『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド/駒月雅子訳(ポケミス1783)★★★★☆

 重たくてしんどい話なのかと思っていたけど、読んでみたらけっこうリーダビリティが高かった。最後が癒しとか啓発系の話になってしまったのが残念。原題『Anything You Say Can and Will Be Used Against You』。

『キャサリン(Katherine)★★★★★

「完全」(Absolutes)
 ――事実のみを述べよう。わたしは一人の男を殺した。新聞ではわたしは正しいとされた。「不運な出来事」だったと。

 容疑者を射殺した警官による回想と自問。とだけ聞くと内省的でしんどそうな話に思えるのだけれど、リアルな描写とカットバック手法が半端じゃなく上手なので、たとえでもなんでもなく風景が目の前に浮かんでくる。手法としては映画というよりは漫画に近いだろうか。浦沢直樹とか。

 数ページの短い話だけれど、人を撃つという“一瞬”の行為のことを考えるにはけっこう長い時間。クールでタフなキャサリンの心の一部が、ガラスのように透き通って読者の目まで届く。読者の心と重なる。
 

「味、感触、視覚、音、匂い」(Taste, Touch, Sight, Sound, Smell)★★★★★
 ――新人警官を訓練する際、いろいろなことを教える。まず、死臭に慣れることだ。手も思っている以上に大切だ。

 「完全」という短篇では、キャサリンの体験は“人を撃つこと”だけに焦点が絞られていました。本篇では、タイトル通り味覚・触覚・視覚・聴覚・嗅覚の五感すべてに焦点が当てられています。銃殺という一点に的を絞った「完全」であれだけキャサリンの内面が痛いほど伝わってきたのだから、五感すべての本篇はさぞやと思いきや、面白いのは、本篇はキャサリンのことよりむしろ警察の仕事というものがよくわかるところです。語られる警官全体の逸話を読みながら、いつの間にかジョニーのこと・弟のこと・キャサリン自身のことも読者はよく知っているし、その逆も然り。
 

「キャサリンへの挽歌」(Katherine's Elegy)★★★★★
 ――キャサリンは会う前から伝説だった。強い女性。優秀な警官。警官の誇り。わたしたちが警察学校で訓練していたとき、監督に当たった一人がキャサリンだった。

 どこまでも警察官だったキャサリンの、人間的な一面がもっとも表に現れた短篇です。研修生と現役警官のやりとりがとてもリアルで、ほんとうにこんな感じなんだろうな、って思わせるところもよい。
 

『リズ』(Lis)

「告白」(Lemme Tell You Something)★★★★★
 ――隣人のジョージは大の話し好きで、会うごとに「聞いてくれ」と言って何か話している。

 警官だけが生きているわけではない。ジョージのような経験をする可能性は、日本人にはあまりないだろうけれど、それでもこれまでは“警官のこと”に過ぎなかった出来事が、本篇を読んでぐっと身近に迫ってくる。“警官なら誰にも――”から「警官」という言葉を取り去って、生きている人間なら“誰にも”可能性のある出来事。
 

「場所」(Finding a Place)★★★★☆
 ――警察を去って二年になる。手術で脚を切断した人の気持がよくわかる。なぜ辞めたのかと自問するとき、ダッシュボードに貼りついていた血染めの手袋が目に浮かぶ。

 これはリズなりの「完全」であり「味、感触、視覚、音、匂い」でもあります。人の死と隣り合わせの仕事をしている以上、誰もがぶち当たる経験なのでしょう。キャサリンも経験した。ジョージも経験した。リズも経験した。同時にリズは経験させられた。事件が起こってから出向くのが警察だからといって、警官が事件の外側にいるわけではない、警官が事件に巻き込まれることもある、という当たり前のことをわたしは忘れがちだ。
 

『モナ』Mona

「制圧」(Under Control)★★★★☆
 ――真っ先に確認するのはこれだ。誰も手に何も持っていない。死体、一挺の銃。「もう傷つけるな」と男が言った。誰も傷つけないわ、わたしが助けてあげる。――今度殴られたらわたしが助けてあげる、ママ。

 キャサリンとリズの忘れられない体験は、警官になってからのことだったけれど、いつでもどこにでも誰の身にも降りかかってくる可能性はある。というわけで、モナが引きずっているのは少女時代の体験。でもよくあるトラウマものではありません。『キャサリン』『リズ』を読んできた読者にはそのことがよくわかる。警官であろうと一般市民であろうと子どもであろうと、一生を通して忘れられないことは起こるし、死や暴力と向き合う可能性はある。こうして、“アメリカの女性警官”という日本人には馴染みの薄かった対象が、どんどん身近な存在になってきます。
 

