『ミステリマガジン』2006年4月号【特集=英国ミステリの現在】★★★★☆

「英国ミステリ最新事情」松下祥子

 【1】イギリスといえば階級社会。というわけでミステリ・シーンにもかなりそれが影を落としているようです。【2】古くさい名探偵もの=クリスティというわけではないような気もしますが、いずれにしてもイギリスでは名探偵ものは流行らないようです。【3】「犯罪が日常茶飯事の都会の貧困地域を舞台にしておもしろいミステリは書けない」というP・D・ジェイムズの言葉は、これだけ読むと真意がよくわからない。が、「英国ミステリ通信 第88回 イギリスの翻訳ミステリ2」松下祥子を読むとなんとなくわかりました。曰く「イギリスのミステリは、P・D・ジェイムズが実践するように、犯罪が起きて平穏な現状が乱され、その現状を回復するために事件を解決する、というものだ。だが、ヨーロッパのミステリではしばしば現状そのものが犯罪の原因となる。」とのこと。

【特集=英国ミステリの現在】
「フランクに抜かりなし」ダヌータ・レイ(No Flies on Frank)

 ――フランク・スタウトは連続殺人者だ。それも蛆虫を飼育する連続殺人者だった。どうしてそうなってしまったのか。人間は死ねば蛆をわかせる。フランクの父親ハリーは、人より早く蛆虫をわかせることになった男だった。

 リストラされたハリーは、叔父が遺した農場に一家で移り住むつもりだった。だがたどり着いた場所には、ゴミ埋め立て工場が建っていた。

 ミステリとはまったく関係のない話から始めるけれど、これって実はパーフェクトな生ゴミ処理事業なんじゃないかと思ってしまった。ミミズならなお可?

 現代の田舎町を舞台にした〈オペラ座の怪人〉。ドリルの注意書きはギャグなんですよね? 笑っていいんですよね?とちょっと不安になるブラックなオハナシです。2005年CWA最優秀短編賞受賞作。本邦初訳の作家さんだそうです。どんな作風なのかこれ一篇では判断つかないけれど、面白かったので覚えておきます。★★★★☆。

「炎に近づいて」ジェリー・サイクス(Closer to the Flame)

 ――「私の生理が始まると、デニスの胃も痛み始めました」元妻ボニー。「デニスに盗癖があったとは思わないな。確かに現場からものを持ち去った。だがそれで犯人の波長を感じるんだってさ」元同僚。

 一方の耳からもう片方の耳まで喉を切り裂かれていた被害者は、まるで笑っているように見えた。だからその連続殺人犯を新聞は“笑わせ屋”と呼んだ。警官デニスはその事件を追っていた。

 うわっ、そうきたか! 関係者のインタビューと、デニスの言動を描いた地の文からなる、ちょっと幻想的でリリカルな異色短篇。スタイリッシュ。熱いけれど、音を立てずしんしんと燃える炎。2003年CWA最優秀短編賞受賞作。★★★★★。

「行きつ戻りつ」コリン・デクスター(The Double Crossing)

 ――一緒に旅行に出かけたいという母を車に乗せて、わたしたちはフェリーに乗りました。ドーヴァー海峡を渡るあいだ、母には木箱に隠れてもらいました。ところがキャサリンの悲鳴が聞こえたのです。「ジョン。ママが死んでるの!」。下船して少し目を離した隙でした。車が盗まれていたのです。

 これがジョン・グレアムの報告書だった。ストラットン主任警視に言わせると馬鹿げている。だが新任のルイス警部にはそうとは思えなかった。

 ちょっと最後がよくわからない。シリーズを読んでいればわかることなのだろうか、簡単な解説が欲しいところ。★★☆☆☆。

「誰を殺せばいいのか教えろ」イアン・ランキン(Tell Me Who to Kill)

 ――キャッスル・ストリートの坂下で人だかりがしていた。リーバス警部は現場へ分け入った。救急車はサイレンを鳴らしていない。歩行者はちゃんと前を見ていなかったらしい。現場に落ちていた携帯を拾ったリーバスはぎょっとした。画面には「誰を殺せばいいのか教えろ」という文字があった。

