『風船を売る男』シャーロット・アームストロング/近藤麻里子訳(創元推理文庫)★★★★☆

 『The Balloon Man』Charlotte Armstrong,1968年。

 作家の卵ウォード・レイナードはプレッシャーからドラッグ漬けになり、我が子ジョニーに暴力をふるい怪我をさせた。妻のシェリーは離婚を決意するが、ウォードの両親は孫のジョニーの親権を要求した。ウォードの父エドワード・レイナードは、身分違いのシェリーを以前から毛嫌いしていたのだ。だがあらゆる点から見て法律はシェリーに有利だということを知ったエドワードは、かつて買収した会社社長の息子クリフォード・ストームに話を持ちかける。シェリーに不利な証拠を見つけてきたら、かつて買収した映画制作会社を返してやる、と。クリフォードはシェリーと同じ下宿先に潜り込む。だが調べるうちにシェリーに汚点がないことを知ったクリフォードは、シェリーの旧友や雇い主や下宿住民によくない噂を吹き込み、さらには罠にはめて証拠を捏造しようと画策する……。

 シェリーを陥れるに当たって、演出家であるクリフォードが、シェリー周辺の人々を舞台の登場人物に見立てて構図を描き計画を練ってゆくところに、戯曲作家出身のアームストロングらしさを感じるのは僻目でしょうか。

 そしてこの構図に、『風船を売る男』というタイトルの持つ意味が明らかになった瞬間、視野がぱっと開けるのです。ステージの壁が取っ払われる感じ。実際の人間は演出家の思い通りには動かないし、舞台の登場人物外にも人間はいるのだ、という当たり前のことなのですが。今の日本では登場人物表がついているのが当たり前のミステリというジャンルで、こういうことをやるというのは、実はけっこうすごいことなんじゃないかと思います。

 演出家の誤算は、下宿屋の亭主の「言っただろう、あの子は頭がおかしいわけじゃないって」という一言にも表れています。ある意味、人を操ることにしか慣れていない人間だったのでしょう。

 三人の魔女みたいな三老婆も、見かけほど無邪気ではない魅力的な人たちでした。ただの詮索好きで噂好きのお婆ちゃんと侮っていると、警官に向かって「事実をお聞きになりたいのでしょう? わたしたちの目撃したことだけを。噂でも、意見でもなくて」なんてことを言う面白い人です。

 シェリーに不利な証拠を探す、という物語の性質上、本書には(不利な事実になりかねない)ロマンスはありませんでした。アームストロングのパターンからいって、下宿人のジョー医師とそんな感じになるのかな、なんて初めのうちは思っていたのですが。

 わたしが欲しいのは孫なんだ――珍しく弱みを見せたエドワード・レイナード。親父の会社を乗っ取った憎い男だが、俺に返してくれるなら危ない橋でも渡ってやろう。そうか、シェリーという女を罠にかければいいんだな。当のシェリーは、エドワードの手先が近づいてきたとは知るべくもない。何だかおかしなことばかり起こるわ。包囲網が狭まるにつれ、シェリーの疎外感は募って……。(カバー裏あらすじより)
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