳(I'll Be Waiting,Raymond Chandler,1939)★★★★☆
 ――トニー・リセックはあくびをした。「グッドマンがお好きなんですね、ミス・クレッシー?」「あなた、わたしを見張ってたでしょ、探偵さん?」「以前にも似たような女性客がいました。バルコニーから飛び降りた」「わたしが待っているのは、背が高くて黒い髪のやくざな男よ、トニー」

 田口俊樹訳、ということはかなり原文に忠実なのだろう。ぜひ田口訳でマーロウものを読んでみたかった。夜のホテルで起こった、静かな静かな物語。こういうささやかな感傷こそがかっこいいんですよね。自分にできることとどうすることもできないことをよくわかっていて、そのできることをやらずにはいられない。ベタベタの感傷でもなく正義のヒーローでもない。人は誰も主人公ではない、世界の一部なんだということを思い知らされる結末も悲しい。
 

「ヌーン街で拾ったもの」レイモンド・チャンドラー/三川基好訳(Pickup on Noon Street,Raymond Chandler,1936)★★★★☆
 ――正直そうな目をした若い女だった。こんなぶっそうな町に来るような子じゃない。大きな車がゆっくりと現れ、窓から何かが投げ出された。女はおびえていた。「代わりにとってきてくれる?」彼が包みを拾い上げると、強い光に目をくらまされた。「警察だ。包みをこっちにわたしてくれないか。それから両手をそろえて――」

 チャンドラーの三人称小説の新訳。殴り合いに殺し合い、馬鹿な男に馬鹿な女、権力と欲望、下世話な意味でのハードボイルドの魅力がたっぷり詰まった作品。トークン・ウェアという、日本人が見ても「変な名前」の女――天真爛漫というのか頭が悪いというのか――ファム・ファタルだとするなら、こういう無邪気を装った女の方が、悪女な悪女よりも百倍タチが悪い。とんだ拾いもの。

 【チャンドラー特集】はここまで。
 

「ミステリアス・ジャム・セッション第71回」桜庭一樹
 これまでは未知の作家さんが多かったが、ようやく知ってる作家さんです。砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないが「子供向けの表紙だと買いにくいという声がある」から単行本化だと書かれてあるのを見て確認したら、うぅむなるほど、これはイタイ。
 

「新・ペイパーバックの旅 第13回=カーター・ブラウンの最後のオツトメ」小鷹信光
 タイトルこそ「カーター・ブラウン」だが、四分の一は『私のハードボイルド』の訂正である。義理堅いというかすっとぼけてるというか(^^;。

「日本映画のミステリライターズ」第8回(菊島隆三(1)と「野良犬」)石上三登志

「英国ミステリ通信 第100回 マーティナー・コール・インタヴュー」松下祥子

「ヴィンテージ作家の軌跡 第48回 1930年代のアンブラー(3)」直井明

「冒険小説の地下茎 第84回 過去も故郷も捨て流浪する男」井家上隆幸

「瞬間小説 42最終回」松岡弘一
 「鼻」「食品テロ」「いただきます」「超能力者」「バイオメトリクス

「夜の放浪者たち――モダン都市小説における探偵小説未満 第28回 横光利一『上海』(前篇)」野崎六助

ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか? 第108回 小説的リアリティと記述の人称」笠井潔
 図らずもなのか計ったのか、クリスティの手記トリックから一人称小説の話へ。奇しくも本号は一人称小説の傑作レイモンド・チャンドラー特集なのでした。
 

「今月の書評」など
◆小山正氏の紹介作品は『ミヒャエル・ハケネDVD-BOX』。『隠された記憶』は面白そうなんだけど、「近年のミステリ映画の中でも群を抜いて意地悪な作品」かあ。カフカ『城』の映像化とか、「ビデオオタクの少年が犯した殺人を家族全員で隠蔽する」『ベニーズ・ビデオ』とか、面白そうではあるのだが。

◆『S-Fマガジン』でも紹介されていた映画『デジャヴ』河原畑寧氏も紹介。うむむ。こちらのあらすじを読んでも肝心の監視システムの仕組みがやっぱりよくわからない。これは見るしかないなあ。

◆三橋暁氏が文学刑事サーズデイ・ネクスト3』、『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッドを紹介。前島純子氏はヒル異人館』、『横溝正史翻訳コレクション』ほか。杉江松恋氏はシャーロック・ホームズの栄冠』、ロラック『死のチェックメイト』、ジル・チャーチル『死ぬのがフライ』。『死ぬのがフライ』は浅羽莢子氏最後の仕事とのこと。古山裕樹氏は『グランダンの怪奇事件簿』を紹介。ダーク・ファンタジー・コレクションの第4弾。

小池啓介氏は『殺しのグレイテスト・ヒッツ』、『狼の一族 異色作家短篇集』、『ひつじ探偵団』、『闇に棲む少女』を紹介。アンソロジー『殺しの』収録の「隠れた条件」を、小池氏だけでなく松坂健氏もamazonのレビュアーも評価していて意外。『ミステリマガジン』2006年09月号で読んだときは、「殺し屋を依頼人に対する一種のカウンセラーに見立てた発想が」失敗しているとしか思えなかった。「聖書をモチーフにした暗号ミステリ」ジェフリー・ディーヴァー「章と節」はぜひ読みたいのだが。『ひつじ』は「読書前にあった牧歌的なイメージは、しかしすぐに払拭された」「予想外に歯ごたえのある作品」なんだそう。ほのぼの作品かと思って見向きもしてなかった。『S-Fマガジン』でも紹介されていた『闇に棲む少女』は「9・11ミーツ『エクソシスト』」だそうである。

◆お薦め四作ではないのだが、西上心太氏が紹介している東野圭吾『たぶん最後の御挨拶』にまつわる「トウノ/ヒガシノ」をめぐる戸籍のふりがなの話が面白い。ほかに芦原すなお『わが身世に降る、じじわかし』など。

小玉節郎「ノンフィクションの向う側」◆
 遣唐使全航海』。いくらノンフィクションとはいえ意外なセレクトだが、けっこうミステリーなのだ。

◆風間賢二「文学とミステリのはざまで」◆
 ジュリアン・バーンズイングランドイングランド東京創元社から出ている!? 確かに〈海外文学セレクション〉にはミステリとは呼べない海外小説もけっこう収録されているけれど、意外です。
 

「隔離戦線」池上冬樹関口苑生豊崎由美
 

「翻訳者の横顔 第88回 BDと私」大西愛子
 

『藤村巴里日記』第01回 池井戸潤
 ――叔父の遺品にあった古びたノート。添えられた手紙によると、祖父から「返してくれ」と託されたものだった。ノートの主は誰なのだろう。叔父の葬儀が終わると、「日記を渡してほしい」という無礼な男からの電話がかかってきた。

 『藤村巴里日記』というタイトルであるからには、島崎藤村なんだろうなあ……。日記作者の正体については次回あたりでさっさとバラすつもりなんだろうけど、連載の一回目くらいはもうちょっとわくわくさせてほしかった。
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