『エドワード・オールビー1 動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』エドワード・オールビー/鳴海四郎訳(ハヤカワ演劇文庫)★★★★☆

 『The Zoo Story and the Other storiy』Edward Albee。

「動物園物語」(The Zoo Story,1959)★★★☆☆
 ――「あのね、動物園へ行ってきたんだ!」「は?……私に話しかけたんですか?」「動物園へ行ってね、ここまで歩いてきたんですよ。こっちは北ですか?」「北? エー……でしょうな。エーっと」「話をしてもかまわない?」「……かまいませんよ」「かまってるくせに」

 常識や暗黙のルールに対する諷刺もしくは哄笑であるにしても、肝心のジェリーの話が糞つまらないのが致命的な欠点。社会の常識やルールだけではなく、当時の演劇の常識やルールをもぶち破っているからこその名作ではあるんでしょうけれど。時代が早すぎたとは言い得て妙で、今となっては不条理でもなんでもない。こういう人、いるもの。ごろごろと。あー言えばこー言う。日常に意地でもしがみつこうとする人と、なんでもかんでも噛みつく人。今となっては不条理ではなく、あるがままの対比。

ヴァージニア・ウルフなんかこわくない(Who's Afraid of Virginia Woolf?)★★★★☆
 ――「寝酒! 冗談じゃない! これからお客が来るのよ」「なにが来る?」「お客。おきゃく」「ばかな……何時だと思ってる、マーサ? だれが来る」「ホラ、なんとかさん。新しく来た人よ」「まったく」「アラ、すねちゃったの? オオカミなんかこわくない。ヴァージニア・ウルフなんかこわくない……♪」

 「動物園物語」のジェリーや「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」のジョージのような人を人とも思わぬ傍若無人な人に対してさえも、なぜか社交辞令的な言葉を繰り返すピーターやニック&ハネー。むしろそうした予定調和的な人たちこそが惨めです。嘘の打ち明け話をするくらいなら話さなきゃいいのにね。嘘に嘘を重ねたあげくにめっきが剥がれて真相が明るみに出る。壊れやすい嘘を自分で作りあげてるんだから世話がない。

 シャーリイ・ジャクスンの「伝統あるりっぱな事務所」とか「もちろん」みたいに、互いに嘘を付き合って、嘘と知りながらもそ知らぬふりをし続けるのが、暗黙のマナーというやつなのでしょう。

 そういう意味ではジョージってホールデンくんみたい。そんな大人になってしまった自分にも腹を立てている。マーサの方はわりと言いたいことをストレートに言う感じ。何も考えてない。同じく口が悪いのでもちょっと違う。

 嘘と本音を混ぜこぜにしてぽんぽん投げ合う四人の会話が緊迫感があるなー。

 しかしなんだかなーと思うのは、夫婦にとってそんなに子どもが絶対的なのでしょうか。二組の夫婦どちらにも子どもの影が差している。大事じゃないとは言わないが、それがすべての元凶みたいに書かれても……。そこらへんに少し違和感に感じましたが。
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