ロバート・シェクリイ特集ということで、ひゃっほうと喜び勇んで読み始めたのだけれど、なんか違う。「アイデア・ストーリーの面白さ」こそシェクリイの魅力なのに。『無限がいっぱい』などの50年代の作品ではなくあえて“シェクリイっぽく”ない70年代の作品を掲載。
特集以外も含めて、めずらしくフィクションに面白いものが少なかった。
【ロバート・シェクリイ追悼特集】
「スタンダードな悪夢にようこそ」ロバート・シェクリイ/浅倉久志訳(Welcome to the Standard Nightmare,Robert Sheckly,1973)★★☆☆☆
――ジョニーは第五の惑星に接近した。スタンダードな悪夢はそこからはじまった。エイリアン文明とのコンタクト。その後、むこうがわれわれを打ち負かすのか、それともわれわれがむこうを打ち負かすのか。
上にも書いたように、シェクリイにはアイデア・ストーリーを期待していたので、こういう真面目(?)風味の作品はちょっと残念。自ら交戦を選ばざるを得ない愚かな人類と、人類の愚かさすらも利用してしまう知的異星人の対比が見事。
「海外作家追悼文 永遠のシェクリイ」ロバート・シルヴァーバーグ、ハリイ・ハリスン、フレデリック・ポール、クリストファー・プリースト、ルーディ・ラッカー
「けっして終わらない西部劇映画」ロバート・シェクリイ/中村融訳(The Never-Ending Western Movie,Robert Sheckley,1976)★★★☆☆
――南アメリカでは、いまだにむかしながらの方式で映画が撮られている――なにもかもお膳立てされてされていて、なにもかもが偽物で、銃が撃つのは空砲だけ。そうしておけばだれも死なずにすむのに、どうしてアメリカの有名な〈映画〉はインチキなしでやらなきゃならないのか、女房には理解できないらしい。
作品の舞台こそ映画が実録で撮影されるという架空世界ですが、これはフツーにハードボイルドですね。それもほんと昔風の。古くさいと言われかねない“男の世界”をいま描くために、こういう世界を設定したのでしょう。
「インタビュウ 誠実なる相対主義者」ロバート・シェクリイ×チャールズ・プラット/浅倉久志訳
「もはや“金星の緑の地獄”が探検できなくなったとき、なにかが消えた」から始まる、五十年代以前のSFの魅力と限界、現在のSFの長所と短所、などを語っている箇所を読むとさびしくなります。
「知られざるシェクリイ 未訳長篇紹介」高橋良平
90年代に入ってからのミステリシリーズと、著者自身が「いかれた本だ。ぜんぜんすじが通らない」と語る『Opthions』のあらすじ紹介。著者はやはり本質的に短篇作家だったようで、邦訳のある『不死販売株式会社』がかろうじて脂ののりきった五十年代唯一の長篇のようです。だからたぶん、未訳の長篇のほとんどはきっと“シェクリイっぽく”ない。
「ロバート・シェクリイ邦訳作品リスト&特集解説」
こうして見ると五十年代六十年代のSFはほとんど訳されているようです。ちょっと意外でした。その年代の未訳作のうち、長篇は冒険小説とスパイ小説のみでSFは無し。未訳短篇のほとんどは雑誌のみ掲載作品で、短篇集はほぼ既訳。とても恵まれた作家だったのですね。
【ロバート・シェクリイ追悼特集】はここまで。
「My Favorite SF」(第11回)倉阪鬼一郎
アンナ・カヴァン『氷』。倉阪氏とSFというのがそもそも意外な取り合わせなので、紹介されているのが幻想小説家なのもうなずけます。
沖方丁『マルドゥック・スクランブル』刊行決定
「雪風帰還せず(前編) 戦闘妖精・雪風 第三部」神林長平
――ジャム、宣戦布告、FAF、クーデター。それはジャーナリストであるわたし、リン・ジャクスンの職業意識を刺激してしかるべきキーワードだ、たとえ大佐のこの手紙の内容がまったくのガセだったとしても。
2006年04月号掲載「ジャムになった男」の続き。内省的で理屈っぽい。新しい概念や設定が出てくるたびに、それを説明するためにいちいち思索に耽るのでテンポが悪い。未来世界版『レ・ミゼラブル』なり『白鯨』だと思ってむしろそういう脇道部分を楽しめばいいのか。
