『ナイトランド・クォータリー』vol.04【異邦・異境・異界】

「Night Land Gallery」アルノルト・ベックリン
 有名な「死の島」。

「魔の図像学(4)池田ひかる(1991〜)」樋口ヒロユキ
 現役大学院生の作品を紹介。

「アリス・イン・フィルムランド」
 人形アニメーションアリス・イン・ドリームランド』公開およびディズニー『アリス・イン・ワンダーランド』続編公開直前に合わせた、アリス映画紹介特集。
 

「エーリッヒ・ツァンの楽曲」H・P・ラヴクラフト/植草昌実訳/藤原ヨウコウ画(The Music of Erich Zann,H. P. Lovecraft,1922)★★★★★
 ――この市の地図を探してみたが、二度とオーゼイユ街は見つけられなかった。それまで住んでいた下宿から立ち退かされて、たどり着いたのがオーゼイユ街の下宿だった。屋根裏部屋に住んでいる口のきけないヴィオール弾きの老人の演奏を毎晩聞かされるはめになった。街の住人たちは、奇妙なことに老人ばかりだった。

 どこにもない街の定番である釈明から幕を開けます。音そのものの怪のような、地図のない街の屋根裏の窓から見える、この世とは別の世界には、恐怖というカテゴリーを越えた震えを感じます。闘っていたのか、競演していたのか、憑かれていたのか、狂気に満ちた演奏場面が圧巻でした。
 

「奇妙な味の古典を求めて(1) J・D・ベリスフォード」安田均
 「のど斬り農場」「人間嫌い」で有名なベリスフォードの『19 Impressions』の紹介。
 

「月あかりの草原」ジョー・R・ランズデール/小椋姿子訳(The Tall Grass,Joe R. Lansdale,2012)★★★★★
 ――おれはそのとき、夜行列車で大陸横断の旅をしていた。汽車が急停車した。「事故か?」「蒸気圧を上げなおしているだけです。汽車から離れないように」車掌にそう言われたのに、どうして見慣れない丈高い草のなかに歩いていこうと思ったのかわからない。気づくと帰り道がわからなくなっていた。鬼火のような光が動きまわっていて、月あかりを目印にしようもない。誰かが近づいて来た。髪の毛のない頭を光らせた男たちだ……顔がなかった。

 語り手の頭に直感的によぎった、顔のない男たちの特徴は、現在一般に知られるゾンビそのものですが、作品の最後に明かされるように、舞台が1901年であるのなら、現在の一般的なゾンビ像が当時世間に浸透しているとは考えにくく、いわばゾンビという概念はかつて実際に現存していた存在にインスピレーションを受けて生まれたのではないか……という起源譚のようでもありました。叫び声はあげているはずなのに静謐な、夢のなかでもがいているような感覚が息苦しいながらも幻想的で心地よかったです。
 

プラハの歌声」シェーン・ジライヤ・カミングズ/甲斐禎二訳(The Song of Plague,Shane Jiraiya Cummings,2011)★★★★☆
 ――これほど美しい歌声をレンは聞いたことがなかった。公園のベンチに女性が二人座っている。眼鏡をかけた少女が歌をうたい、年上の女性があたりをうかがっていた。歌に惹かれて近づいてきたのはレンだけではなかった。髪の毛を逆立てた十代のパンクスがチェコ語でわめきながら近づいてきた。「彼らに妹の邪魔をさせないでください。歌が止まると危険なことになります」

 さまざまな作家がさまざまなものを、世界を形作っている要素として描いてきました。この作品で面白いのは、歌をうたうという行為が世界そのものではなく、文字通りナニーのような役割を担っている点です。破壊者がパンクスという形を取っているところに、単なるファンタジーの敵ではなく現実的な悪や悪意を覚え、危険を身近なものに感じることができました。
 

「知らないところへ――異邦と異境の小説ガイド(1)」牧原勝志
 短篇篇。「消えちゃった」「ポドロ島」「モンテ・ヴェリタ」「淋しい場所」『幻想と怪奇』から一篇(「アムンゼンの天幕」)といったところは定番ですが、クライヴ・バーカーをスプラッタではなく「本質はファンタジーの作家」として捉え、「丘に、町が」を紹介してあるのがためになりました。恥ずかしながらホジスン「夜の声」も知らなかったので、いずれ読んでみようと思います。
 

「チャドボーン奇談」ヘンリー・S・ホワイトヘッド/牧原勝志訳(The Chadbourne Episode,Henry S. Whitehead,1933)★★★☆☆
 ――七歳の少女が子豚たちを連れた母豚を見た、と言った。何を食べているのか気づかなかった。ただ、おかあさん豚は、女の人の顔をしていた、と話していた……。チャドボーンで家畜が襲われる事件が起こった。野犬や山猫の仕業とも思えない。

 冒頭、少女が普通ではないモノを見たくだりの語り口は絶品です。ところが、不気味なモノの正体が明らかになりおぞましいモノでしかなくなってしまうと、途端にありふれた怪奇小説になってしましました。
 

「地図にない行先――異邦と異境の小説ガイド(2)」牧原勝志
 一冊の書籍篇。フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』やキャロル『死者の書』のほか、『きのこ文学名作選』の飯沢耕太郎による『石都奇譚集 ストーンタウン・ストーリーズ』など。
 

「黒い鳥のいる麦畑」スティーヴ・ラスニック・テム/牧原勝志訳(Wheatfield with Crows,Steve Rasnic Tem,2013)★★★★★
 ――姉が失踪してから十五年たったが、ここに来るのは久しぶりだ。母は助手席で固まったように外を見ていた。「あっちよ。あの子がいなくなったのは」風に揺れる麦の丈より姉の方が背が高かった。母と恋人が離れている間に、姉は車から降りてトイレにいってしまった。

 日本流に言えば「神隠し」に会ってしまった少女に対する、残された家族の思いが、母親のつぶやきと弟の思い出によって少しずつ断片的に浮かび上がってきます。それがいよいよ焦点を結んだとき、新たな出来事が起こり、悲しく切ない思いがどっと押し寄せてきました。
 

「未邦訳〈異境ホラー〉コレクション」植草昌実
 

「凍土の石柱」サイモン・ストランザス/植草昌実(Cold to the Touch,Simon Strantzas,2009)★★★★☆
 ――アンドルーは異教徒のルイスとイヌイットのアキアクに案内されて、雪の中に聳える不揃いの高さの五つの黒い石柱にたどり着いた。厳寒の凍土の中、立っているのはなんとも不調和だ。「ありえない。どの岩の表面も乾いている」アンドルーは目を見開いてつぶやいた。

 ロバート・エイクマンに比される著者の、「黒いモスリンの小さな穴」「ナイチンゲール」に続く三作目の紹介です。凍てつく世界の恐怖が支配するなか、(恐らくは血という生贄によって、でしょうか)、異教徒の神が姿を見せる場面には慄然としました。大きすぎて見えないものが見えるようになる瞬間には、あっと言わされました。
 

ウィリアム・ホープ・ホジスンと思弁的実在論――境界としての〈ウィアード〉」岡和田晃

「海の悪魔」ウィリアム・ホープ・ホジスン/甲斐禎二訳(Demons of the Sea,William Hope Hodgson,1923)★★☆☆☆
 ――海水の温度が上がっている。見張りに立っていたスティーヴンスンは身動きもできなかった。海から現れたのは真っ黒な顔だった。やがて霧のなかから、帆を張った船が現れ、われわれの船を追いかけてきた。

 海で出会ったおぞましい怪物。この、人間にちょっと似ている、人間をちょっと醜くした、というのが不気味なんだと思います。
 

  


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