「薬菜飯店」★★★★★
――その店のメニューを見た瞬間、ぐび、とおれののどが鳴った。長ったらしい料理の名前がまことに刺戟的であった上、その効能が現在のおれのからだの具合が悪いところすべてに関係していたからである。
夢のような料理である。もしも病気が治るのであれば薬であろうとドラえもんの道具であろうといいようなものだけれど、やっぱり“食べ物”であるところが――しかも中華料理であるところが――ツボを突いています。めちゃくちゃ旨そうでかつ健康そうなんだよなぁ。
「法子と雲界」★★★☆☆
――その日、法子が庵にいると、雲界が泣きながらやって来た。「わたくしの女が、虎に喰われてしまいました。女というのは夢のことでございます」
もしかするってぇとこれは東洋思想のパロディなのかい。法子と雲界って実在の思想家かと思っちまった。そう思ってしまうほどに、思想的にも文体的にも本家に劣らない。
「エロチック街道」★★★★★
――帰りの燃料がなくなるからここで降りてくれと言われ、まずは腹ごしらえをしてから交通機関を尋ねると、温泉に乗ればよいという。そこで裸の美女に案内されて温泉隧道を流されてゆく。
何というか、ロードムービー&ロードノヴェル風の温泉隧道ノヴェルとでもいうべき情緒と奇想あふれる紀行(?)小説。
「箪笥」★★★☆☆
――「毬子さん、この箪笥はお祖父さまがフランスでお買いになったものです」「鍵がかかっていますわ。この抽斗は開きませんわね。文麿さん。わたくし、怖いわ。怖いわ。何が入っているのかしら」
戦前の軽井沢。窓の外を「川端康成先生が散歩なさって」いる時代。著者は軽々と読者をその時代にタイムトラベルさせてくれるのだけれど、作中の箪笥がさらなる過去へと誘う、二段階のタイム・マシン。すっとぼけたやりとりが楽しい。
「タマゴアゲハのいる里」★★★★★
――行灯にはお料理旅館と書いてあった。メニューは地元の知らない魚ばかりだ。一部屋しかない奥の部屋を相部屋にしてもらい、泊ることになったから、ゆっくりと食べた。
これぞファンタジー、ともいうべき生粋のファンタジー。変なイカや蝶は出てくるものの、だからファンタジーだというわけではなくて、うまくいえないけれど、この結びを読んでくれというしかない。あれっ?この二人って心中するために旅してるわけじゃなかったよな?と思わず初めから読み返してしまった。徐々に徐々に不思議さが増して最後に一気に吸い込まれるように異世界へと誘われる。
「九死虫」★★★☆☆
――八たびの死を死に、いよいよ九度めの、最後の死を迎えるにあたって、わが九死虫類の同胞の中で、九たびの生死をいかに全うすべきかに悩む者たちのために、これを書き残すことにした。
個人的には、筒井康隆の天才とはこういう話を理屈っぽくなく、底抜けのエンターテインメントに仕上げてくれるところだと思っています。その点この作品はちょびっと理屈っぽいけれど、九回死ぬ架空の虫を生み出すことで「死」というものをしごく読みやすいくせに深く考えさせてくれる。
「秒読み」★★★★★
――「〇七・三四時から秒読みが始まるんだ」ついに来た。妻と一緒に死を待つしかない。いや。全人類と一緒にだ。――過去に戻れるなど常識では考えられないことだ。だがおれはそれを試みようとしている。
くそう。まるでリチャード・マシスンじゃないか。筒井作品だというのを忘れていたよ。翻訳ものを読んでいるつもりでいた。こういうのをあっさり書けちゃうところがすごい。
「北極王」★★★★☆
――これは夏休みの宿題の作文です。北極の王さまから招待の手紙が来ました。八月十六日(金)の朝、ぼくは鞄を持って北極へ出発しました。
小学生の作文だからといって、ひらがなを多用しているわけでもなく、文体だけで小学生の作文を表現してます。でも「おとうさん」と「おかあさん」はひらがなで。そこだけ浮き上がってくるんですよねえ。
「あのふたり様子が変」★★★☆☆
――佐登子から本を取り上げようとした拍子に、洋一は背後から抱きつく姿勢になった。佐登子が足を蹴り上げてくるので仕方なく洋一は馬乗りになった。人声がしたので慌てて別の場所に移る。
えんえんと邪魔が入る。どんどん先へ進んでゆくのに。「あのふたり様子が変」というタイトルながら、その「あのふたり」の視点で物語は進みます。他人が「あのふたり」って言っているわけではありません。隠れてことをしようとするときにどうしても他人の視線が気になってしまうのをうまく表現したタイトルだと思ふ。
「東京幻視」★★☆☆☆
――「今年は東京へつれて行ったる」と父が言った時のことを松太郎はよく覚えている。誰かれかまわず松太郎は自慢し続けた。
わたしたちも知らない東京。幻の東京。TOKIOでも東京都でもない、東京。
「家」★★★★☆
――一階に住んでいる者は階上にあがることを禁じられていた。階上にいる者が階下におりてくることは禁じられていない。隆夫の家は一階にあった。
奇妙な“家”のことも伝馬船のこともはっきりとは正体の明かされないまま、ただただ嵐に呑み込まれる。家の中で漂流。もはや家じゃない。そもそも家とは何なのか。
ここまでくると老人とはもはや神と同義のようにも感じられます。実在するのかもわからない観念の存在。ヒエラルキーの二階以上が存在するという証拠もない。すべては二階の支配階級が作った神話かもしれません。
「ヨッパ谷への降下」★★★★★
――朱女は奇妙な娘で、碗の中をのぞきこみ「ご飯の中に社会が見えます」「お味噌汁の中に国家があります」だのと口走る。家にはこの村の他の家と同じくヨッパグモの巣もちゃんとある。
ラストシーンがどこか「エロチック街道」に通ずるような。「家」のラストも“流れされて”いますね。筒井作品にとって“水に流される”っていう現象はなんなのでしょう。乳白色のヨッパグモの大群からは、綿が静電気でちくちくするのを連想しました。ばあちゃん家の古い布団。布団からの連想で、夢、を連想しました。ちくちくに包まれながら静かに寝入る。でも同じ見えちゃう話なら、ヨッパ谷→酔っぱらい→酩酊→幻覚、という流れなんでしょうか。神隠し・桃源郷・千里眼・etc。
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好みの問題で、ファンタジー傑作集のなかでもとりわけファンタジー色の強い作品が記憶に残りました。新潮文庫で出ているほかの「傑作集」とくらべてわりとまとまりがあったような。巻末のリストから短篇集が消えてしまっているので、「傑作集」といいつつ、実態は過去の短篇集の再編集版なのでしょう。この調子で「〜傑作集」と銘打って、リストから消えた短篇集の収録作をすべてカバーしてほしい。
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