『日本文学100年の名作 第3巻 三月の第四日曜』池内紀他編(新潮文庫)★★★★☆

猫町萩原朔太郎(1935)
 

「一の酉」武田鱗太郎(1935)★★★★★
 ――おきよが、ちょっと、しげちゃん、あとで話があるんだけど、と云った。「なにさ」生まれつき言葉遣いの悪いおしげはぶっきら棒に云った。「――あんた、この頃、いやにめかすのねえ。無理ないわ、十七だもの。私、あんたの肩を持つわ――義姉さんに遠慮することなんてありゃしない。兄さんと相談してあげるわ」おしげの胸はどきどきしていた。この人はあのことを知っていたのか。

 プロフィールによればプロレタリア作家ということですが、まったく思想を感じさせない、一個の市井ものとしての完成度を誇っています。小料理屋で働く「おしげ」の周りの人々――元看板娘「おきよ」の悋気や、店に新しい風を吹き込んだ嫁の「おつね」の凜とした姿勢、いい年をして年下の男に入れあげてしまったおしげの母親「おはま」の情けなさや母親のヒモである新吉のクズっぷりなど、登場人物の一人一人に血が通っています。
 

「仇討禁止令」菊池寛(1936)★★★★☆
 ――鳥羽伏見の戦で、讃岐高松藩は、朝敵の汚名を取ってしまった。帰順か抵抗か、藩論は容易に決せられなかったが、佐幕派の成田頼母の激しい力に圧せられ、土佐兵と戦うことに決まった。勤王の志を懐いている小泉主膳には見過ごせなかった。「今夜中に成田頼母を倒すより道はない」。成田の息女と結納を交わしている天野新一郎はさすがに顔色を変えたが、「天下大変の場合、私情に拘泥って居られましょうか!」と喝破した。

 きれいごとです。とは言え、きれいごとというのなら、大義のために人を殺すのも、さらには仇を殺して恨みを晴らすというのも、何から何まできれいごとなのでしょう。仇討したところで、死んだ者は帰っては来ないのですから。仇討というきれいごとが法律というきれいごとによって終焉させられるその時に、そのきれいごとのなかに個人的な罪と罰を塗り込めて一人逃げてしまった卑怯で汚い遣り口だけに怒りを呼び起こされます。
 

「玄関風呂」尾崎一雄(1937)★★★★★
 ――或日、帰って来ると、家内が待ち構えたと云う顔つきで、三円よこせと云う。「兎に角、ものを買うのよ。なかなか買えない大きなものよ」「大きいのは結構だが、ものは何だ」「ガランドウなの」「なに?」きいてみればつまり風呂桶なのだ。食事をすまして出かけて、帰ったのは十二時近かった。玄関先には風呂桶が置いてあった。「買ったのはいいが一体どこへ置くつもりだ?」

 実在の文士たちも顔を出す、ユーモラスな掌篇です。そもそものきっかけの奥さんが風変わりなひとなのですが、そのほかの登場人物もみんなとぼけていて、おおらかな雰囲気が漂っています。大家さんも警官も堅いことは言いません。井伏鱒二にいたっては天然ボケを炸裂させます。
 

マルスの歌」石川淳(1938)★★★★★
 ――三治が「冬子」と呼んだ。沈黙。冬子は耳の孔に指をさして「むーっ」といいながら笑ってみせた。「そうか、冬子、聾になったのか。」その日はそれだけのことであった。だが冬子が死んでみると、それが変なことだったと思い返されるのであった。「これはいかんと思ったにしても、どうにもならんことがある。流行歌が巷を風靡しているときなども……」

 冬子のごっこ遊びについて通夜の参列者が寄せる「生活という大きいものの中に、そんな真似をするという小さい別の生活の殻を、どうして仕込む気になったのか」というコメントが新鮮でした。冗談を解さないということはこういうことなのか、と。ただしこれは冗談と無理解の話などではなく、参列者の話は転々としてやがて戦意高揚を謳う流行歌と群集心理の話題にまで行き着きます。たぶん参列者のコメントは的外れです。的外れですが、翻って時代を射抜いているのも確かなのです。
 

「厚物咲」中山義秀(1938)★★★☆☆
 ――七十になる瀬谷は同年の片野から三十円を借りていた。九年前娘が嫁入りする時の支度金に借りたものである。ほんの好意のつもりで期日も利子も決めず、証文さえ入れてなかった。片野はそうして毎月一円ずつを友から取立てた。それが九年になるのだから、元金の三倍以上を払っている訳である。瀬谷は弱気な自分を顧み、片野の巧妙さに驚かざるをえない。

 ほぼ終盤まで片野がいかにクズかということがネチネチと書き込まれ、いい加減勘弁してほしいと思ったところへ、タイトルにもなっている厚物咲が登場します。それまでがうんざりだっただけに、まさしく「あのように心の汚い片野の手からかほどまで美しい花がどうして咲き出るのか」という瀬谷の言葉に深く首肯できました。「毛並の真っ白な猫がじっとうずくまっていた」という表現は、決して奇をてらったものではなく、菊の見事な様子が目に浮かぶようです。最後に明らかになる片野の意地張りについては、あまりにもきれいにまとまりすぎていて嘘くさいとしか感じませんでしたが、瀬谷の心のなかでそういう落としどころを見つけたということなのでしょう。
 

