『猫とともに去りぬ』ロダーリ/関口英子訳(光文社古典新訳文庫)★★☆☆☆

 『Novelle Fatte A Macchina』Gianni Rodari,1973年。

「猫とともに去りぬ」Vado via con i gatti)★★☆☆☆
 ――「どうやらこの家には年金生活者の居場所はないらしい。こうなったら出てってやる。猫といっしょに暮らすんだ」

 いかにも人生訓・寓話めいた巻頭の表題作を読んだときは、どう反応すればいいのか戸惑ってしまった。これがユーモアあふれる知的極上ファンタジー? 人間社会から出ていったおじいちゃんが、猫として暮らしたあとで、また元に戻る話である。ともすればシビアで風刺の強くなりかねない話でも、終始ほんわかまったりとあたたかい。すねたみたいなおじいちゃんが可愛くもある。けど……あまりにも表現方法がストレートで他愛ない。ユーモアというのもいまいちピンとこない。それともこれがウィットではなくユーモアというものなのだろうか。

 しかもどうやらこの作品だけは収録順を変えて勝手に巻頭に持ってきてしまっているようだ。そんなにプッシュする作品かなあ?

 なぜか自動車の話になってしまった白雪姫のお話「社長と会計係」を読んでみても思いは変わらなかった。
 

「社長と会計係 あるいは 自動車とバイオリンと路面電車(Padrone e ragioniere ovvero L'automobile, il violino e il tram da corsa)★★☆☆☆
 ――「鏡よ鏡よ、鏡さん。村でいちばん美しい自転車はどーれ?」「ジョヴァンニ会計係の自動車です。」「このクソったれ!」

 風向きが変わってきたのは三話目の「チヴィタヴェッキアの郵便配達人」あたりからだった。速達を届けるのに急ぎすぎて前の日に届けてしまった。急ぎすぎ、というところから、煙を出して走るエリック・アイドルを思い出したからだろうか、テリー・ギリアムの『バロン』を連想した。『ほらふき男爵』が原案。ああ、そういうユーモアなのかな、と得心。シュールな大人のファンタジー。刹那的に笑うのではなく、噛んで噛んで苦みの出るまで噛みまくる笑い。
 

「チヴィタヴェッキアの郵便配達人」(II postino di Civitavecchia)★★☆☆☆
 ――コオロギと呼ばれる配達人ほど、重いかばんを運べる人はほかにいない。「重量挙げをやってみる気はないかね? チャンピオンになれるかもしれん。」

ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ」(Venezia da salvare ovvero Diventare pesci è facile)★★☆☆☆
 ――教授の見解によると、ヴェネツィアは一九九〇年までに完全に水没するということだ。我々は魚に姿を変え、果敢に環境災害に立ち向かうことにした。

「恋するバイカー」(II motociclista innamorato)★★★★☆
 ――「パパ、僕、結婚しようと思うんだ」「ブロンドか?」「赤だよ」「赤ねえ」「ダメなら白にもできるけど。ミーチャと呼んでる」「猫じゃあるまいし」「バイクだよ」

 五話目の「恋するバイカー」になると、比喩でなく文字どおりバイクに恋する若者が登場し、大人のユーモアというよりもナンセンスギャグみたいになってくる。個人的にはこの手の作品の方が楽しめた。知的とか高尚とかいう言葉に縁のない人なら、きっとわたしと同じ感想を持つんじゃないかと思う。くすくすとかうふふと笑うんじゃなく、げらげら笑う。宇宙人がピサの斜塔を盗みに来る「ピサの斜塔をめぐるおかしな出来事」や、ギリシア神話をネタにした「三人の女神が紡ぐのは、誰の糸?」なんかも、この系統の笑い話としておすすめだ。