「人間廃業宣言 特別篇(前篇)海のドキュメンタリーに至った顛末」友成純一
タイトルどおり、著者がドキュメンタリーを撮るに至った顛末。
「MAGAZINE REVIEW」〈アナログ〉誌《2006.4〜2006.7/8》東茅子
「SFまで100000光年 39 心地よく眼鏡めいた場所」水玉螢之丞
眼鏡の話ではなく、眼鏡(っ娘)好きの集まりに参加して思う、同類の集いについての話でした。
「首」おがわさとし《SF Magazine Gallary 第11回》
その名の通り首、首、首。砂に埋もれた首の石像。そのあいだを、イルカとゴキブリの合いの子みたいな動物に乗って進むキャラバン。彼らが目指すのは、そして首が見つめるのは――。これは――太陽? 文字どおり陽の女神。降臨。まさに降臨という言葉がぴったりくる、邪悪さと神々しさ。ピラミッドやナスカの地上絵は、きっとこのために作られたのだ、と信じたくなる。
「MEDIA SHOW CASE」渡辺麻紀・鷲巣義明・添野知生・福井健太・丸屋九兵衛・田中光
◆ナイト・シャマラン監督の新作『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、どんでん返しなし。できはいまいちのようです。でもきっと観てしまうのでしょう。
◆DVDは何と言ってもフリッツ・ラング『メトロポリス』[amazon]! ようやくだよ。定価¥6,300は高いけど。
「SF BOOK SCOPE」石堂藍・千街晶之・長山靖生・他
◆言わずもがなの〈未来の文学〉浅倉久志編『グラックの卵』、新創刊〈ダーク・ファンタジー・コレクション〉ディック『人間狩り』、マシスン『不思議の森のアリス』。『人間狩り』はちくま文庫版から紙数の関係で二篇を削ったというわけのわからないエディション。多少改訳したとはいえ、シリーズをコンプリートする気でもないかぎり、古本屋でちくま文庫版を買った方がいいと思う。
◆石堂藍氏が紹介しているジェフリー・フォード『シャルビューク夫人の肖像』は、『白い果実』の著者の幻想小説だからという理由だけで買ったのだけれど、読んでみると石堂氏も言うように「ミステリ系の幻想小説」でした。これが意外なほどミステリ味が強い(特に後半)。おおざっぱなイメージだけでいうと、『最後の審判の巨匠』とかそんな感じの幻想ミステリというかトンデモミステリというか。夫人が『千夜一夜物語』風に語る身の上話がとても幻想的でひきこまれます。
◆笹川氏が紹介しているストラウブ『ヘルファイア・クラブ』はまだ読んでません。先月は本を買いすぎて読むスピードが追いつかない……。
◆千街氏紹介のファウアー『数学的にありえない』は紹介されなければ絶対に興味を持たなかったであろう邦題。理系の人は逆にこの邦題にひかれるのかな。「確率論的にありえないほどの偶然を玉突き衝突式に連鎖させて窮地を切り抜けるアイディアの数々」、「「風が吹けば桶屋が儲かる」を地で行くその発想。
◆森山氏紹介の『世界の終焉へのいくつものシナリオ』は、いってみれば『日本列島は沈没するか?』のオールラウンド版? SFでお馴染みの核戦争・超火山噴火・ナノテク・ブラックホールとの遭遇など、世界を滅ぼしうる全28シナリオの検証とその危険度。
「魔京」朝松健(第三回)★★☆☆☆
――[廬鳥]野皇女《うののひめみこ》に仕えることになった角鹿漢人《つぬがのあやひと》は、それまでもっていた密偵の顔を捨てた。鎌足より教わった“越方呼気の型”を習得し、久具都《くぐつ》として皇女をお導きするのだ。
五行をもとにした策謀合戦が繰り広げられますが、起承転結の承というか、長篇の一部なので仕方ないとはいえ、一・二回にくらべると驚きが薄い。
「罪火大戦ジャン・ゴーレ」(第22回)田中啓文
「おまかせ!レスキュー」101 横山えいじ
「デッド・フューチャーRemix」(第56回)永瀬唯【第11章 きみの血を 第4滴】
