『エムズワース卿の受難録』ウッドハウス(文藝春秋)★★★★★

「南瓜が人質」(The Custody of the Pumpkin)
 ――エムズワース伯爵が新しく買った望遠鏡を覗いていると、なんと次男のフレディが女の子と抱き合っていた。女の子は庭師の親戚の娘。すわ一大事と、親戚の娘を追い出すよう庭師に命じるのだが、追い出すくらいならと庭師の方が出て行ってしまった。困ったのはエムズワース卿。庭師がいないと大事な南瓜がダメになってしまう。

 悠々自適の伯爵も、フレディのことや南瓜や花や庭のこととなると、途端に理性をなくしてしまうようです。フレディの困ったちゃんぶりも相当なものですが、エムズワース卿の頑固っぷりも相当のもの。いやそれだけに、エムズワース卿が窮地に陥ったときの戸惑いぶりはなんともかわいく可哀相なのです。自分が馘首にした庭師に謝ったり、公園の花壇の花を自分の庭と間違えて引き抜いてしまったり。

 「これほど古い家柄なのにどうしてうちには一家伝来の呪いがないんだろうと悔しがったことがある。」という一文を発見。ジャック・リッチー「デヴローの怪物」にもそんなようなくだりがありました。こうしてみるとチェスタトン「紫の鬘」のロジックも、イギリス人にとっては説得力があるものなのかなと思ったりもします。

「伯爵と父親の責務」(Lord Emsworth Acts for the Best)
 ――執事のビーチは一大決心をしていた。自分の首と引き替えに、エムズワース卿が伸ばし始めたみっともない髭を剃ってもらうのだ。一方エムズワース卿はといえば、やっとやっかいばらいができた次男のフレディから電報が届いてやきもきしていた。フレディ曰く、奥さんに逃げられたとのこと。伯爵のいらいらは頂点に達した。

 オッソロシイとはいっても、例えばバーティのおばさんたちはそれなりにいい人ではあるのですが、本編に登場する西戎北狄ジェイン・ヨークは悪意の塊でしかありません。しかも実際にいそうなんですよね……。エムズワース卿の思いとは裏腹に、フレディには意外な才能があるようです。

 本編ではウッドハウス作品中でも上位に食い込む爆笑シーンも見られます。老人に変装した人物を見て曰く、

これほどまでに怪しげな風貌の男が、今まで射殺されることもなく、この古き齢になるまで生き延びてきたとは。

「豚、よォほほほほーいー」(Pig-hoo-o-o-o-ey!)
 ――エムズワース卿の所有にかかる雌豚「ブランディングズの女帝」が品評会の優勝メダルを危うく取り逃すところだったことを知るものは少ない。豚係ウェルビラヴドが逮捕され、十四日間の禁固を言い渡された。その日から豚の食欲がなくなった。気が気でない卿のもとに、姪のアンジェラが婚約を解消したと妹のコンスタンスがさらなる厄介を持ち込んできた。

 「綿菓子のような頭脳」とはどういう比喩なのかと思っていたのだけれど、どうやら軽くてふわふわですっかすかということのようです。「二年前、息子は翌日アメリカに向かって出航するとはっきり言ったぞ。いくらなんでも、今ごろは向こうに着いとるだろう」だなんて平気でのたまって妹の機嫌をますます悪くさせちゃいます。豚のことが心配でほかのことは手につかない卿ときたら、どんな話題で誰から話しかけられたとしても、返事の内容は豚のことばかり。「よォほほほほーいー」というヘンテコな言葉をとにかく大声で叫ぶ、だなんてギャグとしては初歩中の初歩なんだけれども、まあよいでしょう。

「ガートルードのお相手」(Company for Gertrude)
 ――ジョージーナ叔母さんこそは、ドッグフードの有望市場ではないか。勇んで帰国したフレディを待ち受けていたのは、叔母の娘ガートルードとの結婚を反対された旧友ビーファーズの姿であった。一方エムズワース伯爵は塞ぎ込んでいた。邪悪な裏切りにより、優秀な豚係が引き抜かれたのだ。

 果たしてパースロウ=パースロウはどうなったのでありましょうか? とても気になります。なにはともあれ解決したのは彼のおかげ!?

