『冷血』トルーマン・カポーティ/佐々田雅子訳(新潮文庫)★★★☆☆

 ノンフィクション・ノベルという言葉自体は知っていても、カポーティのこの作品以外でその言葉を目にすることはほとんどなかった。それだけ特殊な形態の作品なのかと思いきや、読んでみればそういうわけでもない。むしろ本書以後、雨後の竹の子のように類書がにょきにょきと現れたせいで、わざわざノンフィクション・ノベルと呼ぶ必要もなくなったからなのでしょう。

 本書はいわば、インタビューと再現VTRで構成された再現ドキュメンタリーのようなものでした。

 ペリーの心を小説的に掘り下げて、もっと深い感銘を与えることもできただろうに、著者はそうせずにドキュメンタリー手法を取りました。あたかも著者の思想が反映されていないかのような、まっさらなカメラアイの視点が取られます。もちろん何を書いて何を書かないか、どういう順番で書くか、どのような表現で書くか――これらはすべて著者の筆先一つなのですから、まっさらなカメラアイというのは錯覚にすぎませんが。

 けれど(カメラアイ的に)被害者も加害者も捜査側も関係者も隣人もすべて強弱なく同じ力の入れ具合で書かれることで、現実の不条理さ・グロテスクさが伝わってくることになります。被害者がかつて生きていたのも、遺された人が悲しむのも、怯えるのも、話の種にするのも、加害者が「冷血に」殺したのも、すべて現実に起こったことなんだと思うとやりきれなくなる。そこには怒りも悲鳴もありません。もちろん保安官は怒りに燃えます。友人たちは悲鳴をあげます。けれどそれを伝える著者の視線には、ただただ見つめる機械的な視線しかない。書かれたことから、読者それぞれが思い、判断し、考えて、受け止めるしかありません。

 感情を交えない語りといえば、一部のハードボイルドを思い浮かべます。再現ドキュメンタリーやワイドショーのように通俗的な“ノンフィクション”に欠けているのは、まさにその(不完全なものであるにせよ)透明さです。われわれの理屈で考え、われわれの正義に押し込めようとする。そこにあるのは事実(めいたもの)ではなく、不特定多数のあいだの了解事項。

 カポーティはペリー・スミスに興味を持って取材を始め、おそらくは共感も覚えていたにもかかわらず、過度な感情移入はされていません。本書が傑作であるのもそのことが大きいのだと思います。

 文学におけるキュビズム、というと言い過ぎ(というかほとんど事実を逸脱しています)が、多角的だとか複数視点だとかいう言葉では捉えきれない奥行と感銘の深さを感じました。

 カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル――様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。(裏表紙あらすじより)
-----------------

冷血
カポーティ〔著〕/佐々田雅子訳
新潮文庫 (2006.7)
ISBN : 4102095063
価格 : ¥940
amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。

------------------------------

 HOME ロングマール翻訳書房


防犯カメラ