『夜の旅その他の旅 異色作家短篇集12』チャールズ・ボーモント/小笠原豊樹訳(早川書房)★★★★★

 ハヤカワ文庫『幻想と怪奇』に収録された二作(第一短篇集より)はそれほどいいとは思えなかったのでまったく期待していなかったのだけれど、めちゃくちゃよかった。著者は『ミステリー・ゾーン』の脚本も担当していたそうで、本書には実際いかにも『ミステリー・ゾーン』的な作品が目白押しです。論創社より刊行予定の第二短篇集が楽しみ。

 第三短篇集『Night Ride and Other Journeys』Charles Beaumont,1960年。

「黄色い金管楽器の調べ」(The Music of the Yellow Brass,1959)★★★★☆
 ――あまりに突然のことなので信じられない。やせっぽちのフアニートはあした、闘牛士としてデビューできるのだ。興行師は熱弁をふるった。一座の女の子が熱い視線を送ってきた。次の日。トランペットの音が、高々と鳴り渡った――。

 若さゆえの愚かさ。生きることよりも大事なことがあると錯覚するときもあるのだ。だけどそういうのをかっこいいと感じてしまう自分もいるわけですが。一生かかっても決して叶わない夢が目の前に転がっているとしたら。背中を向けて悔いながら一生を生きてゆくか、目の前にある人生の目的を手にするか。大衆の異常心理を扱った作品というよりは、駄目人間にめぐってきた最初で最後のチャンスの物語として記憶に残ります。
 

「古典的な事件」(A Classic Affair,1955)★★★★☆
 ――「ハンクのことでご相談したいの」とルースは言った。それは古典的な事件だった。ハンクがいつもの時間に帰ってこなかった。それ以来どうも隠しごとをしているらしい……。わたしは次の日、ハンクに会いに行った。

 そう、これも古典的な事件です。ことわざにもなっているくらいに。ミ○○取りが……。親友との三角関係が苦い。しかもフられた女に旦那のことを相談されるなんてね。惚れるってのがどういうことなのかが痛いほど伝わってきて、なんか苦くて切ない物語。〈異色作家短篇〉系のオチになっているところがむしろそれにいっそう拍車をかける。
 

「越してきた夫婦」(The New People,1958)★★★★★
 ――この家は気にくわないと言ってしまえばよかったのだ。あの血痕だけは我慢できない……。だがパーティに招待した隣人たちがやってきた。台所では酔っぱらったシナリオ・ライターが声をひそめた。「今晩ほかの町に引っ越しなさい。あの月が見えないのか?」

 「ぼく見たんだ」と懇願する養子のデイビー。「あの月が見えないのか?」と食ってかかる酔客。いちいちツボにはまる怪しくも不気味なせりふがたまらない(^^;。56ページ上段で「?」と思う記述があって、読み進めていくとなーるほどと納得するんですが、それがさらに活かされていると知るにいたっては舌を巻きました。イヤな話なんですが、このプロットとスピード感はそれを補って余りある甘露でした。
 

「鹿狩り」(Buck Fever,1960)★★★★☆
 ――運がないまま時間が過ぎた。三人の男は鉄砲を撃つに値する獲物を一頭も発見できなかった。社長とその共同経営者から、名指しで狩りに行こうと誘われることが、どんなに重大なことかネイサンにはわかっていた。だが獲物がないので社長は不愉快になってきていた。

 原題の「Buck Fever」とは、狩猟初心者が興奮や緊張から銃を乱射したり引き金を引けなくなったりする現象。

 “仲間入り”の儀式なんて馬鹿げたものが多いんですが、これもほんとうに馬鹿げています。最初の一撃はたしかに「Buck Fever」だったでしょう。でも二撃目はもはや、撃つ勇気があるかないか・決断力や判断力があるかないかではなく、“社長のご機嫌をとるため・上流の仲間入りをするため”に撃てるかどうかという問題になってしまっています。そんなことのために撃てるわけがない。社長の満足心や自分の出世のためではなく、苦しんでいる鹿のためにだけ撃ったあんたはとんでもなくかっこいいよ。
 