 トラブルメーカーのアドバイスを違わず実行することで問題が裏目裏目に出てしまうおかしみは、バーティ&ジーヴスものでもお馴染みのもの。ことが勃発してもなにもできずにどぎまぎしている伯爵と、自分に任せろとばかりに余計なことばかりしているフレディをよそに、事件はいつの間にか解決しているのがこのシリーズです。フレディがドックフードを売り込むというのは(少なくとも短篇では)この話からひとつのパターンになりました。

「あくなき挑戦者」(The Go-Getter)
 ――フレディ・スリープウッドを苦しめていたのは、ジョージーナ叔母があくなき販売攻勢にもいっかな陥落しないという事実だった。今日も説得に向かうフレディであったが、叔母の心はドッグフードどころではなかった。娘のガートルードが婚約者をそっちのけで無一文のテノール歌手にのぼせあがっているのだ。

 本編ではエムズワース伯爵が完全に脇役になっちゃってます。販売契約および従姉妹と親友のよりを戻すことにフレディが孤軍奮闘、誰のおかげというでもなくいつものように万事解決。ドッグフード会社では頭がいいということになっているフレディですが、やはり伯爵の息子です、相手の言っていることにかまわずとんちんかんな話を続けるところなんて伯爵そのものでした。

「伯爵とガールフレンド」(Lord Emsworth and the Girl Friend)
 ――今日は暖かく快晴。だが八月の公休日にはブランディングズ城は小型の灼熱地獄と化すのだ。小作人と子供たちが押し寄せ、伯爵には演説が待っている。おまけに庭師のマカリスターは、並木道を砂利敷にしたいなどとのたまっている。

 バーティだって何度もジーヴスや叔母たちに反撃を試みたものの、あえなく撃沈。しかし伯爵にはガールフレンドという強い味方がいるのだ。かっこいい伯爵が見られる一篇。キプリングが激賞したのもむべなるかな、かわいらしくもグッと来る。

ブランディングズ城を襲う無法の嵐」(The Crime Wave at Blandings)
 ――レイディ・コンスタンスと話し込んでいる元秘書バクスターを見た瞬間、伯爵は芯まで動転した。彼こそはエデンに巣くう蛇、バクスターが辞表を出しれくれたときは心楽しきひとときであった。「いったいここでなにを?」それが無法状態の始まりだった。

 中篇。いちばんドタバタ色が強いスラップスティック・コメディ。事件が事件を呼び、各人の思惑が入り乱れる。伯爵の平穏な生活に他人が介入するというのがこれまでのパターンなのだけれど、本編はそれに加えて一挺の銃が。なんとも楽しい一篇。

「セールスマンの誕生」(Birth of Salesman)
 ――数多い姪の一人がアメリカの百万長者と結婚するというので、伯爵はフレディの新居にもぐりこむことになった。それにつけてもフレディは癪に障る。ロンドンでは不始末ばかりだったのに、今では優秀なセールスマンになって、伯爵のことを見下しているのではないだろうか。

 のんびりマイペースに見える伯爵ですが、フレディにだけは負けたくない! というわけで、生まれて初めて(?)自分で働くことになるわけですが、仕事をこなせるわけがありません。「ドッグ・ビスケットと豪華版スポーツ百科事典の区別もつかないんじゃあ、なにか他の商売をやったほうがいいよ」というのもごもっとも。材木狼(!)との絶妙のアイ・コンタクトが笑えます。

「伯爵救出作戦」(Sticky Wicket at Blandings)
 ――フレディは妻の愛犬をだしにドッグフードを売り込むことに成功した。ところが妻がブランディングズ城を訪れるという電報が。ショックのあまりギャリー伯父を巻き添えに階段を転げ落ちるフレディ。ベッドに釘づけの二人に代わり、伯爵が愛犬を連れ戻すはめになった。

 伯爵最後の短篇なのに、ほとんど出番もなくかわいそうすぎ。代わりに活躍するのは伯爵の弟ギャリー伯父さんです。前話では伯爵に嫉妬されるほどしっかり一人前になったフレディですが、やっぱり厄介の種を持ち込んでくれます。しかも持ち込んだだけ持ち込んで自分はさっさと怪我をして舞台から退場、馬鹿を見るのは伯爵です。しかしギャリー伯父さんの頭の回転はどうも良からぬ方向にばかり働くようで、本当の厄介の種はもしやギャリー伯父さんでしょうか!?

