『黒い玉 十四の不気味な物語』トーマス・オーウェン/加藤尚宏訳(創元推理文庫)★★★★☆

 『Le Livre Noir des Merveilles: Les Meilleures histoires 'etranges et fantastiques』Thomas Owen,1980年。

 ベルギーの幻想小説家による短篇集です。「雨の中の娘」を読んだときは「おっ、これは!」と思ったのですが、後半「黒い玉」以降はちょっと似た雰囲気の作品が多くなるのが残念。

「雨の中の娘」(La Fille de la pluie)★★★★★
 ――悪天候をおして出かけてみようと思い立った。びしょびしょになって引き返そうとしたとき、目の前に、髪をざんばらにした娘が現れた。その両手は血に濡れていた。「人を殺してきたんだな!」「全部お見通しね!」

 過去を追体験するとか“得体の知れないもの”に仮託して自らの行為をなぞるとかいうのがオーウェンのパターンなのだけれど、本篇が素晴らしいのは、雨の中に佇む血に濡れた手の少女という視覚的なインパクトがあまりにも強烈だからです。ちょっと(かなり)幻想的な犯罪小説といった趣の多い本書のこの手の作品の中で、本篇は幻想の方がまさっています。

 他人の記憶に支配されたのか(幽霊譚)、自分の記憶を再訪したのか(犯罪心理譚)、どちらとも知れない奇妙な物語。浮かばれない幽霊が自分たちに気づいてほしくて誰かの前に姿を現わすという、実話怪談などではお馴染みの話の最後にひとひねりくわえることで、幽霊譚と記憶をなくした犯罪者譚が表裏一体となっています。

 男の呼び名はドッペルゲンガー(!)。これを単なる苗字だと捉えれば、上述したような幾通りもの解釈の迷路に遊べますし、固有名詞ではなくて分身のドッペルゲンガーのことだと捉えれば、本体の殺人を被害者の幽霊によって再現させられる分身の話になります。ドッペルゲンガーを見たら命がない――つまりドッペルゲンガーとは本来、それを見る本体の側から描かれるべき恐怖なのですが(本体に見られたドッペルゲンガーがどうなるのかなどという伝承は寡聞にして知りません)、オーウェンはそういう常識を打ち破ってドッペルゲンガーの側から描いてしまいました。
 

「公園」(Le Parc)★★★★☆
 ――ある日、公園で女性が襲われたことがあった。それを聞いたサビーヌは怯えるどころか怪しく心動かされていた。護身用ナイフをしのばせてわざわざ公園を通り抜けた。小柄な老人がこちらを窺っているのに気づいていた。

 これは比較的まともな(?)普通の小説。幻想小説ではないという意味で。スリルと好奇心、生きる実感と衝動。表に現れた結果だけ見るとずいぶんとエキセントリックだけど、これは少年(少女)ものの本流という気もする。宝島に繰り出す代わりにナイフを持ったというような。アンファン・テリブルの特徴の一つは“魅力”だと思う。ただ恐ろしいだけで、何の魅力も感じられない登場人物をアンファン・テリブルとは呼びたくない。その点、この子の意地悪さはとても魅力的。
 

「亡霊への憐れみ」(Piti'e pour les ombres)★★★★☆
 ――われわれが腹ごしらえのため休憩していた礼拝堂には、地下室があった。いくつもの棺が置かれていた。蓋をすべり落とした干涸らびた死体を見つけた。ほかの三人は非難をこめてわたしを見つめていた。三人にうながされて地上に戻る途中で、大事な指輪を落っことしてしまった!

 オーソドックスな幽霊訪問譚。指輪と結婚ということで言えば、メリメの「ヴィーナスの殺人」を連想させる。メリメにしても「牡丹灯籠」にしても、命を取られるのがこの手の話のパターンなのですが、本篇はそれが描かれていないだけに、その後どうなるのだろうと想像をめぐらしてしまう怖さがある。だって絶対このままじゃ済まないですよね?

 「公園」にしても本篇にしても、主人公の行動におそらく理由なんてないんです。ふとした好奇心。“魔が差す”瞬間が実にさりげなくも的確に描かれています。
 

「父と娘」(Pe're et fille)★★★★☆
 ――「牝犬め!」フェドール・シエルヴィッチは唸った。娘が……自分の娘が! ひどく破廉恥なことだ。今から出かけて髪を引っつかんでベッドから引きずり出してやる……。列車の中で黒っぽい犬がまとわりついてきた。牝犬め……シエルヴィッチは窓から犬を押し出した。

 “牝犬”の比喩に“牝犬”を使うという点ではすごくわかりやすい作品です。一つの行為にダブらせるこの手の二重性はオーウェンの十八番。自分のあずかり知らぬところで起こった自分の意思や行為を目の当たりにさせられる――自分の心、しかも悪意を引きずり出して明るみに出されるのはかなりの衝撃です。しかもオーウェンの場合、起こったことはすでに取り返しがつかない。『クリスマス・キャロル』のようにはいかないのです。

