『小説のストラテジー』佐藤亜紀(青土社)★★★★★

 佐藤亜紀による、小説の読み方講座。

 「全てを判らなければならない、というのは、裏返せば、理解力を欠いた事柄も判るべきだ、ということになります。当然、判る訳はない。ということは、実際には理解力を欠いた事柄さえ理解しているふりをしなければならない、ということになる。悪しき教養主義です。

 (中略)その結果出て来るのが、たとえばこういう言葉です――「運命はかく扉を叩く」。或いは「英雄の苦闘と勝利」。どうです? まるで何か判っているように見えるでしょう? もう少し手の込んだ「判り方」を披露したければ、五番をベートーベンの自伝に見立てて、ウィーン体制の閉塞感だのベートーベンの政治性だの苦悩だのを論じればよい。

 ところで、実際彼が聴いたのは何だったのでしょう? 例のジャジャジャジャーン、がウィーン体制の政治的閉塞にぶち当たったベートーベンの苦悩に聴こえるとすれば、それは空耳です。音楽は、言葉が言葉であるような意味では、言葉ではない。」

 「問題なのは、我々にとって言語の機能は純粋な聴覚や視覚よりもはるかに強いということです。言葉で表現されると、ついそこに引き摺られてしまう。(中略)全く無意味に音楽を享受することより、いかにも崇高そうな何かの絵解きとして音楽を理解することの方が深いと思ってしまいかねない。」

 「受け手に対しても読み手に対しても、従って、まず要求されるのは表面に留まる強さです。作品の表面を理解することなしに意味や内容で即席に理解したようなふりをすることを拒否する強さです。」

 「作品は、何よりまず表現者と享受者の遊戯的な闘争の場であり、副次的には享受者間の遊戯的な闘争の場でもあります。」

 このような信条に基づき、いくつかの作品について具体的に論じているわけなのですが、とりわけドストエフスキー『悪霊』について論じている部分は圧巻です。

 こんなふうに読めたらいいな、とは思う。夢のまた夢だけれど。
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