『変愛小説集』岸本佐知子編訳(講談社)★★★★★

アリ・スミス「五月」(Ali Smith,May,2003)は木に恋するひとの話。木に恋するのはともかくとして、地面が白いもので埋め尽くされていた→花びらだった→花びらのやって来た先を見上げた→木があった→いつの間にか他人の家の庭に入り込んでいた……という冒頭の感覚が、イメージの美しさといいぼんやりとした浮遊感といいイッちゃってるトリップ感といい忘れがたい。

レイ・ヴクサヴィッチ「僕らが天王星に着くころ」(Ray Vukcevich,By the Time We Get to Uranus,2001)は、皮膚が宇宙服になって宇宙に浮いてしまう奇病が流行している世界の話。漫画的な出来事を絵なしでやられると説得力ががくんとさがってしまう。科学的な部分で確信的にファンタジーを利用するのはいいけど、常識的な部分で「ないこと」にされると気になる。そういうのが流行している状況なのであれば、ジャックが刑務所の話(や似たような話)を知らないのはおかしいだろ、という細かいところが気になってしまうのだが、意外と今の実際のアメリカ人ってもしかすると新聞やニュースも見てなさそうな気もする。

レイ・ヴクサヴィッチ「セーター」(Ray Vukcevich,The Sweter,1999)は、セーターをプレゼントされた男が、頭からかぶってから頭を出すまでの話。そういう話の流れはニコルソン・ベイカーみたいではあります。ただしこちらは妄想ではなく現実におかしなことが起こってしまっているようです。

ジュリア・スラヴィン「まる呑み」(Julia Slavin,Swallowed Whole,1999)は、キスした相手を飲み込んじゃったらそのままお腹に居着かれる話。腹のなかでやることは食べることとセックスしかないのがリアルかもと思ったりします。

ジェームズ・ソルター「最後の夜」(James Salter,Last Night,2005)は、重病の妻の自殺を愛人といっしょに手伝う夫の話。シチュエーションはすさまじいのに、それがごく当たり前の「妻にばれる」という出来事であっけなく変わってしまうところに、ものすごくシビアな現実を感じます。

イアン・フレイジャー「お母さん攻略法」(Ian Frazier,Dating Your Mom,1986)は、いかにしてお母さんを恋人にするかを綴ったハウツー本文体の話。実際に試した人の成功談、として書かれているところがまた可笑しい。

A・M・ホームズ「リアル・ドール」(A. M. Homes,A Real Doll,1990)は、妹のバービー人形に恋をして欲情する話。ピグマリオン小説というよりは、兄と妹がそれぞれの欲望を歯止めなくバービーにぶつけている悪童小説。それでも人形は文句を言わない。たとえ……。

モーリーン・F・マクヒュー「獣」(Maureen F. McHugh,The Beast,2005)は、父親と家にいるときに「獣」を目撃した少女の話。こういう、不安とか空気とか形にできないようなものを形にしかけたような作品が好きです。闇に溶けるように沈んでゆくような怖さがあります。Small Beer Pressのホームページで本篇収録の短篇集が全文読めるので、読んでる最中。

スコット・スナイダー「ブルー・ヨーデル(Scott Snyder,Blue Yodel,2006)は、妻を乗せたまま行方不明になった飛行船を探し追いかける男の話。現実なんだか妄想なんだかわからないような手がかりを見つけて追いかけている時点で危うい。

ニコルソン・ベイカー柿右衛門の器」(Nicholson Baker,China Pattern,1997)は、磁器が大好きなおばあちゃんの話。もう一つの「異色作」にはまだしもベイカーらしさがあったけれど、これはどっかの異色作家がフツーに書きそう。

ジュディ・バドニッツ「母たちの島」(Judy Budniz,Motherland,2005)は、戦時中に兵隊に孕まされた女たちが娘たちとだけで暮らす島の話。というのを娘視点で語るのがまずバドニッツらしい。特異な設定も、途端にぐっと身近なものに感じてしまう。
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