「フレディの航海日記」(Life with Freddie)
 ――ドナルドソン・ドッグジョイ社のフレディがイギリスに帰ってきた。イギリスの富豪ピンクニーに対しては、ドッグフードの契約に失敗したという苦い思い出があった。ところが旧友の姉がピンクニーと結婚すると聞き、チャンスとばかりに同じ船に乗り込んだ。一方、船の上では恋人たちのすれ違いが……。

 エムズワース卿の出てこない、シリーズ番外編。イギリス〜船上〜アメリカに至るまで繰り広げられる、フレディの旧友たちの恋模様と、フレディのドッグフード販促作戦。ウッドハウスの魅力の一つは、独特の言い回しによる比喩。たとえば衝撃で固まってしまった男を表現するのに、「悪徳の町ゴモラから逃げ出すときうっかり振り返ったために塩の柱に変えられてしまったロトの妻の物真似でもしているのかと思えた」だなんて、面白いだけじゃなくて説得力も抜群です。ショックで動けない人が目に見えるよう。フレディは行動力もあるしっかりものですが、ジーヴスものなどとは違って、問題が解決されるのはフレディの機転が原因とは言えず、半ばは幸運によるものです。エムズワース卿のようにふわふわしてたら幸運が降ってくるというのなら何となくほのぼのしていて作品の雰囲気にマッチしているのですが、フレディのように行動力がある人が活躍したあげくに幸運により解決というのではちょっともの足りない。でもアントニイ・バークリーシェリンガムってそんな感じかも。そう考えると、バークリーがウッドハウスの影響を受けているってのはこういうところなのかもなぁと思ってもみたり。

「天翔けるフレッド叔父さん」(Uncle Fred Flits By)
 ――フレッド叔父さんがやって来ると聞いてポンドは涙を浮かべていた。というのも……。

 Mr.ビーンみたいっていえばいいのかな? 周りを混乱の渦に巻き込みながら、自分はといえばやることなすことうまくいってしまうトラブルメーカー。お約束といっちゃあそれまでですが、だからこそ高いテクニックが要求される作風でしょう。個人的にはこういうイノセント(を装っている)馬鹿者の話はあまり好きではないのですが、そんな自分が面白いと思うのだからやはりウッドハウスはたいしたものなのでしょう。

「探偵小説とウッドハウス真田啓介
 ――『新青年』のユーモア小説好きと、ウッドハウスの探偵小説好きと、探偵作家のウッドハウス好きについて簡潔にまとめられています。事件が解決されるとはいえとてもミステリとは呼べないウッドハウス作品がどのようなわけでミステリに分類されるのかもわかります。後半はほとんどバークリー論みたいになってました。

「文体の問題、あるいはホームズとモダンガール」(Holmes and the Dasher)A・B・コックス(アントニイ・バークリー
 ――ホームズのところに手紙が届いた。僕の言うことをわかっていただけるとすればだが。つまりこういうことなのである。

 『シャーロック・ホームズの災難』[bk1amazon]にも「ホームズと翔んでる女」の邦題で収録。『災難』版はウッドハウスなんてほとんど翻訳されていないころに読んだからまったく面白さがわからなかったけれど、読み返してみると(出来はともかく)バークリーの意図はわかる。

 伯爵は春風駘蕩ほわほわしているのに、まわりで嵐が吹き荒れます。吹き荒れる災難に対し伯爵がなんにもできないでいるうちに事件が解決、という話よりも、伯爵ががんばって事件が解決する話の方が好みではありました。長篇はどっちタイプの話なのか気になるところです。『比類なきジーヴス』をまるまる収録した『ジーブズの事件簿』や、オリジナルの全訳である〈ウッドハウス・コレクション〉とは違い、別々に発表された短篇をウッドハウスの死後にまとめたもの(の翻訳)です。なのでシリーズの雰囲気をつかみづらいというのもあるかも。ジーヴスもののように長篇も翻訳してほしい。でもこれは他の出版社頼みかな。
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エムズワース卿の受難録
P.G.ウッドハウス著 / 岩永 正勝編訳 / 小山 太一編訳
文芸春秋 (2005.12)
ISBN : 4163246002
価格 : ¥2,600
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