『わが悲しき娼婦たちの思い出』ガブリエル・ガルシア=マルケス/木村榮一訳(新潮社ガルシア=マルケス全小説)★★★★★

 『Memoria de mis putas tristes』Gabriel Garcia Marquez,2004年。

 川端康成眠れる美女』に想を得た、とは言うものの、当たり前だが全然違う。同じなのは老人が処女と添い寝するところぐらい。何しろガルシア=マルケスの方は現実世界の社会性ばりばり。というか九十歳の老人が記者として現役で働いているのである。おいおい。現実に足が着いているのか孤独な老人だけの異世界なのかという以前の問題である。もちろんあっちの方も現役。さらには少女に恋したという記事が世間の反響を呼んでしまうのである。嫉妬のあまり暴れるし。すごいな……。世界と真っ向から対峙してるよ。

 まあ日本だと、90歳の老人は一人孤独を慰める方がリアルなのかもしれないなあ。社会のせいなのか本人のせいなのかはわからないが。

 老人だけじゃなくて、処女という存在自体が違うよね。川端の処女というのは、現実の未経験女というより観念としての処女性なんだけど、本書の処女は、薬で眠らされて動かないとはいえ生身の人間。生身の人間同士を扱えば、年齢は関係なくこういう小説になるよなあ。

 そもそも九十歳にして初恋だよ。しかも片思いだよ。すごすぎて言葉が出ない。

 冒頭でこそ「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」のは、おそらく自分の「死・老い」⇔「生・若さ」の象徴としての処女という発想が頭にあったのに違いないのだが。

 読み終えてから振り返れば、冒頭でこんなにネガティブだったのがむしろ意外なほど。

 九十歳で一区切りついて、九十一歳から再スタート。きっと百歳になったらまた一区切りで、百一歳から再スタートなのだろう。とんでもなくパワフルな小説だ。

 90で惑い、91で惑わず。

 90歳を迎える記念すべき一夜を、処女と淫らに過ごしたい――。かつては夜の巷の猛者として鳴らした男と、14歳の少女との成り行きは? 川端の「眠れる美女」に想を得た、悲しくも心温まる波乱の愛の物語。(折り込みチラシあらすじより)

 忘れてた。装丁がよい。カバーもよいのだが、カバーを取った表紙がまたいい。チョコレート色一色。背表紙のみに黒か焦げ茶の箔押しタイトル。また色だけじゃなく、質感とか手触りまでもがチョコレートっぽいんです。なんでチョコなんだろう? チョコを。ガルシア=マルケスが。好きなのか!? 一度そう思っちゃうと、チョコが好きそうな顔に見えてしまう(^^;。
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