三橋一夫。戦前戦後の探偵小説作家ということであれば、城昌幸([bk1][amazon])や渡辺温([bk1][amazon])の名を思い出す。後者二人の作品がショート・ショートの名で呼ばれるのに対し、三橋作品が和製ファンタジーと呼ばれるのは単に長さの問題なのだろうか。
確かに城作品は読み返してみると意外なほどファンタジー色が薄い。純然たるファンタジー「絶壁」などは別にして、多くは当時の〈探偵小説〉の主流に近い内容の文章なのだ。では渡辺温はどうか。「兵隊の死」などはファンタジーと呼べそうな作品ではあるが、文体がまぎれもなく星新一に連なるショート・ショートの文体だ。乾いてもいないけれど湿ってもいない。暖かくも機械的な文章。
ところが三橋一夫の文章は探偵小説のものともショート・ショートのものとも違った。おおざっぱな印象で羅列するならば、川上弘美([bk1][amazon])、小沼丹([bk1][amazon])、内田百けん……。夢と現実の境界が曖昧な、ユーモアのある作品群。
「ふしぎ小説」とはよく言ったもので、たとえば上に挙げた川上弘美のある種の作品を形容するにはぴったりの言葉だろう。無論三橋作品にもぴったりの言葉だ。兎としゃべり、鏡の中の世界に生き、池に映った空に昇天する――まぎれもなく、当時唯一の和製ファンタジー作家だったのだ。
「腹話術師」――デビュー作。どの短編集でも巻頭に収録されているのはしかしそれだけの理由ではあるまい。自他ともに認める代表作でしょう。イタリアという外国が舞台になっていることで、著者のファンタジックな特性が最大限に活かされている。
「猫柳の下にて」――うってかわって比較的オーソドックスなタイプの怪談。
「久遠寺の木像」――アンドロギュヌス的(男女の両性ではなく、相対する人間の性質を有しているという意味で)な理想像。でも実は、見方によって違った印象を与えるいうのは、つまり人間そのものということ。
「トーガの星」――「トーガの星」――何の根拠もないのに「星になった」と信じるしかない状況に追い込まれてしまった直助の心情が哀れ。『虚無への供物([bk1][amazon])』とか『エンリーコ四世([bk1][amazon])』とかに通ずる、観念による行動。
「勇士カリガッチ博士」――室生犀星の『蜜のあはれ([bk1][amazon])』や川上弘美の諸作を連想させるような設定で語られる、ダメ人間の再起の物語。
「白の昇天」――実はタイトルの意味がわかりません。白って? 初出タイトル「稲妻」も同じく不明。
「脳味噌製造人」――『ドリアン・グレイ([bk1][amazon])』の変形。タイトルのセンスが他の作品と比べて浮いているが、内容は間違いなくふしぎ小説。
「招く不思議な木」――「ゾワラ」この言葉だけで一気に引き込まれる。“忘れがちな大切なもの”の物語。
「級友「でっぽ」」――ミステリ短篇。プロバビリティの犯罪。といっても「赤い部屋([bk1][amazon])」というよりは「目羅博士([bk1][amazon〉])」風。
「私と私」――『ジキルとハイド』のような善と悪ではない変身譚というか分身譚。「久遠寺の木像」とあわせて著者の人間観を表わしていると思う。
「まぼろし部落」――ファンタジー作家による自作解説のような作品。
「達磨あざ」――「まぼろし部落」のあとにこれを読むとよくわかる。痣を見たかったから見えてしまった。
「ばおばぶの森の彼方」――プラスであれマイナスであれ、いまいる“此処”からの脱却を描いた作家なのだろう。プラスとは先へ進むことであり、マイナスとは逃亡にほかならない。
「島底」――なんともはや「猫柳の下にて」の語り手の転生した姿にも見えるではないか。
「鏡の中の人生」――自作解説ともいえる「まぼろし部落」をファンタジーとして描いた作品といえそう。
「駒形通り」――「まぼろし部落」とあわせて著者の思想がもっともわかりやすい形で現れている作品。
「親友トクロポント氏」――ファンタジー「勇士カリガッチ博士」を解体解説。
「死の一夜」――「級友「でっぽ」」と同じく呉警部登場のミステリ短篇。ミステリ部分より、解決後の警部夫妻の会話こそ本編の魅力。
「歌奴」――ふしぎ小説ばかりを収めたこの短編集の中で本編と「泥的」だけは普通小説。感涙の人情話。
「泥的」――国威発揚的な作品に思えてしまうのだがはたしてどうなのだろう。そんなこととは無関係に「父を思う」小説なのか。泥的にも父はいるわけだし。
「帰郷」――これこそ国威発揚的。というのは僻目だろうか。
「人相観」――「歌奴」から「戸田良彦」までの流れの中に本編が挟まっているのがうまい仕掛けです。普通小説だと思って読むじゃないですか。
「戸田良彦」――本短編集中の異色作。普通小説とも言い難いがふしぎ小説でもない。
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