「ビビビ」という擬音もそのままの漫画の一コマを使用したカバー裏デザイン。帯に宮崎駿氏と版権保持者のコメントがあるだけで、カバーや帯にあらすじはいっさいなし。いっそいさぎよい。下手にあらすじが書かれてあっても、戦記物かと思われちゃって買い控えられる可能性もあることを考えれば、かしこい判断です。
宮崎氏のオタク心あふれるオマケ漫画つき。
「ブラッカムの爆撃機」(Blackham's Wimpy,1982)★★★★★
――おれたちはつっ立ったまましゃべっていた。トラックから降りた男が右舷のタイヤをけとばしていた。それが親父だった。名前はタウンゼント。『アリス』の帽子屋よりも頭がおかしいともいわれていた。まあ、あの飛びかたをみれば、そうとしか思えないだろうな。おれと親父だけのジョークもあった。ドイツの戦闘機がやってくると、おれはドイツ語でこう叫ぶ。「このまぬけ野郎。イギリス機に偽装して飛んでるのがわからんのか!」
青春ものとしての戦記もの。異世界アドベンチャーやロボットアニメでは、良心の呵責なく敵を倒して守るべきものを守るため戦えるのに、いざ現実を舞台にしてそんなことを描けば、不謹慎だと批判されかねない。
でもそういう真実もある、あったのだということを、この本はありのまま真っ正直に教えてくれる。
嫌な奴もいれば理想の上司もいる。得意なこともあれば苦手なこともある。死んだような気持になることも、爆撃機に乗って笑いころげることもある。そしてみんな何かのために戦っていた。
時代が彼らに、全寮制の学校ではなく、軍隊に行かせた。教室の代わりに、飛行機に乗り込んだ。だけどどこにいても、どんな時代でも、若者の心は変わらない。『飛ぶ教室』の少年たちや『今を生きる』の若者たちと同じく、せいいっぱい生きる瑞々しさにあふれています。
そういった人間的魅力のほかにも、爆撃機による戦闘の細部が本書の魅力です。一部についてはメカフェチの宮崎氏がこれまた細かく解説してくれているので、これがかなり読むときの参考になりました。徹底的な細部を積み重ねた描写が、厚みのある戦闘機を浮かび上がらせます。わずらわしくはない。圧倒的な言葉の波が迫ってくる感じでむしろ心地よい。
実は作中でちょっとした怪異が起こりますが、怪談としてはたいしたことありません。確かにテーマとしては重いし実際怖いのですが、怪異自体はひねりもなく単純なものです。これで怪談としても一級品だったらとんでもない大傑作になっていたところでした。
「チャス・マッギルの幽霊」(The Haunting of Chas MacGill,1983)★★★★☆
――戦争がはじまった日、チャス・マッギルは大きな家に引っ越すことになった。五番目の窓からろうそくの光が見える。大変だ! 灯火管制だってのに。チャスは部屋に飛び込んだ。真っ暗だった。あたりまえだ。ろうそくなんて、もとからつけていなかったんだし、チャスの部屋は四番目だった。となりの部屋だ。だれかが歩いているみたいだ。
正義とは何か、勇気とは何か。それを知らない子どもの目から、改めて問われる大きな問題。なのにそんなことすら次の瞬間には、子どもにとって大きな問題ではなくなってしまっている。どうやって幽霊を助けるか? それが目下の重大事であり、一世一代の冒険。ここらへんの呼吸がすばらしい。めまぐるしく変わる子どもの好奇心を自在にあやつる著者の筆さばきに幻惑されます。だからこそ、「うれしくてうれしくて顔がゆるんできた。「時」をだしぬいてやった……」とチャス・マッギルが思うシーンがいっそう感動的。つづく「だがだしぬかれた「時」のほうも、こっそりとしかえしをした」という文章もおしゃれだ。
「ぼくを作ったもの」(The Making of Me,1989)★★★☆☆
――祖父とふたりきりになると……いつも、恐ろしい沈黙に包まれた。一度、祖父になぐられたことがある。祖父は頭をかかえ、二度とこんなことはしないと宣言した。
人間は時間や空間を操ることはできないけれど、ときどき欺くことならできる。本書に収録された三篇は、どれもそんなことを教えてくれる。祖父から孫へと受け継がれることで、時はつながり、ものを集めることで、過去はよみがえる。
『ブラッカムの爆撃機』
オンライン書店bk1で詳細を見る。
amazon.co.jp で詳細を見る。
------------------------------
HOME ロングマール翻訳書房