『鼻のある男 イギリス女流作家怪奇小説選』ローダ・ブロートン他/梅田正彦訳(鳥影社)★★★★☆

「鼻のある男」ローダ・ブロートン(The Man with the Nose,Rhoda Broughton)★★★★☆
 ――ぼくが目を覚ますと「あの人、見えたでしょう?」と狂ったように妻が叫んだ。「ここにいるわけはないよ。錠がしてあるんだからね」「でも確かなことよ。あの――恐ろしい――男!」「どんな奴だ?」「あの人、鼻があった」ぼくは吹き出した。「鼻がなかった方が怖かったんじゃないかい?」

 こういった感性の鋭すぎるヒステリー気味の人が苦手なので、ちょっと点が辛くなるけれど、鼻の「ある」男というイメージが秀逸。霊媒体質の女の子が催眠術師の暗示で臥せってしまう思い出話に、『エクソシスト』のリーガンを連想してわくわくした。鼻のある男とはいったい何者なのか。その謎とともに一陣の風のように吹き過ぎてゆく結末が潔い。
 

「すみれ色の車」イーディス・ネズビット(The Violet Car,Edith Nesbit)★★★★☆
 ――わたしは看護婦なのですが、心に障害のある人の介護をするため呼ばれていきました。「もう長いこと、お具合が悪いんですか」「具合が悪いのは、わたしじゃありません。主人のほうなの」しかし、家内が精神に変調をきたしているから介護に来てほしい、と手紙をくれたのは、エルドリッジ氏だったのです。

 スパッと潔い「鼻のある男」と違い、最後が余計じゃ〜。もったいない。心を病んでいるのは、妻か夫か?という謎がたいへんに魅力的なのだけれど、これは相当に不気味な状況だと思うのに落ち着き払っている語り手の勇気に感服しました。この語りのおかげで、当事者の一人称なのに巻き込まれ型スリラーではなく落ち着いた格調高い怪談に仕上がっています。加害者の奥さんもさりげなく出てくるあたり、こんな短いこんな狭い世界の話なのにものすごいドラマが凝縮されています。この奥さんの「習慣」とか、語り手が初めて家を訪れたときの夫妻の対応とか、細かいところが抜群にうまい作品でした。※「ローマ人」じゃなくて「ローマン・カトリック」だろう、と重箱の隅が気になっちまった。
 

「このホテルには居られない」ルイザ・ボールドウィン(How He Left the Hotel,Louisa Baldwin)★★★☆☆
 ――おれはエンパイア・ホテルで乗客用リフトを運転していたことがある。アメリカ人たちはそれを「エレベーター」と言っていた。サックスビー大佐がやって来たのは十一月のことだった。大佐は毎日、きまって上りのリフトに乗った。だがリフトで下りることはなかった。初めて下りたのは――それについてはもうすぐ話す。

 原題はダブル・ミーニングなんですね。いや、一人称だから片方は「He」ではないか。それはともかく。もうほんとうにどうってことのない話なんですよね。そこらへんに転がってる都市伝説にでもありそうな。ところが面白い。怪談すらも面白可笑しく語ってしまう若者の語り口ゆえなのか、いかにも矜恃がありそうで一徹な印象をもたらす大佐のキャラクターゆえなのか。
 

「超能力」D・K・ブロスター(Clairvoiyance,D. K. Broster)★★★★★
 ――「ここがずっと空家だったなんて理解できん。この刀剣類も引っくるめて買いたい。おや、どうしてこの刀は鞘だけで中身がないんだろう」「わたしは嫌よ。何か――」敷物をめくった夫人は、急に黙り込んでしまった。「これは何のしみかしら」……あの恐ろしい事件が起こったのは五年前のことであった。

 クラシックな怪談が多いのかと思っていたら、これはまた異色な。前半と後半はまるっきり別の話です。前半はそれこそクラシックな幽霊屋敷ものの導入部分。その縁起を語る後半が半端じゃなくかっこいい。日本刀の蘊蓄と、超能力(というより霊媒ですね)が出会ったとき……。最後のイメージも、定番と言えば定番だが、やはりこうでなければならない、と思う。美学として。
 

「赤いブラインド」ヘンリエッタ・D・エヴェレット(The Climson Blind,Henrietta D. Everett)★★★☆☆
 ――ロナルドは二週間の学校休みを、叔父の牧師館で過ごすよう招かれた。「幽霊、見たいと思わないかい?」ロナルドが信じていることを知って、二人の従兄弟はたずねた。「ここには幽霊屋敷といわれてる家があるんだ」

