『世界幻想文学大全 怪奇小説精華』東雅夫編(ちくま文庫)★★★★★

 飽くまで基本図書という方針なので既読の著名作が多くを占めます。「文体」へのこだわりゆえ名訳が集められていますが、その名訳自体が古典だったりするため、やっぱり既読だったりします。――というわけで未読のものや内容を忘れたものを中心に読んでいます。

「嘘好き、または懐疑者」ルーキアーノス/高津春繁訳(Φιλοψευδής ἤ ἀπιστῶν,Λουκιανὸς)「★★★☆☆
 ――「多くの人を嘘好きするのはどういうわけか説明できるかね。理性ある人々がこの病にとりつかれている。エウクラテースのところに見舞いに行ったときのことだ……」

 古代ギリシアの人々がその目で見たと語る「嘘」の数々。白眉は三十丈になんなんとする女神ヘカテーが一撃で地面を割ってその割目に飛び込んで姿を消したという挿話です。余分なことが書かれていないだけに、その裂け目の大きさだけが頭に入って来るのです。エウクラテースが目まいを感じるのもうなずけます。
 

「石清虚/竜肉/小猟犬」蒲松齢/柴田天馬訳 ★★★☆☆
 ――ケイ雲飛は石が好きだった。ある時、網にかかった石は、孔という孔から雲が出た。/竜堆の地を掘ると、中に、いっぱい竜肉がある。勝手に切り取ってよいが、ただ竜の字を言ってはならない。/二寸ばかりの武士が虫ぐらいの馬に乗り部屋を駆けまわった。そのうちに王様のような人が輦に登ると、みなたちまちいなくなってしまった。あとには一匹の子犬が残されていた。

 竜肉とは要するに竜の肉のことなのでしょうし、鶏肉や豚肉という言い方をするからには竜肉で正しいとも思うのですが、いきなり「竜肉」と言われると得体の知れなさが倍増するのだから不思議なものです。ちっちゃい人の群れがわさわさと出てくる話は読んだことがありますが(これが元ネタ?)、犬が紙だったというのとつまりは行幸の正体も紙だったらしい(仙人の仕業?)というのと肥虫《なんきんむし》がいなくなったという関係の意味不明さが中国です。
 

「ヴィール夫人の亡霊」ダニエル・デフォー岡本綺堂(The Apparition of Mrs Veal,Daniel Defoe)
 

ロカルノの女乞食」ハインリヒ・フォン・クライスト/種村季弘(Das Bettelweib von Locarno,Heinrich von Kleist)
 

スペードの女王」アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン神西清(Пиковая Дама,Александр Сергеевич Пушкин)★★★★★
 ――かつて伯爵夫人はサン・ジェルマン伯爵から秘伝を授かり、三枚続けて骨牌で勝って、負けを取りもどした。孫のトムスキイからその逸話を聞いたゲルマンは、伯爵夫人に取り入って秘伝を聞き出すために、侍女のリザヴェータを誘惑し始めた。

 野心家ながらも堅実な青年が、一攫千金という誘惑に勝てずにその身を滅ぼしてしまうまでが、ピースを埋めるように着実に描かれてゆきます。そして終盤の賭骨牌の息づまる緊迫感。サン・ジェルマンから授かった秘伝など、どう考えても絵空事なのに、大金に揺れて心を奪われてしまうのだから、一攫千金の香りは怖い。
 

「イールのヴィーナス」プロスペル・メリメ/杉捷夫訳(La Vénus d'Ille,Prosper Mérimée)
 

「幽霊屋敷」エドワード・ブルワー=リットン平井呈一(The Haunted and the Haunters: or The House and the Brain,Edward Bluwer-Lytton)
 

「アッシャア家の崩没」エドガー・アラン・ポオ/龍膽寺旻訳(The Fall of the House of Usher,Edgar Allan Poe)★★★★★
 ――かくて逢魔時の影迫るころおい、遂に陰鬱なアッシャア家が瞻える処まで来た。友の曰うところによれば、その病気は一家に伝る不仕合であって、治療の道がなかった。「生命も理性も共に廃て去らねばならぬ時が、遅かれ早かれ、やってくるのだ。」

 アッシャー家の邦訳は数あれど、こんな邦訳もあったんですね。これは『宝石』に掲載されたきりだったのでしょうか。これを読むためだけにでもこの本を手に入れる価値はあります。
 

ヴィイ」ニコライ・V・ゴーゴリ/小平武(Вий,Николай Васильевич Гоголь)★★★★★
 ――三人の学生が旅の途中で軒を借りると、その夜、老婆が哲学級生ホマーの背にとび乗り、走り出した。「こいつは魔女だぞ」悪魔払いの呪文をとなえると魔女は地面にくずおれ、美女が横たわっていた。やがて百人長の娘が危篤ゆえキーエフのホマーという神学生に祈りをあげて欲しがっていると噂が広がった。

