訳は読みやすいし、連想の糸をたぐるようにテーマをしぼって編んでいるので、初心者にも入りやすい。解説もわかりやすすぎなほどわかりやすい。
「黒猫」(The Black Cat,1843)★★★★☆
――わが家には鳥がいて、金魚がいて、犬がいて、そして猫がいた。プルートーという雄猫は私とすっかり仲良しになった。だが、私の人格が――飲酒という魔力によって――激変した。ついには妻に暴力をふるった。ある晩、酔った私は、猫の喉頸を押さえつけ、目玉を一つ、ざっくりとえぐり取ってやった!
これがなぜ名作かっていうと、本書収録の「告げ口心臓」や「ウィリアム・ウィルソン」の場合だと訳者の言うように「良心」の話だとしても不都合ないのだけれど、本作「黒猫」の場合には「良心」には収まりきらないはみでた部分があるから。そもそも「黒猫」というモチーフを使われた時点で不気味なものを感じざるを得ないし、その名がプルートーとくればなおさら。二匹目には名前がないというのも不気味だし。むしろ「ウィリアム・ウィルソン」などは恐怖小説としては失敗で、「黒猫」だけが恐怖小説として成功しているということなのかもしれない。
「本能vs.理性――黒い猫について」(Instinct vs. Reason――A Black Cat,1840)★★★☆☆
――獣類が持つ本能と、人間が誇りとする理性と、その境界はどこにあるかと言えば、きわめて曖昧なものでしかないだろう。
「黒猫」のサブテキスト。猫に理性はありやなしや。
「アモンティリャードの樽」(The Cask of Amontillardo,1846)★★★★★
――フォルトゥナートという男にはさんざん苦しい目に遭わされて、もはや復讐あるのみと思いました。万に一つも手抜かりがあってはならなかった。処罰してやるのはよいが、逆襲が跳ね返ってくるのはいけない。
ほとんど何の説明もなくいきなり復讐して終わるだけという不思議な小説。むしろファルスの味がする? なんだかわからないけど風変わりな迫力のある作品。短篇に余分な描写など不要、起こったことだけ書けばよいとでもいいたげな傑作である。
「告げ口心臓」(The Tell-Tale Heart,1843)★★★★☆
――目的などはなかった。老人の金がほしかったわけでもない。あの眼だったろう。そう、眼のせいだ。あの眼を向けられるたびに、さあっと血が冷えていった。だから決意を固めた。老人の命を絶つ。あの眼との縁を切る。
結末は「黒猫」と同工異曲と言えば同工異曲なのであるが、ショックを狙った「黒猫」に対して、本篇は徐々に高まるサスペンスだと言えるだろうか。読者の心臓もいっしょになってばくばくするのだ。
「邪鬼」(The Imp of the Perverse,1845)★★★☆☆
――似たような例を検証してみるがよい。もう「ひねくれた精神」の産物という以外ないだろう。その行為をしてはいけないと思うから、するのである。
これはポーの作品のなかではけっこう地味だ。黒猫の祟り、とか、ドッペルゲンガー、とかと比べるとインパクトがないからなー。「告げ口心臓」では心臓の鼓動という実に効果的な小道具を使っていたのに、それを抜きにして書いたらこうなった、というような作品。前半で理屈を長々と説明し、後半であっさり事実だけを書く。サスペンスもなし。
「ウィリアム・ウィルソン」(William Wilson,1839)★★☆☆☆
――ここで私はウィリアム・ウィルソンと名乗る。級友に、親戚ではないが私と同姓同名の生徒がいた。それだけならおかしくはない。この同じ名前の一人だけ、私に公然と対抗してきた。
ドッペルゲンガー譚として知られる名作。語り手が初めっから屈折した人物なので、悲劇というより自業自得に思える。破滅というより滅びの美学。ダメ人間のダメダメっぷりの前では、同姓同名の自分という趣向すら余計なものに思えてくる。
「早すぎた埋葬」(The Premature Burial,1844)★★★☆☆
――もし生きながら埋められるとしたら、人間の運命としてこの上もない恐怖であるに違いない。だが、めずらしいことではないのだ。生と死を分かつ境界線は、ぼんやりした影のようなものでしかない。
ポーはショッキングな恐怖も書けるし、本篇のような神経症的なじくじくする恐怖も書くことができる。本篇の場合、そういうタイプの恐怖であること自体が、物語に仕掛けられた伏線にもなっています。
「モルグ街の殺人」(The Murders In the Rue Morgue,1841)★★★★☆
――デュパンと私が夕刊を見ていると、ある記事が目についた。「奇々怪々の殺人事件。本日未明、住人の眠りを覚ます悲鳴が相次いだ。モルグ街にある居宅の四階から聞こえたものと思われる……」
まともに読むのはこれが初めて。びっくりした。本書収録の他の作品とも、これまで読んだどのポー作品とも違う。ほんとにポー?ていうくらいに。デュパンってこんなに饒舌だったのか。ほとんどホームズだった。というか『緋色の研究』のホームズってまんまデュパンのコピーじゃん。事件発生→関係者の証言→探偵の推理っていう構図から何から、原点にして今の探偵小説とまったく同じ完成形。逆にいえば探偵小説というジャンルにいかに進歩がないことか。
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