血液版ハードSF、ジェイムズ・ガン『不老不死の血』。なんだかここにきてやけにSF小説誌っぽい連載でうれしい。
「私家版20世紀文化選録」95 伊藤卓
エッセイ『日本世間話大系』伊丹十三、漫画『ストップ!にいちゃん』関谷ひさし、小説『ピーナツバター作戦』ロバート・ヤング。
「日本SF全集[第三期]第十七巻 大原まり子 その2後期作品」24 日下三蔵
「サはサイエンスのサ」141 鹿野司
「生物を合成しよう」その2。つい先日、くらげの遺伝子を利用して癌細胞を光らせることに成功したとかいうニュースがやっていたばかり。それも合成生物なのかどうかは知らんが。“理屈のうえでは”だとばかり思っていたのに、こういうことはどんどん現実になってくるのだな。合成生物版ロボコン「iGEM」なんてのも開催されているらしい。イメージ的にはどうしても自作モンスター合戦みたいのを想像してしまふ。
「センス・オブ・リアリティ」金子隆一・香山リカ
◆「鳥の正しい作り方」金子隆一……日進月歩の学問には疎いゆえ、恐竜は鳥類だということばにはぴんとこなかったのだが、要は爬虫類か鳥類かということではなく、爬虫類と鳥類は別個の系統ではなく同系統なのだから、有羊膜類という新しい分類を作ってその下のランクに鳥類や爬虫類を分類しなおそうということらしい。なるほど新分類学上では恐竜はトカゲよりも鳥に近いわけね。→ウィキペディアを参考。
◆「選択肢は“心の中”か“魂の世界”」香山リカ……単なる占いブームの延長だとばかり思っていたのだけれど、どうやら大マジにスピリチュアル・ブームらしい。精神科医が見たセカイ系。
「近代日本奇想小説史」(第53回 奇想「お伽噺」いろいろ)横田順彌
『聖書』を日本の児童向けにしたという怪作『バイブルお伽噺』が登場。表紙の絵はヘチマでなく鳩と葡萄だという気もするが、とにかく内容が聖書とは関係ないのがすごい。聖書の教訓だけ取り出してそこにオリジナルストーリーの寓話を創作するという無茶な作品でした。続いては立志ものが続くのだけれど、これは奇想というよりあほらしい。樋口二葉『理科新お伽』の「放屁会社」にかろうじて筒井康隆もしくは横田順彌作品のばかばかしさを感じられた。
「公共調達にかかわる不正等の防止と取引適正化に関する法律」草上仁 ★★★★☆
――目的は濱田興業の不正行為を暴くこと。MUDの特別チームがコンペのプレゼン時のドーピングを暴こうとしている。いつどんなタイプの薬物を摂取しているのか。簡単には尻尾をつかませてくれない。
これまで掲載されてきた三篇を読んできて、どうやらこれは“究極の選択”シリーズらしいと気づく。アインシュタインの精子が当たった、生むか生まぬか。人工知能搭載ブイに紛れこんだ遭難船、どの通信が乗組員のものか。そして今回。だれが薬物を摂取しているのか、あるいはしていないのか。
『怨讐星域』第三話「スナーク狩り」梶尾真治 ★★★★★
――巨大なモノは夜にしか現れない。闇の中で突然に現れる。異音とともに。粘液であふれた膜がこすれあうような音だ。誰かが必ず犠牲になっている。頭上で音が聞こえた瞬間、細長いものが人体に巻きつき上空にさらっていく。それに、「スナーク」と名前をつけた。
2006年08月号からの続き。「スナーク」という名前を正体不明の怪物や不可能なことの代名詞として気軽に使っている作品は多々あるけれど、これはけっこううまい方なんじゃないかと思う。真っ暗な闇の中から触手が伸びてくるという怪物の描写からは、スナークというよりはエイリアンあたりを連想するけれど。実際、もしこんな感じのモンスターパニック映画があったとしてそのタイトルが安直に『スナーク狩り』だったとしたら、馬鹿にすんなってことになってたと思う。この作品にそれを感じないのはなぜなんだろうと考えてみたけれど、わからない。実際にスナークを“狩る”作品って少ないからかな。
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