『ちんちん電車』獅子文六(河出文庫)★★★★☆

 味わい深いノスタルジックな枯淡の随筆かと思っていたら、かなり爆笑でした。いや、もちろん、昭和の匂いの懐かしい名エッセイには違いないのですが。

 著者は言います。「私は、東京の乗物の中で、都電が一番好きである」。なぜなら揺れないし、空いているし、汚れていないし、車掌さんのキャラがいいし。

 そんな都電好きの著者が連載小説『バナナ』に都電好きの男を登場させたことについて、「新聞小説というやつも、書く方の身になると、相当、退屈なものであって、それくらいの道楽は、やってみたくなる」と身も蓋もない。読む方の身にもなってよ、と思う。著者にそんなこと言われたら読者としては悲しいぞ。

 品川の遊郭にある料理屋で決まって朝飯を食う老人がいました。なぜこんなところで朝飯を食っているのかといぶかる著者でしたが、事情がわかったあとでつけるコメントがふるっています。「それにしても、遊びに出かけるのに、ハカマをはいた心理は、どう考えても、解きがたい」。そこかよっ! どう考えても、つっこむところ間違ってますよ。

 要するに、のんびりとした都電が大好きな著者は、筆運びもマイペースなのです。車掌さんが無口なだけで変人扱いしてしまうし、寿司や泉岳寺の料金には一家言持っている(けれどさほどの根拠があるわけじゃなし)、銀座の柳についてトリビアを披露したかと思えば、日本橋の大架橋に苦言を呈したり。

 そうした自由闊達なおしゃべりを聞きながら、東京の町並みをゆっくり訪れている気分になれます。

 都電に揺られながら町並みを眺めているような気にさせられるだけじゃありません。だんだんとその町に暮らしているような気分になってくる。つづられるのが単なる紀行文のようなものではなく、食べ物だったり寺社だったり娯楽施設だったり町の来歴だったりと、著者が若いころから馴染んできた町の隅々まで紹介してくれるからです。

 ウズラの吸いものとかウナギ屋とか、馴染みの女中さんとか建物とか、そういういどうってことないようなもののエピソードが寄せ集められると、ひとつの町のイメージが浮かんできてしまうものなのだと驚きもした一冊でした。
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