『日本怪奇小説傑作集』もいよいよ完結。昭和30年代から現代まで。何よりもまず怪奇小説だった『1』、一分の隙もない作品ばかりが並ぶ『2』とくらべると、ややおとなしい。
「お守り」山川方夫
――君、ダイナマイトは要らないかね? 突然、友人の関口が僕に言った。あるとき関口が団地に帰ると、自分とまったく同じ人影が自分の部屋に入っていった。別人が棟を間違えただけと判明したが、関口にはその日から団地の人間すべてが同じように見えだした。
ある程度以下の年齢の読者には、「夏の葬列」[bk1・amazon]の作者としてお馴染みでしょう。本編はドッペルゲンガー譚として怪奇ファンには定番のようですが、そう読むとえらい怖いです。姿形が同じなのは黒瀬一人としても、行動パターンが同じ人間がぞろぞろといるというのは悪夢です。お守りがなくては正気を保っていられないほどに。
「出口」吉行淳之介
――見張りがいるわけではない。半ば強制的に、半ば自発的に、彼はその部屋に閉じ込められた。それでも外に出るときは足音を立てないようにした。空腹を覚えて入ろうとした鰻屋の入口は、釘付けされていた。営業はしているが出前専門なのだという。
ホテルにカンヅメの小説家が一篇の怪奇小説になってしまうのだからたいしたものです。出るのではなく、閉じこもることが出口への道だ――という自分の境遇から妄想はふくらみ……最後の一言で妄想から現実へ帰還します。ホラーなどではない、普通の人間なのだと。翻って、普通の人間がそんなことを、と怖くなる。
「くだんのはは」小松左京
――空襲で焼け出された僕は、元家政婦のお咲さんの紹介で、芦屋のお屋敷にやっかいになることができた。病に臥せって姿を見せない女の子と母親の二人が住んでいる。米の飯、奥さまの着物姿……いくら名家とはいえ、このご時世に誰からも文句を言われないのが不思議だった。
〈SF作家〉小松左京というイメージがあったので、漠然とモンスター小説かと思っていたのだが、なんとも古式ゆかしい日本の怪奇小説であった。『幻想文学』第56号[bk1・amazon]の特集で知ってから読んだわけだけれど、知らずに読んだとしたら、そもそも「くだんのはは」というタイトルからしてどこでくぎるのかよくわからなくて本当に怖かっただろうなと思う。
「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」稲垣足穂
――僕ガ寝テイルト、家来ノ権平ガヤッテ来テ、大男ガ現レタト言ッタ。
擬古文というか、漢字と片仮名の擬古表記文による『稲生物怪録』[bk1・amazon]。文体自体は古文ではなく口語体なので、擬古表記というよりもタルホらしいファンタジーの印象を受ける。妖怪ではなくて星や月がやって来たような。
「はだか川心中」都筑道夫
――男と女が温泉街へドライブに出かけた。ようやくたどり着いたものの、町の人間の誰もが二人を避けようとする。
都筑道夫の小説を読んでまず思うのは、自分は無知だということです。「掛値をしたんだよ」という使い方を初めて知りました。辞書で調べると、「掛値なし」の掛値だとわかり納得。本編が心中ものの定石をふまえているものなのかどうか、無学な私にはわからない。理に勝った作家が書いた、理に落ちそうで落ちない怪談。
「名笛秘曲」荒木良一
――かつて大飢饉が襲ったとき、大手村の村人は古来の知恵でしのごうとした。よそ者の新村の村人はなすすべを知らなかった。一人の旅人が貴重な塩を持って通りかかったのが悲劇の始まりだった。終末が訪れるという秘曲の音が響き……。
どこか戦前の作品のような“まっとうな”怪談は本書中では異色作。泥臭くも美しい因果話。
「楕円形の故郷」三浦哲郎
――耕平はミサを探してマンションを訪ねて回っていた。東京に出てきてからすっかり変わってしまったミサは、とうとう行き先も告げずに耕平の元を去った。
著者はおそらくホラーを書くつもりではなかったろうし、ホラーに理解や造詣もないと思われる。だからこそ書けたというべきか、突然斬りつけられたようなショックと哀感が残る。
「門のある家」星新一
――金の無心を断わられ、当てなく歩いていた青年は、ふと一軒の家の門に足を踏み入れた。青年は家の女から真二郎さんと呼びかけられ、そのままそこで暮らすようになる。
行き場所を失った現代人。進むべき道のわからない男の唯一の拠り所。ちょうど平行してデュ・モーリアの『美しき虚像』(別題『犠牲』)を読んでいたので妙にダブった。デュ・モーリアの方はそっくりさんが入れかわるという話なのだけれど、やがて他人である家族に居心地のよさを感じてしまうという。
