『八月の暑さのなかで ホラー短編集』金原瑞人編訳(岩波少年文庫)★★★★★

 金原瑞人による編集ももちろんのこと、外国の児童文学の挿絵を模したと思しき佐竹美保の扉絵も素晴らしい。
 

「こまっちゃった」エドガー・アラン・ポー原作/金原瑞人翻案(The Scythe of Time/A Predicament,Edgar Allan Poe,1838/1845)★★★★☆
 ――あたし、中一で文芸部。こないだ顧問の先生が、みんなで恐怖小説を書いてみようって提案した。あたしは振り子時計のある塔にのぼってみた。

 ポウ「ある苦境」を書き改めた翻案作品。ジュヴナイル翻訳の大家ならではの中学生文体が気持ちいい。原作のことはまったく知りませんでした。旧題「時の大鎌」は、比喩的な意味ではなく文字通り時計の針による首刈りを指しており、そこらへんのサスペンスはさすが一級品です。
 

「八月の暑さのなかで」W・F・ハーヴィー(W. F. Harvey,August Heat,1910)★★★★★
 ――その日描きあげた絵は、裁判所で死刑を宣告されたばかりの犯罪者の顔だった。どこをどう歩いたかは覚えていない。石工が石をけずっていた。わたしはぎょっとした。男はわたしが絵に描いた人物だったのだ。

 ふつう「炎天」の訳題で知られる名作中の名作。フラグが立ちまくっているのに、その時点に向かって諾々と進んでゆくねっとりとした時間が心臓に悪い。最後の三行がまた雰囲気を盛り上げますが、改めて読んでみると、一行ずつ文章が短くなっているんですね。その先に空白の一行を幻視してしまいました。
 

「開け放たれた窓」サキ(The Open Window,Saki,1911)★★★★☆
 ――フラントン・ナッテルはサプルトン夫人を待つあいだ、夫人の姪っ子の話を聞いていた。「もう十月なのに、この窓を開け放しているのはふしぎだと思わない? 三年前の今日、この窓からおじさんたちが狩りに出かけ、そのまま帰ってこなかったの」

 こちらもアンソロジー・ピース。出るぞ出るぞといっておどかすのは怪談のいろはです。嘘のセンスがいい子です。
 

「ブライトンへいく途中で」リチャード・ミドルトン(On the Brighton Road,Richard Middleton,1912)★★★★☆
 ――目を覚ました男は驚いた。こんなところで寝ていたのか! 雪のベッドは温かったのだ。歩いていると、男の子に出会った。「おじさんも、この道を行くの? 途中までいっしょに行っていい?」

 結びの台詞で男の子の答えを聞くと同時に、自分のことも悟らされるという、究極のフィニッシング・ストローク。ジェントルなゴースト・ストーリーのようでいて、実はかなり怖い作品でした。
 

「谷の幽霊」ロード・ダンセイニ(The Ghost of the Valley,Load Dunsany,1919)★★★★☆
 ――ある日の夕方、霧の柱のようなものが立っているのが見えた。わたしは声をかけてみた。「あなたはだれです?」 「幽霊」という答えがきこえたような気がした。

 いわゆる幽霊よりはもっと高次の存在のような、「かつて」確かに存在していた者たちの、別れの言葉。
 

「顔」レノックス・ロビンスン(The Face,Lennox Robinson,1919)★★★★★
 ――晴れた星月夜のときはいつも、崖の下をのぞくと、水面の下に顔がみえる。ジェリー少年がその美しい女の顔に心を寄せたのも当然のことだった。大きくなり、妻を世話しようとする人がいても、むっつりと黙りこんで追い払った。

 初めて知った作家です。お風呂に入ると溶けてしまう雪女のように、水辺からは離れられないと思しき女妖に魅せられてしまった男の物語です。幻想的な物語が、現実的な視点を持った最後のパラグラフによって、さらに幻想を増しています。
 

「もどってきたソフィ・メイスン」E・M・デラフィールド(Sophy Mason Comes Back,E. M. Delafield,1930)★★★★☆
 ――ソフィ・メイスンというイギリス人の娘が、ワイン商の一家のところで働いていました。休暇で戻ってきた農夫の息子と恋仲になりましたが、捨てられてしまいました。

