『赤江瀑名作選』赤江瀑/東雅夫編(学研M文庫〈幻妖の匣〉)★★★★★

『上空の城』★★★☆☆
 ――その年眉彦がたてた計画というのは、高層天守閣を持つ城郭を選んでまわろうという、ごくありきたりな思いつきだった。二番目の城、松本城の城郭へ足を踏みこむと、なにげなく天守閣の狭間から外をのぞいた。女は、そこに立って、この五重六重の大天守を、ひっそり、見上げていたのである。まるで、彼女は動かなかった。生きていて、生きていない人形を、そこに見る思いがした。

 時代というのはかくも残酷なものか。それが『上空の城』を読んだときの偽らざる気持でした。’70年代風の若者の会話が空虚にすべりつづけます。これは、当時としてはお洒落でリアルだったのか、当時の読者が読んでもやはり寒々しく感じる会話だったのかが、わたしには判断つきません。

 幻想小説としてはこの長さは必要ないかな、と思います。短篇でいい。大半を占めるのは青春小説としての側面なんだけれど、その肝心の青春部分がサブいからなぁ。。。城をめぐる伝奇小説めいた伝来の方はなかなか謎めいていて魅入られてしまう。

 だけど、本書で赤江作品をはじめて読む人のことを考えるなら、巻頭には短篇の代表作を持ってくるなど、収録順をもうちょっと考えてもよかったのではないかと思いました。この会話で投げ出しちゃう人も出てくるんじゃないでしょうか。

 そういう点では、同じ編者の『虚空のランチ』は求心力がありました。虚心なく一ページ目をめくったら「一花は血刀をさげて歩いていた。」ですから。いきなりどどーんと別世界に連れて行かれました。

 本書は〈幻妖の匣〉というかなり特殊な(?)シリーズなので、講談社ノベルスが入門編だとするならば、さしずめマニア編という位置づけなのかもしれません。

 だから、入門者が読むのなら、ぜひ短篇から読み始めることをおすすめします。
 

「花曝れ首」★★★★★
 ――嵯峨野めぐりの観光客が往き来する真昼間の道であった。『おきなはれ。もう忘れてしまいなはれ』と、耳もとで低い艶やかな声がした。――春之助さんね? 『かなんなあ。まだわたしの声、おぼえてくれはらへんのかいなあ。秋童どす』

 「花曝れ首」をひもとけば、踊るように流麗に流れる息の長い冒頭の文章に、たちまち引き込まれることでしょう。グロテスクになってもおかしくない物語を、過去の幽霊の打ち明け話という設定で、それをまた方言で語ることによって、奇怪・耽美というよりも幽玄な作品として完成しています。
 

「阿修羅花伝」★★★☆☆
 ――「家元、吉崎が顔出してますのやけど……」「阿呆。一年かかって打ち上げた面が、気に入らんというとるのやで。そんな即席面頼んでるのやないぞ」しかし、春睦は眼をとめ顔をあげた。「いいですね。よく出来ています。けどこれ、あなたの作じゃありませんね」

 自らの顔を傷つけるという点で「花曝れ首」と共通する。江戸時代の幽霊の打ち明け話という設定、それをまた方言で語るという点が、「花曝れ首」を奇怪・耽美というよりも幽玄な作品にしていた。その点この「阿修羅花伝」はグロテスクといっていいほど凄惨だった。同じ顔を傷つけるのでも「花曝れ首」は行為そのものに意味があるわけではなくあくまで象徴というか一つの事例。一方「阿修羅花伝」では顔でなくてはならないし、またその顔を傷つけなくてはならない必然性がある点が、いっそう凄みを与えている。みんなコンプレックスを抱えています。最後に春睦がコンプレックスをさらけ出すシーンは圧巻。むしろ雨月が孫次郎にかける妄執や綾の狂気以上に衝撃的だった。最後の女は何者だったのでしょう? はてさて。何の根拠もないただの直感では、雨月の孫次郎ではなく、本面の方に残された妄執の幽霊だと思ったんだけども、もっと単純に綾の生霊かもしれない。
 

「春喪祭」★★★★☆
 ――「深美は、奈良の旅館の仲居さんしてたんやて。自殺したていわはるの。手首をね……琵琶の撥で掻き切ったのやて。あのひとが琵琶に執着持ってたなんて、とても考えられへんわ」深美が万葉の恋歌を遺書として残していたと聞いて、涼太郎の心は一時に騒いだ。

 これから盛り上がるのかと思ったらそのまま立ち消えるように物語が終わってしまった。老婆が登場したときには、すわこれからクライマックスかと身を乗り出したのだけれど、読み終えてみればむしろ老婆が登場した時点ですでに物語はこの世ならざる世界に移っていたのかもしれない。もしや老婆もこの世ならざる存在だったのではと不確かな気持になる。そういう彼岸此岸の(反転するような)切り替え方が絶妙というほかない。
 

「春の寵児」★★★★★
 ――歩いていると、やがて、出口も、入口も、見つからなくなってくる。そうなってくると、君は、きっと、感謝するにちがいない。この路地は、それからが楽しみな路地なのだから。ほら、やってきた。ちょうどそうだろ。君くらいの年恰好だろ、あの少年。

