『太陽ぎらい』小泉喜美子(出版芸術社)★★★★★

 若竹七海氏が帯に書いてあるとおり、「ほんとにカッコイイ」小泉喜美子の作品集が、新編集でようやく復刊されました。「日常生活と全く関係のない贅沢なお酒のような作品が書きたい」という言葉どおりの、泥臭さとは無縁の粋で美味しくて格好いいミステリ。

子供の情景――アンリ・ジョルジュの手は汚い、いたずらが汚した悪い手だ。父親は家の中のことに興味がなく、母親は生き甲斐をなくしたヒステリー。度を越したいたずら者のアンリを理解してくれるのは運転手の青井だけだった。

 読み始めたときには、小泉喜美子って子どもを書くのが意外と下手なんだなぁ、という印象。でもほんとうは、これはわざと作られた文体なのだと気づいた。まさに大人の童話。仮面の夫婦とアンファン・テリブルのお伽話。

「観光客たち」――ぼくは観光会社の旅行ガイドだ。今回の旅行者はアメリカ人のジョンスン夫妻と娘のローズマリイ。ローズマリイを一目見てぼくは恋に落ちた。でも観光のあいだ彼女はつねに上の空だった。

 読み終えてから振り返ると、「主任のところの秘書嬢はだいぶぼくに気があるらしく、ぼくの顔を見るたびに仕事もそっちのけでしきりに身をくねらせる」などという箇所に大爆笑。ジャンルとしてはハードボイルドなのだが、その設定ゆえに本書収録も全然おかしくない作品なのであります。

「遠い星から来たスパイ」――遠い星から地球にやってきてサラリーマンに扮していたスパイが、同僚の女性社員に見初められた。本国の指示を仰ぐと、「結婚せよ」との指令が。そして今日が結婚の日なのである!

 スパイものという設定ながら、これは“結婚する男”というものの普遍的な縮図だったりもするのです。結婚の悲哀がよく表われております。これが女性作家の手になるものなのですから恐るべしです。

「殺さずにはいられない」――目の前に立っているのは別れた彼女だった。もう会うことなどないと思っていたのに。専務令嬢との結婚を間近に控えているのだ。なのに告げられたのは、妊娠しているという事実だった。

 『陽のあたる場所』『青春の蹉跌』『死の接吻』……結婚を前にして、過去を清算することに失敗した男たちの物語。そんな名作に思いをはせる彼のバックに流れるのは、レイ・チャールズ「愛さずにはいられない」。こんなにも過剰な小道具には何か罠があると疑ってかかるべし。そーゆー話だと思っていると……。

「髪――(かみ)――」――彼は私の髪が好きだという。私ではなく、私の髪の毛を愛しているのかと、ときどき思ってしまう。黒くて長い髪は、私の唯一の財産だ。その夜、新聞には髪を切る通り魔の記事。連れられたのは引退した鬘職人の家……。

 不思議なタイトル。普通なら「髪――かみ――」だよね。何か意味があるのかとしばらく考えてしまった。フランスかぶれと日本かぶれの幸福な結婚。ベッドでフランス詩を誦すキザな大学教授と、歌舞伎のかつらの蘊蓄を、こんな幻想的なミステリにできるのは著者だけだろう。

「抹殺ゲーム」――クリスマス。また昇進できなかった。家に帰るのは気が重い。露天商に丸め込まれて買ったプレゼントのゲームには、息子は見向きもしない。くだらないゲームだった。うまくいけば“大統領”や“首相”のランプがともり、消えるだけ。

 万年平のサラリーマンという、およそ小泉喜美子らしくない設定。しかも、買って帰るクリスマス・プレゼントはグレムリンならぬゲーム機。

「奇形」――訪れたブローカーが毛皮デザイナーに告げた。見たこともない美しい毛並みの獣を見た、と。二人は獣の飼い主を訪れた。猫でもない、鼬でもない、素晴らしい獣だった。

 何よりも獣の美しさ――野生の美しさを味わうべき作品。獣の美しさと女の存在感とブローカーの悪徳っぷりに比べ、デザイナーの印象が薄い。というか、〈美しい獣〉と、〈悪人+印象の薄い人〉だからこそ、嫌な後味どころかむしろスタイリッシュに感じてしまうのかもしれない。

「太陽ぎらい」――ぼくはあこがれのドラキュラに会うことが出来た! 家に招待するため、太陽・十字架・ニンニクに関係のあるものは捨てるか隠すかして、妻は外出させた。準備万端遺漏はないはずだ。

 太陽づくしの大掃除の様子が楽しいし、愛し合ってるのにドライな夫婦、あくまで気品のある貴族でありながら美女の誘いとあらば……な伯爵など、おしゃれで楽しいコントです。語り手がなぜドラキュラ好きなのかまったく説明がないのだが、妙にはしゃいでるのがまた可笑しい。

「ヒーロー・暁に死す」――わたしの伯父は映画監督だ。撮るのはB級ホラーばかり。映画会社から見放され、自腹を切って一世一代の作品を計画中。トランシルヴァニアの古城でロケするドラキュラ映画だ。

 これはクリストファー・リーの演技とビジュアルをイメージして読みましょう。ドラキュラならぬドラキュラ映画へのオマージュです。語り手がもうちょっと魅力的じゃなけりゃ、とか、ドラキュラの悲哀があまり感じられない、とか思うのは間違いです。なんとなれば、映画の相手役は魅力的な美女に決まっているのだし、映画の中のドラキュラそのものが恐ろしくも悲哀に満ちているのですから。

「秋のベッド」――彼女はその少年が山荘にたどりつくのを待っていた。彼女はまだまだ美しい。やがて少年の方からこう言ってくるはずだ。「ぼく実は若い女の子って苦手なんです」……。

 残された女の側から(それも二重に)戦争を描いた作品。といってもあからさまな戦争批判ではなく、当然おしゃれで幻想的な恋愛譚なのです。こうした作品でもグロテスクに思えないのは少年や少女がどこまでもまっすぐだからでしょうか。妖婦がちゃんと魅力的な妖婦です。

「本格的にミステリー」――美幽子が死んだ。いつも死ぬとか殺すとか言っていたけれど、それはミステリー作家という職業柄。決して自殺も殺人もするような人ではなかったのに。

 ポプリの妖しげな匂いにもっと活躍してもらいたかった。もし失踪だとしたら……という場合の動機が明らかにされないところにやはり不満は残る。三者三様の女たちの生き方とか、ポプリが醸し出す幻想的な雰囲気とかは、とてもよいのだが。

雛人形草子」――雑誌の取材で旧家に伝わる雛人形を見せてもらうことになった。ところがいざ箱を開けると、内裏雛が消えていた。母親はどら息子の仕業だと思い込むのだが……。

 こういう、マイナスに傾く親の情熱(狂気)の話、実はけっこう好きです。ちょっと傾向は違うけどパトリック・クエンティン「ある殺人者の肖像」とか綾辻行人時計館の殺人』とか。でも本編が怖いのは、情熱そのもののマイナスのパワーではなく、その情熱の拠って立つ足場にまったく裏付けのないところ。喩えるなら、川を渡りたいのに橋を架けようとはせずに、羽が生えてくるのを待っている人を見るような恐怖。
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太陽ぎらい
太陽ぎらい
posted with 簡単リンクくん at 2006. 1.19
小泉 喜美子著
出版芸術社 (2005.9)
ISBN : 4882932806
価格 : ¥1,575
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