『贈る物語 Wonder すこしふしぎの驚きをあなたに』瀬名秀明編(光文社文庫)★★★★☆

 綾辻編と比べてみても、半分近くが未読作品なのがありがたい。編者によるエッセイもくどいほど充実している。

「夏の葬列」山川方夫★★★★☆
 ――あれは戦争の末期だった。あれ以来、おれは一度もこの町をたずねたことがない。ひろい芋畑の向うに、一列になって、喪服を着た人びとの小さな葬列が動いている。一瞬、自分がふたたびあのときの中にいる錯覚にとらえられた。

 中学校の教科書に載っていた作品です。瀬名氏と世代は違えども、中学でこの作品に出会った読者は、冒頭で自らの読書体験と再会することになります。うまい仕掛けです。編者と読者が同じスタートラインに立つ。そこから先は、読者次第。瀬名氏と同じ道を歩んでいった人もいれば、まったく違う読書傾向に進んだ人もいる。だけどこの作品には、誰もがうぶな読者だったころの懐かしさを呼び起こす力があります。
 

「愛の手紙」ジャック・フィニイ福島正実(The Love Letter,Jack Finney,1959)★★★★★
 ――それはもちろんぼくだって、時代ものの机についているという隠し抽斗の話は聞いたことがあった。ぼくがぼんやりと刻み目を引っ張ると、隠し抽斗が出てきたのだ。その中に、便箋の入った封筒があった。

 定番中の定番ですね。やはりフィニイの短篇ではベスト、ということになるのかな。実際に本人たちがタイムスリップしてしまうと、SFやファンタジー色が強くなってしまうのですが、これは一種の遠距離恋愛ものであるところが、普遍性も強くていいのでしょう。今読むと、ちょっとうまく話が運びすぎている気もするけど。いつのまにかこっちがスレてしまったのだ(^^;。
 

「窓鴉」式貴士★★★☆☆
 ――ずっと以前、もの寂しい真夜中に、ぼくがオカルト関係の古書に読みふけっていた時、なんとなくぐったり疲れて、うとうととまどろみかけた。その時、ぼくの部屋のドアをたたく音が聞こえた。見ると窓に一羽の烏である。それが厚さ一センチばかりのガラスの中に入ってしまった。

 初読。これは子ども時代に読まずにいてよかったと思う。昔のわたしなら、「窓鴉」という駄洒落タイトルや「頭が割れる」という慣用句を生のまま文章にしてしまった稚気、あるいは無理矢理「大鴉」にこじつけたようなラストに耐えられなかっただろうな。まあ恋愛から窓鴉まで、受験生ののんきな妄想だと思えば可愛いもんだ。『ウォーターボーイズ』を観たとき、BGMに「学園天国」が使われているのを聞いて、いかにも高校生が実際に使いそうな選曲に「やるな」と思ったものだが、本篇もそういう細かい受験生らしさ、に秀でていると思う。そんなにうまく行くかよ、という恋愛、頭でっかちな会話、上記窓鴉の駄洒落、慣用句etc。ケーリー・グラントみたいなもんかね。あまりに自然体の演技が上手すぎて、演技が下手と思われているような。子どもっぽいんじゃなくて、子どもっぽい作風が上手い。いや子どもっぽいだけなのかもしれないが。
 

「雨傘」川端康成★★★★☆
 ――濡れはしないが、なんとはなしに肌の湿る、霧のような春雨だった。表に駈け出した少女は、少年の傘を見てはじめて、「あら、雨なのね?」

 『掌の小説』はアンソロジー・ピースの宝庫なので、いろいろなところでお目にかかる。これだけ短いのにけっこうインパクトのあるものが多い。これなんかもどうってことないんだけど、まさに「傘についてのただこれだけのことで」なんだよなぁと何となく納得してしまう説得力が120%ある。
 

「よけいなものが」井上雅彦★★★★☆
 ――「ばかばかしいね。僕は絶対信じない」「あら。そんなに強調するのは、信じている証拠よ」「おや。変だぞ」「どうしたの」「今のセリフ、さっきも言ったような気がするんだがな」

