Фёдор Михайлович Достоевский。
「九通の手紙からなる小説」小沼文彦訳(Роман в девяти письмах,1847)★★★☆☆
――親愛なるイワン・ペドローヴィッチ! きわめて緊要な件につき貴兄と御相談申しあげたいのですが、どこを探してもお目にかかることができません。親愛なるピョートル・イワーヌイッチ! 貴兄はいろいろとんでもない場所をお探しになった由ですが、小生はずっと自宅におりました。
これは小説としての体裁を為してないような……? ちぐはぐなやり取りと慇懃無礼ながら次第にエスカレートしてゆく文面こそ面白いけれど、そもそものすれ違いのきっかけがいまいちわかりづらいし、最後の落ち(?)もわかりづらいうえに必然性がないのじゃあないでしょうか。
「他人の妻とベッドの下の夫」小沼文彦訳(Чужая жена и муж под кроватью,1848)★★☆☆☆
――「いきなり声をかけたりして、申しわけありません。もしかすると、わたしが金でもねだるんじゃないかとお思いになったかもしれませんね! どうか性急に妙な結論をおだしくださらないように……一人の婦人をお見かけになりませんでしたか?」
馬鹿な人間がわざと馬鹿なことをしてまわる強引な笑いは、読んでいて疲れるので好きではない。短ければまだしも楽しめるのだろうけれど、この長さでこれはうんざりでした。演劇っぽい感じではある。
「いまわしい話」工藤精一郎訳(Скверный анекдот,1862)
「鰐」原卓也訳(Крокодил,1865)★★★☆☆
――突然恐ろしい、不自然とさえ言いうるような悲鳴が、部屋を打ち震わせたのであった。急いでふり返り――小生が見たものは何であったか! 小生が目にしたのは――おお――恐ろしい鰐の顎に胴体を横ぐわえにされた、不幸なイワン・マトヴェーイチの姿であった!
「『言うなれば、涙さえうかべて』ですって。ふむ。まあ、そんなのは鰐の涙だから、そっくり信用するわけにはいきませんな」という駄洒落とか、鰐の内臓が空洞なのは「自然が真空を許容しない」からだというわやくちゃな理屈とか、笑いどころがいくつかありました。ただしやっぱりわざとらしい会話の掛け違いの応酬がだらだらと続く内容です。