 一方で、投げ捨てたゴミが成長を続ける「箱入りの世界」や、人形が常識を笑い飛ばす「お喋り人形」などは、表題作と同じくあっけにとられるくらい飾らない諷刺が核になっていて、どうにも興を起こされなかった。ソフトな口調で直截に訴えかけるとでも言えばいいのだろうか、そのまんますぎるのだ。

 ユーモアもキツイものはとことんキツイ。「平泳ぎ五メートルの隠れ世界記録保持者」……。「嘘だ!」「これが店の主の証明書……それと、これは十二人の証人による署名付きの証言……そしてこれは、僕の洗礼証書です。」って……。「ピアノ・ビルと消えたかかし」や「ヴェネツィアの謎」なんかは、始まりはシュロック・ホームズか名探偵オルメスか、てな珍妙な事件で面白くなりそうだっただけに残念。
 

「ピアノ・ビルと消えたかかし」(Pianoforte Bill e il mistero degli spaventapasseri)★★★☆☆
 ――保安官は、ピアノ・ビルを牢屋にぶち込むべくピアノの音色を追っていた。このところ、何体ものかかしが姿を消した。厳密にいうと、十二体以上だ。

ガリバルディ橋の釣り人」(II pescatore di ponte Garibaldi)★★★☆☆
 ――「どうやったら魚が釣れるんですか?」男はまじないをつぶやいてみせた。「お魚よ、ジュゼッピーノのところにおいで」アントニオ氏は、過去に戻って自分をジュゼッピーノと呼ばせるようにした。

 呪文を変えるのではなく、魚を釣るためだけに事実を変えてしまおうという発想が炸裂するナンセンス作品。ただし、発想そのものが奇想天外なわりに筆運びは「猫とともに去りぬ」のまったり系。
 

「箱入りの世界」(II mondo in scatola)★☆☆☆☆
 ――木の根元にきちんと捨てたはずのビールの空き瓶が、車のバンパーから数十センチのところを追いかけてきた。

「ヴィーナスグリーンの瞳のミス・スペースユニバース」(Miss Universo dagli occhi color verde-venere)★☆☆☆☆

「お喋り人形」(La bambola a transistor)★☆☆☆☆
 ――エンリカは人形のお尻をひっぱたいた。ところが人形はエンリカの髪をひっぱる。「正当防衛だわ。ぶち方を教えてくれたの、あんたでしょ!」

ヴェネツィアの謎 あるいは ハトがオレンジジュースを嫌いなわけ」(I misteri di Venezia ovvero Perché ai piccioni non piace l'aranciata)★★★☆☆
 ――あるすばらしいプロジェクトであった。おいしそうな餌を大量に撒いてハトをおびき寄せ、地面の上にハト文字を書かせるという……。

「マンブレッティ社長ご自慢の庭」(II giardino del commendatore)

「カルちゃん、カルロ、カルちゃん あるいは 赤ん坊の悪い癖を矯正するには……」(Carlino, Carlo, Carlino ovvero Come far perdere ai bambini certe cattive abitudini)★★☆☆☆

ピサの斜塔をめぐるおかしな出来事」(Strani casi della Torre di Pisa)★★★★★
 ――「たいへんだ! 宇宙からの侵略者だぞ!」「怖がる必要はいっさいない。われわれはピサの斜塔を頂戴したらすぐに去る」

「ベファーナ論」(Trattato della Befana)★★★★☆
 ――ベファーナの姉妹はほうき店を営んでいた。「最近売り上げが減ったねえ」「新しいトレンドを生み出すっていうのはどう? 《ミニほうき》とか」

「三人の女神が紡ぐのは、誰の糸?」(Una per ogni mese)★★★★☆
 ――古代の神話に登場する神というのは、いささか意地悪ぞろいである。昔々、ゼウスがアポロンを怒らせてしまったことがあった。ちょっといたずらをしただけなのだが……。

 こういう大甘のファンタジーはわたしにはしんどい作品であった。。。
 

 『猫とともに去りぬ』
  オンライン書店bk1で詳細を見る。
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。


防犯カメラ