『陰摩羅鬼の瑕』京極夏彦(講談社文庫)★★★★★

 「おお! そこに人殺しが居る!」探偵・榎木津礼一郎は、その場に歩み入るなりそう叫んだ――。嫁いだ花嫁の命を次々と奪っていく、白樺湖畔に聳える洋館「鳥の城」。その主「伯爵」こと、由良昂允とはいかなる人物か? 一方、京極堂も、呪われた由良家のことを、元刑事・伊庭から耳にする。シリーズ第八弾。(裏表紙あらすじより)

 期待していたわりにイマイチという評判を耳にしつつ文庫化を待って初読。

 そんなに悪くない。むしろかなり面白い。少なくともわたしは、ねっとり濃ゆい『絡新婦』・『塗仏』よりは好みでした。

 たしかにいろいろなことを期待している側からすると、ことごとく拍子抜けの感は否めません。

 わたしにとってこのシリーズの楽しみは、妖怪に関する蘊蓄がけっこう大きなウェイトを占めます。ところが本書では、陰摩羅鬼にいたってはほんのひとことと言っていい。ほとんどはウブメに費やされています。それもむしろ林羅山を語るための方便という気がしないでもない。ところがこの林羅山観が面白い。これだけで『Q.E.D』シリーズが一本書けそうな……。そう言うととんでも系みたいに聞こえてしまいますが、いえいえ説得力がありました。

 キャラ萌え読者には、榎木津が登場するのにほとんど出番のないことや、木場が単なる狂言回しであることが、物足りないでしょう。にぎやかな仲間に囲まれていないと、京極堂すら迫力がないような印象を受けるから不思議です。でもそれもレギュラー・キャラに限ってのこと。昨今ブームの執事ファンなら応援せずにはいられない執事中の執事や、木場同様に馬鹿で一本気な元刑事(枯れっぷりがいい!)。鳥の「城」に住む「青白い顔」で「齢を取らないのか」と思わせる「黒衣」の「伯爵」、しかも新婚初夜に花嫁が……だなんて、かの著名な「伯爵」みたい(^^;。

 ミステリ・マニアなら本を投げつけたくなるかもしれません。あっという間にわかる犯人。すぐに見当のつく動機。だけど『塗仏』みたいな作品の場合だと、犯人が誰とか真相はどうとかいうのはもはやどうでもよくて、ほとんど無意味。犯人が山田さんだろうと佐藤さんだろうと、真相が宇宙人だろうと帝国の陰謀だろうと。でも本書の犯人は、この人でなくてはいけない。ミステリとしては、やはりこうであってほしい。最後はすっきりしたいのだ。

 解説を木田元氏が担当しているので、てっきりハイデガーや西洋哲学について思想的展開が広げられるのかと思ったのも当てはずれ。儒学者である伯爵が、ハイデガーを思わせる思想に独自にたどりついていたりはしますが、どちらかといえば筆は儒学に割かれています。まあこれはわたしの勝手な勘違いゆえの当てはずれなのでどうでもいいですが。儒学と日本人の死生観に関する蘊蓄には、殺人事件のネタが割れてもなお引き込まれる謎解きの魅力がありました。林羅山の蘊蓄といい解決編といい、人が死ななくても、いえ事件が起きなくてもミステリ・謎解きというのは成立するのだな、と改めて感じ入りました。禅でもない。哲学でもない。儒学ミステリというのは珍しいと思います。

 京極堂が憑物落としなんだ、というのを再確認させてくれる作品でもありました。ミステリとしてならさすがに本書にこの長さは必要ない。起こることはわかりきっているのだから、長々と書き込む必要はありません。でも憑物落としだとすると、おそらく伯爵と伊庭の視点は必要なのでしょう。何が憑いているのか読者に伝わらなければ話にならないわけですから。『姑獲鳥』が関口視点だったのと同じこと、なのだと思います。必然的に本書は伯爵自身の物語であり、伊庭自身の物語でもある。それを共有した読者には、哀しい読後感が待っているのでした。

 なお本書は、巷間にあふれている「村=異世界の論理」ミステリに対する京極氏からの回答でもあります。そこを真面目にやろうとした分、あまりとんでもない仕掛けめいたことはできなかったのかな、という気もしました。

 相対的に見れば『魍魎』『鉄鼠』などには及ばないのですが、面白かったので絶対評価で★五つ。
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