「箪笥」半村良
――息子が夜な夜な布団を抜け出し箪笥の上に正座する。どうにかやめさせようとするのだが……。
各種アンソロジーに採られたあまりにも有名な名作。能登方言で語られる短編集『能登怪異譚』[amazon]には村上豊の挿絵も入っていていっそう怖い。
「影人」中井英夫
――三途川は実在する。そう聞かされて裕は先を急いだ。暗号を手がかりに、宮下雪夫とともに姉を探しに行くのだ。
ペダントリーと妄想がとめどなく流れ出ずる、饒舌体夢想小説とでもいうべき作品。暗号は解かれるためにではなく、無数の解釈を生み出すために存在する。こういうタイプの作品はあまり好きではない。とはいえ、愛おしく感じるホラーよりは嫌悪を感じるホラーの方がよっぽど本当のホラーなのかもしれない。
「幽霊」吉田健一
――幽霊というものに興味を持つ男が仮に幽霊がいることを確かめたいのであればそれは自分で確かめるという条件の下でしか解決できない。
だめだ……。独特の文体についてけない。ドライブ感のない町田康、パロディじゃない清水義範。
「遠い座敷」筒井康隆
――兵一の家で遊んでいて宗貞はすっかり遅くなってしまった。廊下に沿って両側にどこまでも並んだ座敷は山腹の斜面の勾配に応じて少しずつ低くなっており、下へ下へと通り抜けていけば宗貞の家の大広間にたどり着くはずである。
吉田健一とこの作品を並べる趣向。粋なのか悪意なのか。
山の斜面に沿って階段状に座敷が続いているというあり得ない設定。こりゃあ見るからに“あのパターン(出口のない円環)”だなと、怪談ファンなら勝手に思ってどきどきしてしまうのだけれど、この作品の怖さは実はそういうところにあるのではないのです。夜道を避けて座敷を通ったはずなのに、木陰や葉音にではなく、床の間や欄干に、夜道の一人歩き同様の疑心暗鬼を生じてしまうのである。言ってみれば「遊歩道」のような子どもの視点のホラーというか。怖いと思えば何でも怖い、カーテンもお化けに見えてしまう。
「縄――編集者への手紙――」阿刀田高
――O・Y様。本当に申し訳ありません。でも、どうしても原稿が書けないのです。この手紙も最後まで書けるかどうか……ほら、またあの音が……。
阿刀田高も怪談の名手として知られるが、これは怖いというより構成の妙にうならされてしまうようなところがある。
「海贄考」赤江瀑
――わたしたち二人は愛し合っていた。お互いを、他人を見るように過ごす暮らしが訪れてこようなんて、疑いもしなかった。いっしょに暮らすべき理由がなくなれば、終わるしかないのだ。生きることを。
実は作者はすごくロマンティックな自分に照れてこんな作品にしたんじゃないのかな、と考えてしまう自分はロマンティストなのでしょう。ホラーとしても幻想譚としても一級品。幻視力と構成力の二物を与えられた希有な作家の一人。
「ぼろんじ」澁澤龍彦
――茨木智雄は標致繊麗、花容ならびなく、あたかも女人のごとくであったが、若くして武技百般に精熟していた。ときに明治戊辰、兄が佐幕に身を投じるや、関わりを避けて女装となり、しばらく身を隠そうと身延山へと向かった。
何やら物々しく始まった時代物に、平気で横文字が飛び出すところがいかにも澁澤らしい。いわゆる完成度よりも、きらめくイメージを現出させることに心をいたす。どんなものでも自分の方に引き寄せて書くことができる。博覧強記だが書物の鬼というイメージはない。妖精や式神を使役して自分は余裕綽々だったのだろうな。
「風」皆川博子
――庭は、寝がえりをうって、背をむけた。庭にまで馬鹿にされるのは、いい気分ではない。
ちょっと怖いファンタジー。魂が容れ物に嫉妬する。
「大好きな姉」高橋克彦
――二度と故郷に帰らぬと決めていた私であったが、父が死んだため戻ることに決めた。だが急に後悔に襲われた。兄の嫁であるサキ姉は、私のせいで片目を失ったのだ。
高橋克彦は宇宙人とか心霊とかを信じてるとんでもちゃんなのだが、あたかもそれを自ら逆手に取ったようなどんでん返し。だって幽体離脱だとマジ顔で書かれたときにゃあ腰が抜けましたヨ……。幽体離脱じゃなくてほっとしてます。しかしごちゃごちゃしてる。民俗と心霊とモンスターとヰタ・セクスアリス。なんか……辻褄が合ってないような気もするんですが……。高橋克彦という作家は、ときどき傑作も書くB級作家なのか、ときどき駄作も書く一流作家なのかよくわからなくなることがあるけれど、これはどっちの顔もひょっこり現れたような作品。
------------------------------
------------------------------
翻訳小説サイト ロングマール翻訳書房