「幻談」幸田露伴(1938)
 

「鮨」岡本かの子(1939)★★★★★
 ――福ずしの常連客に湊という紳士があった。喰べ方は巧者であるが、強いて通がるところも無かった。娘のともよは、初めは窮屈な客と思っていたが、だんだんこの客がよそばかり向いて自分に眼を向けないと物足りなく思うようになった。ある日、魚を買いに行くと、その店から湊が出て来た。「あなた、お鮨、本当にお好きなの」「鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」湊は、なぜ鮨を喰べることが慰みになるのかを話し出した。

 何よりもまず、出てくる鮨が「旨そう!」ということに尽きます。亭主が常連客にだけ出す隠しメニュー、湊が子どものころに初めて食べた母の手になる鮨。口のなかに美味しさがじゅわっと滲み込んできそうな前者と、口のなかで爆発的に美味しさがはじけ飛んだような後者、文章だけで旨さを伝えられるだけでもすごいことなのに、美味しさを描くのに二種類の旨さを描き分けられるのがさらにすごい。鮨を食べたエピソードは、天才ゆえに人生に倦んだ湊の、感動というものを覚えた数少ない出来事だったのでしょう。秘密を知られて去りゆく昔話のように、幻の母を求めた少年の思い出とともに、紳士も消えました。
 

「裸木」川崎長太郎(1939)★★☆☆☆
 ――世話をしたいという青木の申し出を、君栄もとうとう承知する破目になった。妾にしようというようなことを君栄の耳に入れた男を突っぱねてきた彼女は、二十三の今日まで、ずっと不見転《みずてん》を通してきた。青年土木技師との恋愛が立ち腐れとなり、荒れている矢先に現れたのが、映画監督の大野であった。

 風俗ものはあんまり興味がありません。
 

「唐薯《からいも》武士」海音寺潮五郎(1939)★★★☆☆
 ――「隼太どんのやつ、刀を砥いどるんじゃ」「なにするんじゃろ?」「戦争に連れて行って貰うと言うとッど」「ははははは」隼太どんな武士じゃ、唐薯ばっかり食うちょっても……夕食の時、敏也はその話をした。母も兄も腹を抱えて笑ったので敏也は得意になったが、父親だけはにこりともしないで、「武士はそうなくてはならん」とたしなめた。

 西南戦争を描いてはいるけれど、どう考えても西南戦争を描いてはいません。最後の最後に昔話にしているのは意図的なエクスキューズなのでしょう。どこの地域いつの時代の戦争の話であってもおかしくはありません。
 

「三月の第四日曜」宮本百合子(1940)★★★☆☆
 ――常磐線の待合室にはサイのほかにもかなりの人が溜っていた。三十人ほどの少年が整列していた。三年会わない東京ぐらしのうちにサイは二十になり、こうして勇吉は小学校を卒業して来た。村からはほかにも二人来ているらしい。引率して来た教員から名前を呼ばれた少年たちが前に出ると、大人たちの列から職場の主人が前へ進んで挨拶した。

 これも、何というか、やってることは現代OLと変わりません。恋の鞘当て、嫉妬心。
 

「茶粥の記」矢田津世子(1941)★★★★★
 ――夫のお骨へは茶碗に少しばかりよそって供えた。この茶粥は良人が好物だった。大分以前から食通として役所の人たちや雑誌の上では名を知られていたほうなので、ついその誉め言葉に乗って一途な清子は無闇とお粥をこしらえる。それが毎朝つづくという風でしまいには姑も良人も笑い出してしまうのだった。

 実際には食べたことのない料理でも伝聞や書物によって得た知識によって生き生きと文章化した――という設定に負けることなく、まさに旨そうな文章が並んでいました。食べたことがないどころか、慣れないものを食べると腹をこわし、好物は妻の作ったお粥だという微笑ましい逸話をはじめとして、夫婦と姑三人の仲むつまじい様子が伝わって来るようです。
 

「夫婦」中島敦(1942)★★★★★
 ――パラオ本島のギラ・コシサンは大人しい男だった。妻エビルは浮気者だったので、又、大変嫉妬家でもあった。痴情にからむ女同志の喧嘩のことをヘルリスと呼ぶ。恋人を取られた女が、恋敵の所へ押しかけて戦を挑むのである。パラオには未婚の女が泊まり込んで炊事の傍ら娼婦の様な仕事をする、モゴルという制度があった。モゴルに来たメリイという美人が、ギラ・コシサンと恋仲になり、嫉妬を燃やしたエビルがヘルリスを挑んだところ、無敗のエビルが負けてしまった。

 バリエーション豊かな悪口の数々や、直情的なエビルらが繰り出す露わな感情など、まるで南国と言ってイメージする理想郷そのもののような、パワフルでおおらかな人々が登場する作品でした。

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