 魅力的な発端に、ああそうかという真相、かと思いきや、あまりにも強引な真相。警察小説っていうよりはハードボイルドな感じだから、トリッキーな部分はどうでもいいっちゃいいんだけれど、もったいない。★★★☆☆。

「犬のゲーム」レジナルド・ヒル(The Game of Dog)

 ――きっかけはチャーリーだった。「あんたがたときたら、もし火事になって、人間一人か飼い犬か、どっちかしか助ける暇がないとしたらどうするんだ!」「ヒトラーを助けるくらいなら、俺の飼い犬を助けるね」。それからゲームが始まった。「スターリン」「ヨークシャー・リッパー」「暴君ネロ」……。最後は決まってテリアのひとことで終わった。「おれの女房の母親!」

 ところがテリアの家が火事になって、妻の母親が焼け死んだのだ。

 ダルジール警視&パスコー警部ものの一篇。犬好きで酒場のゲームにも参加していたパスコー警部が、火事に疑問を感じて独自に捜査を始めます。島田荘司氏でしたか北村薫氏でしたか、謎は魅力的であればあるほどいいとおっしゃっていましたが、本編なども地味ではありますがたいへん魅力のある謎だと思います。真相の扱いも、↑「誰を殺せばいいのか教えろ」とくらべるとこちらの方がいい。★★★★★。

「刃に向かって踊れ」マーク・ビリンガム(Dancing Towards the Blade)

 ――あの日、ヴィンセントが角を曲がって路地にはいると、連中が待っていた。「家に帰るんなら、ここじゃなくてあっちにまわれ、黒野郎」。来た道を引き返して、大回りするのは造作なかった。

 だが視界の隅がぼやけ、父親の声が聞こえてきた。「じっとしていろ、坊主」ナイフの刃があてられた。A級の男であることを証明するときだ。

 本邦初訳の作家さん。狭い意味でもミステリと呼べるような作品が多かった今号特集作にあって珍しく広義のミステリ。どうもストリートというとアメリカというイメージがあるのだけれど、れっきとしたイギリスの小説。(これなんかを読むと「犯罪が日常茶飯事の都会の貧困地域を舞台にしておもしろいミステリは書けない」というのもわかる気はする。「おもしろい〈狭義の〉ミステリは書けない」という。)真の意味での通過儀礼。生きるために不可欠な力。★★★★☆

「ランポールと裁きの天秤」ジョン・モーティマー(Runpole and the Scales of Justice)

 ――「近頃はどうも裁きの天秤の傾き具合がよろしくないね。何かというと被告側が有利になっている。悪党どもは無罪放免、笑いながら裁判所を出てゆくんだから」。テレビでしゃべるダーデン警視長を見て、ランポール弁護士はお冠だった。ところがなんと、そのダーデン警視長が殺人罪で起訴された。弁護人はサム。ランポールは弁護人補佐に納まった。

 ひねりも何にもない……。ランポールの行動には(ミステリ的な動機が)何かあると思うじゃないですか……。★☆☆☆☆。

【特集=英国ミステリの現在】はここまで。

「ミステリアス・ジャム・セッション第59回」西村健
 宮城谷昌光顔である。宮城谷ファンならそれだけで好感が持てるだろうし、宮城谷ぎらいならそれだけで偏見を持ってしまう。

「新・ペイパーバックの旅 第1回=ハードボイルドを運んできた軍隊文庫」小鷹信光

 双葉十三郎&著者の貴重な対話が紹介されています。ハードボイルドを日本に初めて紹介したのは双葉氏、そして双葉氏がハードボイルドという言葉を初めて目にしたのがどうやら軍隊文庫の紹介文だったらしい。チャンドラーが明治21年生、ハメットが明治24年生という事実に愕然。★★★★★。

「MWA賞の映画誌 第45回=1998年」長谷部史親

 『L.A.コンフィデンシャル』『フェイク』『陰謀のセオリー』。

「ヴィンテージ作家の軌跡 第36回 レナード――デトロイトの奴ら(中編)」直井明

 今号ははからずも↑から続いたレナードづくしということになったわけですが、こういうサーガになっている作品は、こんなふうにまとめてくれるととてもわかりやすくていい。

「瞬間小説 30」松岡弘一

「夜の放浪者たち 第16回 内田百けん東海道刈谷駅」(前編)」」野崎六助

 「百けんのイメージは現在でも、ユーモア・エッセイスト、日記文学の作者、怪奇幻想ファンタジーの書き手、といった順で認知されているようだ」という文章には、ホントかよ?と思ってしまう。まずは『冥途』のイメージだと思うんだけどなぁ。

ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか? 第96回 言い落としの「うさん臭さ」」笠井潔

 乱歩「二銭銅貨」であります。

「誌上討論/第2回 現代本格の行方」大森滋樹・蔓葉信博・羽住典子・波多野健・杉江松恋

 「隔離戦線」で豊崎由美氏は、「しかし、いいもんですね、論争は。活気づきますもの」とおっしゃっていますが、活気づくならづくで、いまさら「これは本格か否か」なんて問題よりももっと討論すべきことはあるだろう!と思ってしまった。前回の『容疑者Xの献身』二階堂論への各人の反応を掲載。

「今月の書評」など

 「北欧の天才ミステリ映像作家」トーマス・イェンセンの『フレッシュ・デリ』『ゲット・ザ・マネー』『ゼイ・イート・ドッグズ』。とにかく変な作家らしい。紹介している小山正氏はかなり好みの偏向が強いので鵜呑みにするのは要注意だが、テレビでやったら(やるかなあ?)忘れずに見るべし。ダメならDVD借りるかな。レンタルしてなきゃ買うしかないか。

 ランダムハウス講談社というレーベルははいつのまにやら立ち上げられて、どんなジャンルかも不明だったのだけれど、どうやらミステリ色も強いらしい。そんなランダムハウス講談社からの新刊がアイルランドの柩』ハートbk1amazon]。地味なタイトルとカバーだが面白そうな歴史ミステリ。腐敗しない泥炭層から見つかった死体。いつの時代の被害者なのかわからないのだ、というのが魅力的。前島純子氏紹介。

 あまりにもクラシックなラインナップ、当たり外れの多そうな雰囲気。というわけでどうしても手が出せずにいる論創海外ミステリからは『同窓会にて死す』ウィッティングbk1amazon]。内容よりも「クリケットの試合の模様も、リアルに(たぶん)描かれている」という一文に興味を惹かれました。「リアルに」というのは文字通りの意味であって、“臨場感あふれる”とかいう意味ではないのだろうなとあとになって気づく。でもパブリック・スクールの世界は「これでもかとばかりに楽しく語られている」そうなので、イギリス度を堪能したいならこれでしょう。杉江松恋氏紹介。

 ゴダードの新刊『最期の喝采』とポケミス『悪魔のヴァイオリン』グラッセbk1amazon]はチェックしておくも、ゴダードは旧作も全部は読んでいないのでそっちからかな。『トフ氏に敬礼』クリーシーは、なぜかタイトルに惹かれた。というか「トフ氏」という名前の響きに嵌ってしまった。

 『ジェイン・オースティンの読書会』は個人的には発売と同時に気になっていた本なのだけれど、風間賢二氏の紹介はなんだか面白くなさそうである。

「フルーツセラー」ジョイス・キャロル・オーツ(The Fruit Cellar)

 ――「ペアリーという名前に心当たりは?」兄からの電話にシャノンは首をひねった。「思い出した。あの誘拐された女の子」。「ここに来た方がいい、シャノン、今すぐに」。兄に言われてシャノンは実家に向かった。父は亡くなった。兄から見せられた遺品の中に、少女たちの写真があった。そしてフルーツセラーの鍵……。

 地下室と誘拐といえばオーツには「Labor Day」という短篇があるし、“失われた記憶”を被害者の側から描いた「■」や「The Molesters」という短篇もあります。「尋ねたりはしない、パパは知りたがりの女の子が好きじゃないから」という文章からは、『フリーキー・グリーンアイ』を連想します。怖いのは真実を知ってしまったことではなく、「思いだそうとしても思いだせないのが、がっしりした黒縁の眼鏡の奥の彼の目だった。だけどもちろんそこにあったはず、パパの目は。」という一文です。単なる犯罪小説ではなく、目のない怪物が記憶の中から浮かび上がってくる悪夢のような作品でした。

「夢幻紳士 迷宮篇 第2回=病める子」高橋葉介
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