 子ども時代のシーンの幽霊屋敷探検の怖さは尋常じゃなかった。大人になって再訪してからもドキドキは持続するんだけれど、同じことを繰り返しているだけなのがちょっともの足りない。外から覗いていたものを、中から体験するというところに吸引力はあるんだけれど、結局それだけだものなあ。
 

「第三の窯」アミーリア・エドワーズ(Number Three,Amelia Edwards)★★★★☆
 ――仕事場で雑用をしていたおれを、窯つき職人にしてくれたのもジョージだ。リーアはジョージの恋人で、あまりにきれいだった。何もなければ二人は結婚していただろう。何か起こしたのはフランス人の職人だった。伯爵というのがニックネームだった。

 ミステリ的なネタを怪談にした、とてつもなく宙ぶらりんで後味の悪い話。結末は何通りか考えられるけれど、意味ありげで思わせぶりな「伯爵」の描写を考え合わせると、これはやはり命を賭して怪物から恋人を守った話、ということになるのだろうか。怪物の魔力に魅入られた恋人を救うために、怪物が自ら逃げ出すように仕向けた……。しかしこれもフランス人の職人が怪物だったとしたらの話であって、人間だったとしたら、恋人が自分のものにならなくとも他人のものにならなきゃそれでいい、みたいなとんでもない奴の話になってしまうが。語り手がジョージを“見た”ことを考えると、ジョージが仕組んだことではなくて伯爵の仕業だったのかな、それを知らせたかったのかな、という見方も捨てがたい。
 

「幽霊」キャサリン・ウェルズ(The Ghost,Catherine Wells)★★★★★
 ――十四歳の彼女は、古いベッドの上で、枕にもたれて寝そべっていた。風邪を引いて熱があり、寝ていなければならなかったのだ。今晩はロマンティックな有名人が一人、ゲストに呼ばれていた。俳優のイーストが来ることを聞いたとき、さすがの彼女も泣き出してしまった。たかが風邪のために、こんな機会を逃さなければならないなんて。

 これもクラシックな話かと思いきや、最後に待っていたのがオチのような恐怖ではなく、じわじわと這い寄ってくるような恐怖であった。とても短い話なのに、最後の一ページのなかなか終わらない怖さ! H・G・ウェルズの奥さんだそうだが、“得体の知れないもの”をここまで恐ろしく描けるというのはただ者ではない。この人、うまい。たとえ最後に何も起こらなかったとしても、晴れの日に風邪を引いてしまった女の子のつまんなさを描いた作品として記憶に残ると思う。ほかの作品も読んでみたい、と思わせたのは、本書中D・K・ブロスターとこのキャサリン・ウェルズだけだった。
 

「仲介者」メイ・シンクレア(The Intercessor,May Sinclair)★★★☆☆
 ――ガーヴィンを下宿させてもいいかどうか、ファルショー氏が夫人に問いかけた。「どねえな結果になるかご存じじゃろに」夫人の答えは意味ありげである。やっぱりファルショー家には何か事件があったんだ。その事件のために、夫は妻を恐れるようになったのだ。ガーヴィンは、夫人からオンニーの方へ視線を移した。オンニーは怖がっているようなふてくされているような顔をしている。事件はこの姪とつながっているのだ。そうに違いない。他に下宿人はいないか、子供はいないかをガーヴィンはたずねた。「他に下宿人はおかん」「子供の方は?」途端に顔が険しくなった。

 メイ・シンクレアといえば「希望荘」「証拠の性質」といったセックス怪談でお馴染みの作家。収録作家のなかで(その筋では、つまり怪談好きのあいだでは)一番有名だと思う。この作品は『ねじの回転』風というか幽霊屋敷風というか、怪しげな雰囲気のなかにすごく繊細な機微があって意外だったのだが、しかしやはり最後はセックス怪談であった。この人はセックスをさも意外な真相のように書くから拍子抜けする。マッチョに理論武装しなければならなかった時代なのかもしれないが、例えばこの作品の場合、「嫉妬」の一言で充分じゃん。女の性欲がどうこうとかは余計な付け足しでしかない。わたしにとって「希望荘」はギャグでしかないが、この作品は雰囲気がいいだけにもったいない。
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