『中井英夫全集12 月蝕領映画館』中井英夫(創元ライブラリ)★★★★★

 優れた評論に必要なものは、すべてを見通す眼はもちろんのこと、何より誉める技術と貶す技術なのだということを痛感しました。短歌の名伯楽としてはよく知られている中井氏ですが、映画評の才もあったのですね。適確な啖呵が小気味よい。

 のっけから、コクトー『詩人の血』について「死んだ少年から盗んだハートのAを天使に奪われ、二度のピストル自殺をとげる詩人を見ながら私は、この映画が三島由紀夫を強くそそのかしたと確信した」などと、ドキッとするようなことを言ってのけます。

 テレビを見ては「『地獄の黙示録』はどうでもいいが、『影武者』は気がついてみると馬の映画で、終りに行くほど馬が美しい」と言い放ち、イングリッド・バーグマン秋のソナタ』に思いをはせては、「バーグマンが老いた母を演じるらしいが、三十五年前の『カサブランカ』の昔から、この女優にはどこかしら母性のおちつきがあった。続く『ガス燈』でもそうだったが、この人の映画だけはぜんぶ見ようと心に決めたのは、いま思えば女としてではなく、そこはかと漂う母性に惹かれてのことに違いない」と、これまたはっとするようなことを書き記します。

 こうした(たぶん何の根拠もない)断定こそが、「偏愛的」なるサブタイトルの所以なのでしょう。けれど、“見える”人には根拠など必要ないのだな、ということがよくわかります。見た瞬間に“わかってしまう”のでしょう。

 貶す方も歯切れがよくて痛快でした。この人に貶されてもぜんぜん嫌な気持にはなりません。『愛と哀しみのボレロ』について「どだい設定に無理があるのにめでたく(というより強引に)母子の再会へ持ってゆき、歓喜ボレロとなるそれが実は全編ユニセフの宣伝映画でしたというオチはあまりにも露骨で、私には周りで熱狂して手を叩いたり涙を拭ったりしている女性客が薄気味悪く、映画館ごとタイム・マシンとなって戦時中に戻ったかと思ったほどである」と容赦がないのに、決して不愉快ではありません。的確にして簡潔な表現とキビキビとしたユーモアに、むしろ快哉を叫びたくなりました。

 誉めるのも貶すのも簡にして要を得たものばかり。なかにはさすがに「偏愛」としか呼びようのない評もあるけれど、押しつけがましくはないので疎ましくはない。

 読む前は勝手なイメージから、ヨーロッパ映画や日本映画が多いのだろうと思い込んでいたのですが、ちゃんとアメリカ映画も取り上げられていて、そういうところもバランスがよい。

 古い作品ばかりかと思いきや、テレビでもお馴染みの井筒監督の出世作に触れられていたりもして、ほんのわずかでも中井英夫と同じ時代に生きていたんだなということを改めて知らされたようで感慨深い。

 これまで瀬戸川猛資『夢想の研究』や和田誠他『今日も映画日和』などがわたしの映画評のバイブルだったのですが、本書もそれに加わることになりました。
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