 短篇集『異形博覧会』のなかでも本篇と「残された文字」のアイデア二つが際立っていた。ほかの作品はもう内容も忘れてしまったが、この二つだけはよく覚えています。アイデア・ストーリーとも呼べない、アイデアだけの固まりみたいなショート・ショートなのですが、それだけにインパクトが大きかった。
 

「蟻の行列」北野勇作森川弘子イラスト★★★★★
 ――子供の頃のことを思い出した。行列のいちばん前の蟻が見たくて、それをたどったときのことを。たしかあれは巣穴まで続いていた。だから結局、いちばん前の蟻を見ることはできなかったのだ。

 『かめくん』をはじめとして動物路線を突き進む北野勇作による、その名も『どうぶつ図鑑』の一篇。ぶっとんだ奇想とお茶の間めいたなごやかさが同居する、いかにも北野勇作らしい作品。『yomyom Vol.1』誌上にて穂村弘が、ダンゴムシをつっついて云々と書いていたけど、蟻の行列にも人をほうけさせる力があるよなーと。
 

「絵の贈り物 画家から作家へ」福田隆義画/藤沢周平皆川博子眉村卓佐藤愛子河野典生赤江瀑★★★☆☆
 ――私を見てもらいたい。背にも腹にも数えきれない傷あとがある。蹠は甲皮のように硬く、指は節くれ、険しい眼はいまも人に忌みきらわれる。

 女優から出されたお題をもとにショート・ショートを競作する三題噺集『三角砂糖』というのがあったけれど、絵をもとにショート・ストーリーを競作するという本篇もそれに似ているかもしれない。『三角砂糖』もそうだったけど、こういうのは難しい。お題や絵を、単なる背景の小道具とかエキストラ程度に盛り込まれても、ごまかしたなという気になるし、まっこう勝負しても、そのまんまじゃんという気になる。作品自体がどんなに素晴らしい作品であっても、お題をどう活かしたか、というポイントによって印象の好悪が左右されてしまうのだ。作品自体はどれもその作者の持ち味が発揮されていてよいのだが、この絵をこう活かしたか、という驚きはなかった。
 

「雪に願いを」岡崎二郎★★☆☆☆
 ――まだ成功してないよ。結晶の形を自由に成長させるところまでは完璧だけどね……。

 テストもせずに本番に望むかよ、とか、あらばかりが気になってしまう。こういうのこそ子供の頃に読みたかった。
 

「ニュースおじさん」大場惑★★★★☆
 ――妻のむつみがニュースおじさんのことをいいだしたのは、いつのことだったろう。「ほら、このひと……」ニュースおじさんはニュースの現場に現れる。そういうことだった。ただの、普通の、明らかに素人のおじさん。「なにが目的なんだろう?」

 まずはアイデアの勝利。「ニュースおじさん」という発想が秀逸です。まずはその謎で読者を引き込み、次いで恐怖で引きずり回し、最後に着地するところまでの手練が見事。ただのホラーでも謎物語でもない、アイデアとセンスの物語であり続けることに成功しています。
 

「江戸宙灼熱繰言《えどのそらほのおのくりごと》」いとうせいこう★★★★☆
 ――口うるさいと言われるのは覚悟の上だが、火星人の『襲来』がよくない。五代目の打ち込む姿勢そのものが軽いというか、人類の敵としての腹が座っていないのである。

 一ページ目から大笑いしてしまった(^^)。冒頭は文体模写で笑わせ、中盤は火星人の襲来を歌舞伎に見立てるというアイデアで読ませる。手練れですね。どちらかと言えばテレビでの個性派タレントとしての印象が強いのだが、才人ですねえ。
 

「鏡地獄」江戸川乱歩★★★★☆
 ――少年時代はさほどでもなかったのですが、中学の上級に進むようになりますと、病気と言ってもいいほどの、いわばレンズ狂に変わってきたのです。

