冒頭の「初恋なんてありませんでした。はなから第二の恋でした」という台詞こそ印象に残るものの、残念ながら「だれでも感じるであろう初恋の恥じらいやときめき」は感じられなかったなぁ。
ほかの訳ではどうなっているのだろう? 少なくともわたしは、「心が広くていらっしゃるはずよ」なんてしゃべり方をする女の子には惚れる余地がないし、「そうしたら、また前のようになってくださるんですね」なんて男の子(回想とはいえ)には共感のしようがない。
貴族ってことを差し引いても、もうちょっと現代の若者っぽい文体にできなかったのかな。もとから古い訳なら、そういうもんだと覚悟して読むから、かえって違和感なく読めたと思う。なまじ新訳だけに、そういう部分が目立ってしまう。
ジナイーダに魅力がないと、この物語自体が成り立たないよ。
まあわたしは、『ライ麦畑でつかまえて』も『スタンド・バイ・ミー』も『夏の庭』もことごとくつまらんと思った人間なので、もともとこの手の青春ものは苦手なのかもしれん。
ロシア文学ならではの、登場人物が唐突に議論を始めるシーンが楽しかった。変人がいっぱい登場するし。落ち目とはいっても、熱を上げる男たちをサロンみたいに自宅に集めて手玉に取っているわけで、有閑貴族のままごとめいた感じが出ていてよい。「初恋」というより「たいくつ」かな。主人公もどっちかっていうとその退屈の波に流されている感じがする。
もともとがふわ〜としてる主人公なので、初恋のきゅーんとする感じも、背徳の事実を知った衝撃も、いまいち伝わってこない。19世紀ロシアの小説に対して、めりはりがないなどと言うのはほとんど言いがかりだが。
しかし初恋のときめきを思い出すんなら、これよりほかにもっと名作がたくさんあるのは事実。
『Первая любовь』Иван Сергеевич Тургенев,1860年。
16歳の少年ウラジーミルは、年上の公爵令嬢ジナイーダに、一目で魅せられる。初めての恋にこまどいながらも、思いは燃え上がる。しかしある日、彼女が恋に落ちたことを知る。だが、いったい誰に? 初恋の甘く切ないときめきが、主人公の回想で綴られる。作者自身がもっとも愛した傑作。(裏表紙あらすじより)
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