 結末の残酷さと比して父親の愛情の深さが胸を打つ。
 

「売り別荘」(Villa a' vendre)★★★★☆
 ――その白亜の建物には、〈売り別荘〉と貼り紙がしてあった。家の主人は風変わりな男だった。わたしはクロゼットの扉を開けた。男が背後でドアを閉めて鍵をかけた。わたしは虜になっていた。どうすることもできずにクロゼットを調べると、両肩を吊るされた人間の骸骨が揺れ動いていた。

 自らの作風を逆手に取ったような悪趣味なユーモア譚。家の持ち主が風変わりな変人だということは言及されているのだが、それがまるまんま伏線だとは。語り手の最後の捨てぜりふに、「皮肉屋ですな。冗談がお好きだ」と言われたとおりの皮肉なユーモア漂う負け惜しみを感じる。早い話どっちも子どもっぽいんです。げらげら笑うようなユーモアではないのですが、この二人のやりとりには何となく微笑ましくなっちゃいます。
 

「鉄格子の門」(La Grille)★★★★★
 ――真夜中になると彼女は急にそわそわし、もう帰る時間だと言った。一週間後に会う約束をしたのに、なんの連絡もない。彼はしびれを切らして家を訪問した。だが老主人は悲しげに答えた。「姪は数年前からこの世の人間ではありません」

 吸血鬼譚。これも老主人の父親(おじだけど)としての愛情・愛憎が記憶に残る。吸血鬼を退治する場面が、灰になるとかいうおとなしい描写じゃなくて圧倒的にグロテスクなのがよい。なのにまったく生々しくないのです。文章ならでは、ですね。映像化してしまえばどう頑張ったって気持ち悪くならざるを得ない。血を吸うシーンではなくて吸血鬼退治のシーンでこれだけ美しい血を見せた吸血奇譚は空前絶後でしょう。

 なんて美しくて切ない結末だろう。それともこれは怖いのかな? 読み手によって解釈がわかれそう。
 

「バビロン博士の来訪」(Passage du Dr Babylon)★★★★★
 ――それは鐘の響くような音なのだ。というか、むしろ鉄床を叩くような。この家には幽霊が出るのだ。ほかに説明はつかない。ある夜、目が覚めると誰かが歩き回っている足音が聞こえた。やがて扉が開いて足音は外に出た。わたしは扉を開けて通行人にたずねた。「今ここから出ていった人間を見ませんでしたか?」怖くて泊まってもらうことにした通行人はバビロン博士と名乗った。

 幽霊による幽霊への復讐(決闘)譚。魔の物は“迎え入れ”られなければ入ってこれない。だから当然、住人から招かれるように画策しなければならないわけで。幽霊の画策を人間の側から見ると、こんな不思議な小説になるのです。怖くない幽霊話の名品。招き入れられなければ家の中に入れないってのは、魔物のなかでも特に吸血鬼の属性らしいので、取りようによっては本篇も吸血鬼ものといえる。
 

「黒い玉」(La Boule noire)★★★☆☆
 ――明かりをつけた瞬間、黒い毛の生えた膜質の玉がクラブチェアの下に転がり込んだ。ネッテスハイムは身を屈めて覗いてみたが、それはあっというまに逃げ出して長櫃の下に逃げ込んだ。玉はさっきより大きくなっているようだ。

 「雨の中の娘」や「鉄格子の門」では生々しくない血を描いたオーウェンですが、本篇では一転して「毛の生えた膜質の」玉という生理的に嫌悪感をもよおすような怪異を描いています。そもそも「膜質」というのがよくわからない。おそらく中身の詰まっていないという意味なのでしょう。ぷよぷよのゴムボールのような。黒い毛の生えたゴムボール。しかし視覚的イメージ以上に、膜質という耳慣れない言葉がなにやら不気味さをかもしだしてくれます。かわいく描けば『ネムキ』に連載されてる「星野ん家の事情」のポチやもろQみたいなもんなんだろうけど。

 結末には、水木しげる描くところの牛鬼という妖怪を思い出してしまいました。水木作品「牛鬼」を読んだときも、“それじゃあいつまで経っても終わらないじゃないか”というもやもやしたわだかまりを覚えたものです。背筋のぞっと凍るような恐怖でこそありませんが、この“終わらない不安”という健康に悪い恐怖はずきずきと心臓を蝕みます。

 ○○が××に対してとった行動が、実は(意識下で?)○○自身の身に及んでいた、とか、△△に影響を及ぼした――という形式こそがオーウェンの一つのパターンであって、本篇もその変奏といえます。「雨の中の娘」等が殺人を描いているとすれば自分殺しを描いた本篇は、とするなら“黒い玉”とはすなわち幽霊などに相当するわけで、「noir(e)」という単語に「黒」ではなく「陰鬱な」という意味を読みとるのもありか。倦怠と疲労と孤独。死を望む黒いドッペルゲンガー
 

「蝋人形《ダーギュデス》」(Dagydes)★★★☆☆
 ――美しい未亡人から明かされる秘密……「主人は変質者だったの。ありとあらゆるものを蒐集していたわ。狼の顎、呪文の彫られた石、針や釘を突き刺した泥人形、やせこけた人魚、美しいプロポーションホムンクルス……。七年前、わたし男の子を死産したの。ある日、主人から握りが小さな子供の手でできたペーパーナイフを手渡された……。だからわたし、主人を殺したの」