 これも創元『怪奇小説傑作集』に収録されていて有名な作品。「怖いのは人間」系の作品のなかでも古典でありまた出色の作品でもあります。ただし作品自体からは「怖い」よりもむしろ「悲しい」ところを強く感じました。
 

「後ろから声が」フレドリック・ブラウン(A Voice Behind Him,Fredric Brown,1947)★★★★☆
 ――グレート・レイモンディは砲弾男だった。二代目の名前はトニー・グロース。トニーはマリーを愛していた。マリーも愛してくれていれば。だが愛してくれちゃいない。あんなことをいったんだから。もしかしたら、呼びとめてくれるかも。そう思いながら、見世物のテントをあとにした。

 短篇集『まっ白な嘘』に収録されていて読んでいるはずなのですが、すっかり忘れていました。「叫べ、沈黙よ」のインパクトが強いだけに、二番煎じのように感じてしまったのでしょう。悪魔の声が聞こえるという枕をふりながら、「声が聞こえる」のではなく「声が聞こえない」を肝に持ってくるあたり、策士です。
 

「ポドロ島」L・P・ハートリー(Podolo,L. P. Hartley,1948)★★★★★
 ――ぼくはアンジェラとポドロ島にいってみた。漕ぎ手はマリオだ。島には一匹、猫がいた。誰かが捨てていったのだろう。アンジェラはチキンの骨を餌に猫をつかまえようとしたが、逃げられた。「飢え死にさせるくらいなら、いっそ殺しちゃおうかしら」

 何度も読んでいるはずなのに、「もう、つかまえるつもりはないの」というアンジェラの台詞の意味する怖さに、今さらになって気づきました。最後に登場する怪物を飢えた猫と重ね合わせるとすると、飢えた「怪物」もやみくもに襲っているのではなく、猫のように飢えと警戒心と戦っていた……とも考えられ、そんな当然の行動を取る怪物が単なる怪物以上に気持ち悪く思えます。
 

「十三階」フランク・グルーバー(The Thirteenth Floor,Frank Gruber,1949)★★★★☆
 ――「ボザンナにないものは、どこにもない」アマゾン探検に当たって、ジャヴリンはボザンナ百貨店に蒸留器を買いにいった。ボザンナは女性客でごったがえしていた。ジャヴリンは十二番目のエレベータに飛び乗った。十三階には人っ子ひとりいない。

 存在しない階に入り込み、いないはずの人々と触れ合う……十三という不吉な数字を見れば、無論ハッピーエンドは期待できません。
 

「お願い」ロアルド・ダール(The Wish,Roald Dahl,1953)★★★★☆
 ――赤と黒と黄の絨毯は、階段から玄関までつづいている。そうか、男の子はつぶやいた。赤いところはまっ赤に燃える石炭なんだ。それからあの黒いところはヘビ。ドアまでたどりつけたら、誕生日に子犬をもらえるんだ。

 子どもの空想が現実と区別がつけられなくなる/現実になるタイプの作品で、こういうのはすでに想像力の干涸らびてしまった大人からすると、ぐっとくるものが多いように感じます。
 

「だれかが呼んだ」ジェイムズ・レイヴァー(Somebody Calls?,James Laver,1955)★★★☆☆
 ――「この屋敷は、もちろん、幽霊がでます」みんなはどっと笑ったが、恐がりのレディ・キャロラインだけは例外だった。翌日、レディ・キャロラインが恐ろしい目にあって長椅子に横たわっていた。「気分はよくなりました。メイドのおかげで不思議な事件は解決しました……」

 本書のなかではいちばん小粒な作品で、描かれる怪異も怖いというほどではなく隙間を衝いたちょっとした謎という趣ですが、それが内輪の怪談話という按配の本篇の雰囲気によく合っていました。
 

「ハリー」ローズマリー・ティンパリ(Harry,Rosemary Timperley,1955)★★★★★
 ――こんな、なんでもないものが恐ろしい。日射し、芝生に落ちた影。白いバラ、赤毛の子ども。それから名前――ハリー。どこにでもある名前なのに。引っ越したばかりで友だちのいないクリスティンが、誰もいないところに向かってハリーと呼びかけた。

 子どもの想像上の友だちという使い古されたモチーフも、構成と文章の力でこれほどの作品になるものなのかと感服しました。母親に残された闇の深さが痛いほどに伝わってきて切なく苦しくなりました。

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