『島田荘司のミステリー教室』島田荘司(南雲堂SSKノベルス)★★★☆☆

 なんだか気の抜けた装丁に南雲堂らしさを感じるが、読んでみて別の意味でぶっ飛んだ。カギカッコはどうしましょうとか地の文って何ですかとかって、そんなの小学校の作文と国語の時間に覚えてこいよ_| ̄|○......。

 しかも延々Q&A形式。つまり実際の質問会やネット上での質問と講演をまとめたものらしい。いわゆるお手軽本とでも呼ぶべきものなのだが、こういう本にも本気を感じさせてしまうところに著者らしさがある。きっと本気で本格ミステリーと日本のことを考えているんだろうな。

 わたしは作家になる気はないので、島田荘司エッセイ・評論集のようなつもりで読んだ。

 ここ何年かの主張でヒットは、ホームズとマーロウ(著者表記ではマーロゥ)親子説だ。親子というのはもちろん比喩的な意味でだが。ホームズ物語の魅力についてはデビューのころから口にしていたと思うのだけれど、そこにマーロウを持ち出してくるのが著者のセンスだよなあ。騎士道精神とスポーツマン。ヴァン・ダインが探偵を書斎に押し込むまでは探偵もアクティヴだった――。

 実際にそうだったのかどうかというところを離れて、ホームズ物語に対するロマンをかき立てるような文章なんですよね。こういうセンスが島田荘司は圧倒的にうまい。

 しかも158ページには、センスだけじゃなくてかなり技術的に的を射たことも書かれている。ホームズの三人称とマーロウの一人称。ホームズの一人称短篇「獅子のたてがみ」を読んで、「ここで三人称の威力を痛感したんですね。ワトスンの筆力が、ホームズを超人に見せていたんです」と著者は語る。それに関する実験が『ネジ式ザゼツキー』だそうである。あ。だからミタライの一人称だったんだ。一人称でも超人たりえるか、か。あの作品では結果的にハインリッヒが何のためにいるのか(以前にも増してますます)わからなくなっていたが。

 二人の韜晦、ホームズの「今ならワーグナーの第三幕に間に合うと思うよ、ワトスン君」と、マーロウの「優しくなれなかったら生きている資格がない」を同列に扱うのも島田荘司のセンスだなあ。

 何より著者のセンスが発揮されるのが、「文章修行には詩をたくさん書いた方がよい」という言葉の真意についての回答76ページの文章だ。ここで著者は、なんと大戦後のドイツを例に取る。軍隊を持つことを禁じられたドイツが、将来に向けて将校をたくさん養成した。兵隊は短時間でどうにかなっても、将校の養成には時間がかかるからだ。著者の考えはこれに近いらしい。よい文章を書くためのエッセンスの部分がどこにあるか。それが詩であるというのは著者だけの考えだと断ってはいるが、問題はそんなことではない。

 文章修行を、ドイツの将校養成を引き合いにして説明しようとする。こういう突拍子もない組み合わせを結びつける頭脳が、ああいうミステリを作ってこられたのだな、と妙に納得できる。この人はたぶん天然なんだろうな。天然チェスタトン

 そういう人だから、インフルエンザの流行や秋田県の自殺日本一にも本格ミステリーを幻視する。しかもそれが非常に面白い。ただのニュース原稿のような社会的発見・推論を一級のミステリーにしてしまうストーリーテリング

 ブラッドベリ『十月はたそがれの国』やジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男』などが好きというのが意外だった。でも考えてみたら幻想とユーモア、どちらも確かに島田荘司だ。
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