 人を呪わば穴二つ。という言葉どおりの作中作。始めっからおどろおどろしい雰囲気で始まるのではなく、パーティでちょっとおつむの弱そうなエキセントリックな美女との会話から始まるスタイルがいい味だしてる。結末に向かうにしたがいどんどんグロテスクになってゆく。

 さて、語り手がコレクションしているのはどんな蒐集物なのだろう。美女の主人のような珍品コレクターなのか、それとももっとおぞましく“その手の人形”だけを集めているのだろうか。おそらく不幸蒐集家(呪い蒐集家?)なのでしょう。まさしく「忌まわしいコレクション」。ものすごーくいや〜な話を読んでしまった。
 

「旅の男」(Le Voyageur)★★★☆☆
 ――農場のある城館に暮らすパトリシア車椅子から鉄道を見下ろした。汽笛の音が普段とは違うような気がした。いつもは停まることなどない列車から、立派な風采の男が降り立った。門扉を直しに来た専門家だった。滞在中に二人は散歩に出かけるようになった。パトリシアは、むかし同じ道を歩いた男の子のことを思い出していた。

 あまりにもよくある展開の物語。それだけにうまくまとまっているけれど、似たような話はたくさんあると思う。幼い頃の罪が、成長したのちに返礼をしに訪れる。「公園」なんかでもそうだったけど、著者は子どもを描くのが意外とうまい。
 

「謎の情報提供者」(L'Informateur ambigu)★★★☆☆
 ――そのレストランでパスカルは中年の男と出会い、すっかり意気投合してお互いのことを話すようになった。妻はアンドレ・アッシュの名で映画批評をやっているのだと打ち明けると、男は愉快そうに言った。「彼女なら知ってますよ。〈トラヴェリング〉でちょいちょいお目にかかっている」それからも男は、パスカルの知らない妻の行動を話して聞かせた。妻と男、どちらのいうことを信じればいいのだろう……。

 これも「雨の中の娘」みたいな、すでに起こってしまっていることを追体験する物語(あるいは、何者かによって(?)そう思わされる物語)。ただし、もし殺人だとすると動機自体が曖昧で幻想的な「雨の中の娘」と比べると、本篇は嫉妬と疑心暗鬼によって殺意がめばえるまでを描く倒叙ミステリのような仕上がり。むしろ中年の男の悪意が印象に残る。というか、これって「悪魔」なの? もしかすると比喩でもなんでもなく、悪魔の仕業だっていう話なのかもしれない。
 

「染み」(Les Taches)★★★☆☆
 ――奇妙なゲームだった。白い紙に墨汁をたらして半分に折ると、偶然が生み出した図絵の染みが現れた。わたしの染みには悪魔的な輪郭を帯びていた。翌朝目が覚めると、ベッツィーナの喉元に深く抉られたぎざぎざの真っ赤な切り傷が見えた。血のあとをたどってゆくと、昨夜見たのと同じような形の染みがあった。

 これも「染み」に悪魔が宿って恐ろしい行為をした、とも取れるし、「染み」に仮託して(無意識裡に犯した)自らの犯罪を語っているとも取れる。もとはロールシャッハのあの絵柄がなんだか悪魔っぽく見えるという単純なところからの発想でしょう。発想が単純なだけに長さもちょうどいいショート・ショート。
 

「変容」(Mutation)★★★★☆
 ――彼は洗面を終えたところだった。妻がこちらを見たが、その目つきを見ただけで溌剌とした気分は消し飛んだ。独りぼっちで死んで、妻が帰ってきたときその不意の死の謎を突きつけてやりたかった……この体中に走る苦痛はどうしたことだ。体が縮んでゆくこの感じは。

 「もう一度人生をやりなお」したいという願望をそのまんま形にしてしまった唖然とする作品。オーウェンの作品はどれも幻想的なのに、根幹にある発想は単純なこともしばしば。しかしエドゥワール、これからあんたには今まで以上のものすごい苦労が待ってるんじゃあ……。あざ笑ってる場合じゃないだろうに。なんて馬鹿な男。
 

「鼠のカヴァール」(Le Rat Kavar)★★☆☆☆
 ――彼は“鼠のカヴァール”と呼ばれていた。自ら作った人形の貯金箱は、百枚目の硬貨を入れたとき、音楽を奏でるはずだった。はずだったというのは、技術的な問題ではなく、彼はすかんぴんだったからだ。ろくでなしの息子が帰ってきてカヴァールのものを盗んでいった。人形の腹も引き裂かれ、バネや針金がはみ出していた。

 これはささやかな夢を見ていた哀れな老人の幻想譚でしょうか。それともカルトな妄執を抱いていた老人の現実でしょうか。どちらとも取れる作風だから困る。わたしは後者だと受け取りました。このひと初めから人形に内臓詰めてたんだよ、って。「自分にいんちきするような男」ではないから。
---------------------------

amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。

------------------------------

 HOME ロングマール翻訳書房


防犯カメラ