「魔術師」(The Magic Man,1960)★★★★☆
 ――マイカ・ジャクスン老人は今年も村にやってきた。いや、魔術師シルク博士が、だ。町中のドアや窓から人々が顔をのぞかせた。街路は子供たちで一杯になった。ベルが鳴り、シルク博士は舞台に上がった。

 英語の苦手なわたしには、なぜ原題が「The Magician」ではなく「The Magic Man」なのかはわかりません。「奇術師/魔術師」ではなく「魔法のような男/魅力的な男」ということでしょうか。村人たちは「ただの男」などには期待していなかったのに。「魅力的な魔術師」だからこそ熱狂していたのに。

 本書には『ミステリー・ゾーン』的な作品が多いし、著者自身脚本も書いていただけあって、絵的なシーンがやはり圧倒的にうまい。観衆が一人また一人といなくなっていくシーンを映像で見せられたら、やりきれないだろうなぁ。特に最後の男の子の表情とか、バーテンの表情とか。

 最後の一言が胸を打つ。かつて子どもだったころ、自分の周りにもいたかもしれない、魔術師の物語。成長する=物事を知るにしたがい、魔術は色褪せてゆく。
 

「お父さん、なつかしいお父さん」(Father, Dear Father(初出タイトルOn Father of mine),1957)★★★★★
 ――ポレット氏にとって、時間とはハイウェイのようなものであった。障害はあるがいつか征服できる。科学者にとって氏は歓迎されざる人物だった。誰彼かまわず「ぼくが過去に戻って父親を殺したとすると、いったいどうなると思いますか?」とたずねるからだ。

 タイム・パラドックスをモチーフにしたSFショート・ショート。古典的な命題をこれまた古典的な主題で落とすオチが見事。難点を言えば、奥さんの説明的なセリフではなくてもうちょっと一言でわかるようなきっかけだったならさらによかったのにと思う。自分や父親の生死よりも科学と真理の方がが大事というポレット氏のキャラクターが、ネタで人殺しが描かれる口当たりの悪さを中和してくれています。
 

「夢と偶然と」(Perchance to Dream,1958★★★★☆)
 ――ホールは精神科医に話し始めた。「ぼくは眠れないんです。眠ったら二度と目を覚まさないでしょう。一週間前のことです。女の子とデートする夢を見ました。ジェットコースターがてっぺんまでのぼると、彼女が手すりを外そうとするんです……」

 原題は『ハムレット』第三幕の独白「生きるべきか死すべきか〜(眠れば)おそらく夢を見る。(そこに問題がある)」より。

夢の続きを見たくない、だから眠らない、という抵抗自体が実は……という皮肉がおかしい。子ども時代の不思議な想像力から始まって徐々に盛り上がってゆく告白の構成もうまい。読者も徐々に話しに引き込まれて、最後は語り手と一緒に叫びをあげたくなる。
 

「淑女のための唄」(Song for a Lady,1960)★★★☆☆
 ――「あの船でハネムーンとはおすすめできませんな。あとひと月もすればスクラップになる船ですよ」――だからこそ、ぼくらは初めての海外旅行にレディ・アン号を選んだのだと思う。

 こういう、ノスタルジーに耽った滅びの美学みたいな話は、ヘタに書くと甘っちょろくなっちゃうものなのだけれど、感傷的にならずにビシッと締めています。英語(やその他のヨーロッパ言語)特有の代名詞だけが唯一の感傷。
 

「引き金」(The Trigger,1959)★★★★★
 ――幸せの絶頂だった大金持ちが自殺した。自殺する動機に思い当たることなどなかった。八カ月間に四人が自殺した。四人とも有名人であり、大金持ちであり、功成り名遂げた人物だった。警察は他殺を疑ったが、それらしい気配はない。

 もし“引き金”ものというジャンルがあるとするなら、真っ先に思い浮かぶのはデュ・モーリアの「動機」です。名品というにはちょっと大雑把な作品かもしれませんが、動機が明らかになったときのやるせなさは絶対に忘れられません。個人の引き金を描いた「動機」に対して、大衆の引き金を描いた「引き金」。比べるとどうしても“広く浅く”なってしまうのは否めませんが、そんなことよりも「目羅博士」か「赤い部屋」・「途上」かというような“犯人”にたまらない魅力を感じます。
 

