「ベータ2のバラッド」サミュエル・R・ディレイニー/小野田和子訳(The Ballad of Beta-2,Samuel R. Delany,1965)★★★★★
――「でも先生。ぼくは卒論に役立つものに時間を割きたいんです」「でも、じゃない。きみはベータ2のバラッドについてレポートを提出したまえ」ジョナニーは仕方なくベータ2へ調査に向かった。かつて彼方の星々に植民するという夢を持って出かけた〈星の民〉船の残骸へ。昔そこで何が起こったのか――。
編者によれば「若書き」とのことだけれど、はじめて読むディレイニーなので(『20世紀SF』は読んでいるはずなのだが覚えていない)そこらへんはあんまり気にならない。言ってみれば伝説を追体験する物語。宇宙船難破の謎を追うサスペンスでもある。
数的強者である弱者によるファシズム政治、それも劣化コピーがオリジナルを弾圧するという、あまりにもあからさまな設定に、現実に対する限りない悪意を感じる。この作品は、悪意だけでなく愛情も生きる欲望も何もかもが力強い。感動するのは、そして物語の構成以上に物語そのものに若書き感(若さ)を感じるのは、あまりにも力強い愛情が真っ正面から輝きを放っているからだろう。愛情と生命力がまぶしいよ。母親なら誰だって、丈夫な子どもがほしいのだ。バカどもとはまったく違う優秀な子どもを産んだ母親は、さぞかし誇らしかったことだろう。目的を見失って現状維持こそ一大目的になってしまったオロカモノなど放っておけばよい。これは、そんなパワーあふれるイヴの物語だ。
引きちぎられたように破壊され全滅した宇宙船、ジョナニーを見向きもしない退化した〈星の民〉の子孫、なぜか退化してない姿の少年。謎も魅力的。本邦初訳。
「四色問題」バリントン・J・ベイリー/小野田和子訳(The Four-Color Problem,Barrington J. Bayley,1971)★★☆☆☆
――1990年、未発見の地表面を調査すべく飛行隊が飛び立った。ところが地図作製用コンピュータと乗員の記録が合致しない。ここで数学者の出番となる。どんな地図でも四色あれば塗り分けられることは知られている。地球上に未分析の領域があるのなら、そこに五色関係が存在する可能性も否定できない!
社会コンピュータとベクトルによって管理された社会と、四色問題をきっかけにそこからの脱出を夢見るレジスタンスとそこからの発展を試みる科学者たち。五色目が存在するとすれば、それは未知の領域だ――という大胆な奇想が、政治も経済も日常も数学的に“厳密に”定義された笑える社会を舞台に繰り広げられる。「ストレスがたまる」のではない、「欲望ベクトルが阻止される」のである(^^;。赤狩りや冷戦も、研究もセックスも、こうなるとみんな同じレベルの与太話に引き下げられる。
いかにも当時の前衛っぽく、さまざまな断片で構成されていて読みづらい。本邦初訳。
「降誕祭前夜」キース・ロバーツ/板倉厳一郎訳(Weihnachtsabend,Keith Roberts,1976)★★★★★
――マナリングはドイツ憲兵に挨拶をして邸に入った。中では降誕祭のパーティが行われている。光の女王、ツリー、神の子。大臣がやって来た。「きみの忠誠は忘れないよ」「ありがとうございます」部屋に戻ってからダイアンと抱き合った。「結婚してくれるかい?」「ええ」翌朝、ダイアンは消えていた。
ドイツを舞台に繰り広げられる、二つの勢力による騙し騙されの政治的駆引き。人はここまで思い通りに踊らされるものなのか。そういえばマイクル・ギルバートの「壜の中のコルク」も、架空の独裁国家を舞台にした見事な騙りだった。勝利を収めるにせよ呑まれるにせよ、一個人が国家や巨大組織に立ち向かう構図そのものがどこか懐かしい。歴史改変SFだからこそ持ち得る、古びないリアリティ。個人の感情を抑えつけるのではなく、利用してしまうのこそ、本当の全体主義かもしれないな。本邦初訳。
「プリティ・マギー・マネーアイズ」ハーラン・エリスン/伊藤典夫訳(Pretty Maggie Moneyeys,Harlan Ellison,1967)★★★★★
――コストナーの目の前で、最後の三十ドルが――最後のチップが――消えた。これで無一文だ。ポケットの一ドルだけ。かまうものか。スロットマシンに硬貨を押し込み、レバーを引いた。
彼女はトゥーソンで生まれた。マーガレット・アニー・ジェシー。黒い髪、白い肌、青い目、超クールな脚、超クールな顔、マギー。寝るだけでいいならやってやろうじゃないの。食べ物がないよりはマシだ。
おもしろいことに、編者はこの作品をSFとは位置づけていない(というのは言い過ぎだけど)。六十年代にエリスンが書いていたクライム・フィクション群のなかでも代表作と呼べる一篇とのこと。
いかにもクライム小説らしい活きのいい言葉が跳ねる。カジノには、死んでもなお、ギラギラした生が渦巻いている。そしてあらゆる欲望も。自由、愛情、嘘、嫉妬、疑念。手に入るのはお金だけかもしれないし、お金だけとはかぎらないかもしれない。
「ハートフォード手稿」リチャード・カウパー/若島正訳(The Hertford Manuscript,Richard Cowper,1976)★★★★☆
――死んだヴィクトリア叔母から遺産として本が送られてきた。叔母の知り合いだったウェルズ作品のモデルになった男のものだった。手の込んだ悪戯でなければ。タイム・マシンが出てくる小説「時の探検家たち」のモデルになったペンズリー博士の手記だった。
発見された手記。いかにも手堅い。ウェルズへのオマージュなんだから当然ともいえるけど。過去に行っているときにタイム・マシンが故障したら、という『バック・トゥ・ザ・フューチャー』命題。しかも訪れたのが、ペストの猛威が荒れ狂うロンドンだったら。ひとりペストと戦う『戦国自衛隊』だ。未来の技術にも知識にも限界がある。
「時の探検家たち」H・G・ウェルズ/浅倉久志訳(The Chronic Argonauts,H. G. Wells,1888)★★★★☆
――その村のはずれに“牧師館”と呼ばれる田舎家がある。かつてメソジスト派の牧師が住んでいたが、やがてミス・ノーウッドの手にわたり、ウィリアムズという老人のものになった。だが老人が息子に惨殺されて以来、誰もこの家に住みつかない。そこに青白い顔をした黒ずくめの小男がやって来たのだ。
疑心が暗鬼を生じさせる怪奇タッチの怪しい下宿人ものに始まり、あれよあれよという間に意外な真相が明かされる(急展開すぎてかえって驚かない気もする)。タイム・マシンこそ出てくるものの、ヴェルヌでいえば『カルパチアの城』のような、ムードこそ命の物語。信念や願望は、ときにグロテスクなかたちを取らざるを得ない。
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ニュー・ウェイブのアンソロジーと聞いてあんまり期待していなかった。サイバーパンクとかニュー・ウェイブとかインナースペースとか、かつてブームになったものというのは、ブームだけあっておそらく駄作も量産されているため、はずれをつかまされる可能性の方が高いのだろう。ニュー・ウェイブ=つまんないもの、というイメージがあった。読んでみたらそんなこともなく、なんのことはない普通のSFだった。てゆーかこれがニューなのか。これ以前はどんな古くさいものが書かれていたのかと怖くなる。
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