 読み返すのはもう何度目かになるかわからん。乱歩の短篇集で読んで、乱歩ってミステリよりも怪奇よりの作品の方が面白い、と思うにいたった作品である。今では二十面相シリーズなんかのお茶目ぶりも大好きだけど。スプラッタやモンスターではなく、心理と科学を融合させた怖さが好き。〈鏡地獄〉を科学的に解説してくれてる解説もイイ。
 

「托卵」平山夢明★★★★★
 ――噂では聞いていたが、その痩せ様には首里の想像を遥かに超えるものがあった。檻のなかの男は罪人でははなく、芸人であった。誰に強いられるでもなく自ら進んで見世物小屋の座長に頼み込み、木戸銭を払った客に断食と不眠不休を確認させていた。

 実話怪談の人というイメージがあったから『幽』の連載も読んでなかったし、期待もしてなかったんだけど、おお、めちゃくちゃ耽美な幻想譚ではないか。冷静に考えてみると、まるで変態しかいない世界の話なのだが(^^;。唯一まともであるはずの首里すらも、芸人の異常な打ち明け話であっさりと転向したあとに、警察という“日常”の乱入によって破壊されるカタストロフ。でも、それでも鵺は鳴く。世界は歪んだまま。「鵺さ」のセリフは首里じゃなくて全然別の第三者みたいな人に言わせてほしかったな。ちょっとわざと臭くなってしまった。
 

「戦士たち」光瀬龍★★☆☆☆
 ――駆潜艇NN81は、上弦の月を背後に受けて暗い、岩礁のかげにただよっていた。〈十六発目のミサイルだ。いそげ〉〈NN82は発射位置を確認しろ!〉

 何だかわからん。こういう、状況の積み重ねだけで緊迫感を描くのには、圧倒的な筆力が要求されると思うんだけど、いまいち伝わってこない。
 

「ひとつの装置」星新一★★★★★
 ――愚かしい戦争により、すべての人びとが都市とともに消え去ってしまった荒れはてた広場に、ひとつだけ、さびもせず、こわれもしなかったものが立っていた。この物体は、誕生する前から、いろいろな騒ぎをおこしていた。

 リリカルな未来・ロボットを描かせては右に出る者はいまい。世界がいまのままなら「絶対に必要な装置」という言葉は、詭弁めいたレトリックのようにも思える。けれど、死んだときに泣いてくれる人が何人いるか、という話を思い出した。そう。愚かな人類でも、泣いてくれるたった一体のロボットがいるだけで、その人生に価値があったと錯覚できる。
 

「太陽系最後の日」アーサー・C・クラーク/宇野利泰訳(Rescue Party,Arthur C. Clarke,1946)★★★★☆
 ――わがS九〇〇〇号が近づきつつある目標は何かというと、いままさに一個のノヴァに化そうとしている太陽のひとつであって、その爆発は、七時間のちに迫っている。この悲運の種族を救出したいというのが、われわれに課せられた使命なのだ。

 原題を見れば一目瞭然だけど、〈太陽系最後の日〉を、救いに来た宇宙人の側から描いています。ある意味冒険ですな。地球人の側からならいくらでも感傷とか未練とかこってり描けるだろうに、宇宙人の側からでは、淡々とした調査報告になりかねない。宇宙の隅々まで目を配るのが自らの使命と考えている、プライドと責任感のある宇宙人――この人の設定がまずうまい。この設定があることで取りあえず、見ず知らずの太陽系に対しても喪失感とか絶望感とかを感じる理由づけになっている。で、例えば核戦争で滅びたとかではなく、太陽の爆発で、というのもうまい。こうすることで、科学=善という、ひたすらオプティミスティックな展開に持っていける。つまり、宇宙人が地球の科学を見て、意外と進歩しているのに驚嘆するという、ある意味非常に馬鹿々々しい展開。宇宙人の目を通して、地球(の科学)がいかに素晴らしいものだったかを高らかに歌い上げるわけです。感動的と取るか、ノーテンキと取るか、読者の価値観が出ますね。
 --------------------

 『贈る物語 Wonder』
  オンライン書店bk1で詳細を見る。
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。


防犯カメラ