「銃の掃除」(Clearning Your Gun)★★★★☆
 ――あなたは銃を掃除している。警官だった父から教わった。父が死んだとき、これで銃への愛着も覚めるでしょうと言われた。だが実際は、銃を掃除している。

 「制圧」で決着をつけたかに思えた父への思い。でもそんなに単純なものじゃない、とでもいうべき一篇。
 

『キャシー』(Cathy)

「傷痕」(Something About a Scar)★★★★☆
 ――マージョリーに初めて会ったとき、胸にナイフが突き刺さっていた。詳しい事情というのはこうだ。目が覚めると見知らぬ男がいた。ひざまずいた途端、自分にナイフが刺さっていることに気づいた。やってきた刑事は優秀だが頑固な男だった。

 MWA最優秀短篇賞受賞作だけあって(?)、本書中で一番ミステリ味が強い。事件は果たしてマージョリーの自作自演なのか?という謎に期待すると、肩すかしを食いますが。

 犯人の回想シーンや自白した手記があるわけではない、という現実の事件においては、何が真相か見極めるのは証拠と経験と勘しかない。「味、感触、視覚、音、匂い」のように、人間ドラマ以上に警察官の仕事というものに理解の深まる一篇。
 

『サラ』(Sarah)

「生きている死者」(Keeping the Dead Alive)★★★☆☆
 ――彼女は虐待されて死んでいた。夜中、わたしたちは現場に集まった。黙祷を捧げるだけのつもりだった。

 これまでの作品ではまだ、人名がタイトルになっていることからもわかるとおり、その人それぞれの生き方、で収まる出来事でした。ところがこの作品にいたって、事態は大きく歪み出します。サラのほかにも何人かの女性警官が登場し、そして個人ではどうにもならない事態へと。これまでの作品は、キャサリン・リズ・モナ・キャシーが世界・事態を受け止めてきたけれど、本篇ではサラが世界・事態に投げ出される。翻弄される。しかもそこにキャシーの名前も出て来るものだから、これまで読んできた作品の世界観すら変わってしまう。当たり前だが、「傷痕」の事件と「生きている死者」の事件は同じ世界の出来事であり、同じキャシーの人生の出来事なのだ。

 実際に生きていれば当たり前のことなんだけれど、小説を読んでいるとそういうことって忘れがち。登場人物は特別な存在だと思ってしまう。↑上の方にも書いたけれど、主人公がアメリカの女性警官だから、それだけで日本(住)人には特別な存在になってしまうし。いるわけないもん(笑)、周りにアメリカの警官なんて。なのに、特別な存在に感じさせないのが、たくさん前述してきたようなことだったり、小説を読んでいると忘れがちな当たり前のことを忘れさせない本篇だったりするんだろうな、と思いましたです。

 サラの事件であると同時に、ドリスというおばさんの事件であることも、これまでと印象が大きく変わる原因の一つかもしれません。そしてまたヴィンスでありジャネットでありキャシーでありグウェンの事件でもあるから、グロテスクなのだ。るつぼ。キマイラ。
 

「わたしがいた場所」(Where I Came From)★★☆☆☆
 ――何日間もドライブしたあとニューメキシコ州に入った。新しい仕事、新しい隣人たち。二か月目の夕方、保安官助手がやってきた。

 前話で大きく歪み始めた作品が、とうとうすっかり歪んでしまってこの短篇集は幕を閉じます。南部に行って魂の救済を得るという、冗談みたいな作品です。別に本篇自体が冗談みたいなわけではなくて、たとえば南部文学のカポーティなんてとても好きな作家ですし、本篇の雰囲気もすごくいいのですが、短篇集全体を通してみると違和感があるのです。なんていえばいいんだろう。横山秀夫の作品を読んでいたら、最後が吉本ばななみたいになっててずっこけた、みたいな。

 この短篇集をここまで読んできて、主人公たちの気持に共感し共有してきたつもりだったけれど、どうやらつもりだけだったみたいで、ここにきて拒絶してしまいました。わたしはここまで赦しが必要とされる体験をしたことがない。軽い人生を生きてきたといえるかもしれない。心の底から主人公たちと気持を共有できる人なら、おそらく本篇はまさに救いとなるのでしょう。これまでの生き方がもろに読後感に反映される短篇なのだと思いました。

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 裏表紙あらすじではいかにも警察ミステリみたいな紹介のされ方をしているけれど、警察による捜査小説を期待してはいけません。シリアスタッチの『アリーmyLove』警察版、かな(なんじゃそりゃ……)。
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