 魔女に魅入られながらも祈りの力で都合三度は助かったものの、四度目はありませんでした。目を覚まし、起き上がり、日毎に力をつけて近づいてくる魔女。そして三日目、とうとうタイトルになっているヴィイが登場します。こういう切り札は昔話などでは襲われる側が持っていることも多いのですが、ウクライナの妖怪は甘くはありませんでした。
 

「クラリモンド」テオフィール・ゴーチエ/芥川龍之介(La Morte Amoureuse,Théophile Gautier)
 

「背の高い女」ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン/堀内研二(La mujer alta,Pedro Antonio de Alarcón)★★★★★
 ――悪友にだまされて賭場で借金した帰り道、扇子を手にした背の高い老婆を見た。巨大な鼻、抜け落ちた前歯。ぼくは恐怖心をごまかし二十歩は歩いただろうか、あとを追ってきているかどうか確かめるためにうしろを振り返ってみた。

 幻想的な作品が多いので油断していましたが、これは怖い。座敷女、あるいは漫画太郎の絵で再生されてしまいました。女の正体が死神なのか前世の因縁なのかわかりませんが、まるでストーカーのようなニューロティック・ホラーあるいは都市伝説にも思えて、前後の作品のなかではぐっと現代的に感じられます。
 

「オルラ」ギ・ド・モーパッサン/青柳瑞穂訳(Le Horla,Guy de Maupassant)
 

猿の手」W・W・ジェイコブズ/倉阪鬼一郎(The Monkey's Paw,William Wymark Jacobs)
 

「獣の印」ラドヤード・キプリング/橋本槇矩訳(The Mark of the Beast,Joseph Rudyard Kipling)★★★★☆
 ――酔っ払ったフリートがインドの寺院で石像に煙草をこすりつけた。「獣の印さ」 われわれが慌てていると、銀色の肌の男がフリートの胸に頭をつけた。ハンセン氏病患者だ。刺し殺されずに無事に帰れたのは運がよかった。フリートが胸を蚊に刺されたらしく、痣が浮かんでいた。

 冒頭に「そなたの神々、われの神々、さてどちらが強いか?」というインドの俚諺を引き、スエズには英国国教会の神意も届かないと書き、さらに黙示録の「獣の印」を落書きしてはいるものの、これは神対神、宗教対宗教というよりは、作中で非科学的なことが起こるけどインドではこういうことも実際に起こるんだよ、というエクスキューズなのでしょう。獣づくし。
 

「蜘蛛」ハンス・ハインツ・エーヴェルス/前川道介訳(Die Spinne,Hanns Heinz Ewers)
 

「羽根まくら」オラシオ・キローガ/甕由己夫訳(El Almohadón de Plumas,Horacio Quiroga)★★★★☆
 ――ハネムーンは長い慄きだった。新婦は堅苦しい愛よりもおおらかな優しさを望んでいた。新婦が次第に痩せ細って行ったのも無理はない。夜の間だけ、一定の血とともに、生命が失われて行くらしい。

 名前だけは知っていた作品を初めて読みました。この著者の作品は系統立てて読んだことがなく、著者がこの作品をホラーとして書いたのかどうかよくわからないところに不安を感じます。
 

「闇の路地」ジャン・レイ/森茂太郎訳(La Ruelle ténébreuse,Jean Ray)★★★★★
 ――ドアが開いてフリーダが入ってきました。「お嬢様……部屋に……」「わたしが見てくるわ、お馬鹿さん」エレオノールが出ていきました。それっきり、二度と彼女の姿を見かけなかったのです。その晩、八十人もの人びとが姿を消してしまったのです! ずたずたに引き裂かれた死体があちこちで見つかりました。メータが声をあげました。「気をつけて、なにかいるわよ!」

 この作品は『書物の王国1 架空の町』で読んでいたはずなのですが、すっかり忘れていました。積荷から見つかったドイツ語とフランス語の手記に書かれていたのは、空間の裂け目を抜けて暗躍する怪異でした。ドイツ語手稿の世界では目に見えぬ怪物が町を襲い、フランス語手稿の世界ではとある青年が路地を通って金目のものを換金していましたが……。緑の眼の大女とは時間と空間の狭間に魔物なのか、鉄腕アトム「透明巨人」のようなひずみに生きる存在なのか。古き良き怪奇映画のような雰囲気のドイツ語手記に味わいがありました。
 

「占拠された屋敷」フリオ・コルタサル木村榮一(Casa Tomada,Julio Cortázar)★★★★★
 ――あの屋敷は広いうえに、祖父母や両親や幼い頃の思い出が秘められていたので、ぼくたちは気に入っていた。どこかで物音が聞こえた。手遅れになる前に身体ごとドアにぶつかり、一気に閉めた。「奥のほうは占拠されたんで、廊下のドアに鍵をかけてきたよ」

 これも読んだことがあるはずなのですが忘れていました。住み慣れた家を捨てて離れざるを得ない姉妹。得たいの知れない占拠者の恐怖はもちろん、一族の滅びを思わせる物悲しい別れがやるせない作品でした。

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