「かりそめの客」(The Guests of Chance,1956(チャド・オリヴァーと共作))★★★★☆
 ――「トアーズ大統領。ミスタ・ピッツという方が面会にいらっしゃってます」という受付嬢に案内されてきたピッツ教授は大まじめに話し出した。「わたしは精神力によって宇宙空間を飛行する乗物を発明したのです!」

 芸術家による内閣という設定は、俳優大統領であるレーガンのパロディかと思ったのだけれど、時代が全然違いましたね。アイデアから設定まで徹底的に能天気SFなのが楽しい一篇。子ども内閣みたい。
 

「性愛教授」(The Love-Master,1957)★★★★☆
 ――「先生、女房が不感症なのです」とカビスンはいきなり言った。「心配は要りません。それは簡単に処理できますな。『中国のフリップ』という治療法をお教えしましょう。それでだめならほかの方法を試してみましょう」

 タイトルだけ見るとまるで筒井康隆みたい。これもおバカSF。繰り出される性の奥義の数々の仰々しさがたまらなくおかしい。
 

「人里離れた死」(A Death in the Country(初出タイトルThe Deadly Will to Win),1957)★★★☆☆
 ――どうしてレース・ドライバーになったのかなんて思い出したくもない。あしたになれば、おれが死ぬのをみんな見物しに来るのだ。すまないけれど、きみらを失望させよう。これだからおれは有名になれないのだ。いや違う。有名になれないのは下手だからだろう。

 いつも死と向き合っている人だけが感じることのできる不安と諦念。のようにも思えるけれど、別にサラリーマン小説だと思って読んでもいいかもしんない。みーんなこんな感じで生きている。
 

「隣人たち」(The Neighbors,1960)★★★★★
 ――窓が割られていた。石に紙片が結びつけられている。マイルズは紙片の文字を読んだ。「黒いいなかもの。さっさとひっこすんだ」今は一九六〇年、五十年前とは違うと思っていたのに。

 人種差別の残る“伝統的な”地域に越してきた黒人一家。悪意と疑心が増幅させる恐怖。「越してきた夫婦」を読んだあとだと、どうしても笑顔の裏を想像してしまう(^^;。
 

「叫ぶ男」(The Howling Man,1959)★★★★★
 ――熱を出して倒れたわたしが気づいてみると、そこは修道院だった。叫び声が聞こえた。耳をつんざく音。助けを求める声のようだ。「あの音はなんです?」とわたしはたずねたが、修道士はにっこり微笑んで「音? 音など聞こえませんよ」と答えた。

 ホラーというよりこれもまたSFめいたところに着地する、いろいろ楽しめるよくばりな作品。修道院に幽閉される男という設定は伝奇的だし、叫ぶ狂人というのもすわ乱歩か夢野かといった妖しい恐怖。叫ぶ男の正体が明らかになると一転してエンタメSFに。最後のひねりも普通だとイヤミでやりすぎになっちゃうところを、うまく描いています。
 

「夜の旅」(Night Ride,1957)★★★★★
 ――やせた白人の青年だった。一年ばかりのあいだにピアニストは六人も変わったが、これくらい上手な奴はいなかった。青年はぼくらのジャズ・バンドに加わった。ぼくらは売れ始めた。酒浸りのパーネリがぼくに言った。「あいつに逃げろと言ってやってくれ」

 ジャズ小説には名作が多い傾向に漏れない名作短篇。しかもジャズ小説にはなぜか昏い情熱がよく似合う。人を不幸にするのであれば、それはもはや音楽とは呼べない、と思うのだけれど。聴く人であれ演奏する人であれ。賢者の石を探すよりも、アンドロギュニュスを作るよりも、他のどんな禁断の夢よりも、人外の音を求める気持というのは人間にとって強いものなのかもしれない。だから名作が多い。
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夜の旅その他の旅
チャールズ・ボーモント著/小笠原豊樹
早川書房 (2006.7)
ISBN : 4152087420 価格 : ¥2,100
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