 これは文体も他とは違う異色作。青少年の欲望(性欲)を一服の絵のような物語として描いた、実験的ともいえる作品です。しょーじきエロい(^^;。ヘタなポルノよりよっぽどです。だけど美しいのですね。絵のような、と書いたけれどまさにそう。だけど絵では描けないだろうな。絵にするとグロくなったり薄っぺらになったり。
 

「平家の桜」★★★★☆
 ――宇野篤彦がアパートを出たのは、慶應大学医学部合格の知らせを手にした翌日だった。帰省の途中を気ままに歩く、目的のない旅だった。宿で連れになった美濃村が喋っていた。「それにしてもね、あの桜は見事だったなあ」と、女主人が声のない咽声を洩らした。

 因果関係も説得力も微塵も考慮されることなく、ただただ圧倒的な美とそれに絡め取られる人間を描いた作品。まあ強いて言えば、お定まりのコースを歩むことに対する倦怠と疲弊につけこまれたということになるのだろうけど。サクラサク……。理屈ではなく、きっとこの桜は美しいだろうと思う。
 

「月曜日の朝やってくる」★★★★★
 ――ついこの間、そう、十日ばかり前のことだ。夜明けがた眼をさますと眠れないたちなので、小銭を持って牛乳屋のくるのを待ち受けた。大通りへと抜けようとするときだった。地ひびきのような、重々しい音だった。電車だ。レールがとり払われて、もう七、八年にもなるというのに。

 野の宮や能の世界といった明らかな別世界が描かれたこれまでの作品とは違い、日常に非日常が現れる。しかも幽霊にも科学万能にも眉をひそめるという冒頭の言葉どおり、何とも言いようのない結末になっているところがミソ。怪異を理屈で説明せずに、怪異のまま放っぽり出して成功している作品というのは、意外なほど少ないと思う。UFOでも幽霊でも死神でも科学的法則でも説明がつかないように書かれてあるんです。
 

「悪魔好き」★★☆☆☆
 ――魔が差すという言葉がある。悪魔が、心に入り込むことだ。あの温室わきの水道口で、美人の女性と話している、あの少年を見ていただきたい。彼がつくったアジサイを、「まあ」とか「あらァ」とか観賞してくれたときが、彼のいちばんご機嫌のいいときなのだ。

 嫌みったらしい少年だと思っていたら、それにもちゃんと意味がありました。○○の一人称というサービスはけっこううまく決まっていると思う。最後が契約で終わるところがうまい。ただ単に実は○○でしたぁじゃあ興ざめだものね。しかしそういうエンターテインメント性あふれる構成のくせして、中身はけっこうどろどろしてる(^^;。これでもかって言うくらいに、人間の嫌な部分を描き出してます。「阿修羅花伝」で春睦のコンプレックスが描かれた場面もそうだったけど、本篇でも少年や○○といった目が行きがちなところとは別の場面にこそ凄みがありました。京子夫婦の胸の内が嫌らしくって圧巻。
 

「八雲が殺した」★★★★☆
 ――小泉八雲が書いた怪談物語のなかに、『茶わんのなか』と題する作品がある。村迫乙子は、学生時代にこの作品を読んだ。原話にあって、八雲が抹殺した二十四、五の文字。八雲がこの一文を無視したことが、なんとしても理解できなかった。

 小泉八雲の作品論としても興味深い。むしろよくある正夢譚に、八雲論をからませることで奥行を持たせた作品と言えるでしょうか。そう言えば平安時代くらいの人は、誰かが夢に出てくると、その人が自分のことを好きなんだと思ったんじゃなかったっけ。すると八雲作品をきっかけに、江戸文芸と平安文芸を現代に融合させた試みとも取れる。
 

「奏でる艀」★★★★★
 ――一丁櫓で漕ぐ伝馬船が、水の上をすべって行く。「そんなにあなた、長い間、お月さまに、見蕩れてちゃだめ」母は、へさきに背をむけて、亭子とむかい合うようにして座っていた。「お月さまを眺めているとね……」「気が狂うって?」

 月の魔力という魅力的な導入から、身体が浮いてふっと沈み込むような無重力感を覚えるラスト。「春喪祭」でも感じたけれど、著者は世界を反転させる勘どころの押さえかたが絶妙にうまい。書く人が違えばただのアイデア・ストーリーになりかねないところを、こうでしか描けなかったという説得力に満ちています。月光の魔力と、いつまでも消えぬ人の強い恨みや念いが重なれば、こういうことも起こり得るのだと思わせる。なんとなく『夢十夜』ぽい印象もありました。
 

「隠れ川」★★★★☆
 ――「残してくれてはるのはねえ……この襖」「あたりまえやおまへんか。センセに描いていただけた、大事な大事な襖どす」上質の鳥の子紙の襖には、畳に近い下縁のあたりにそって、薄墨色の帯が、ただ一本、襖をよぎって描かれている。

 世界がくるりと反転してしまうような短篇がこの本にはいくつか収められているけれど、これも物語レベルではなく小道具がそうなっている作品です。厳密に言うと反転というほどではなく、○○と見えていたものが××だったということなのだけれど、それが明らかになった途端に隠れていたものも一気に目の当たりにに立ち現れてきてはっとなる。
 

「伽羅の燻り」★★★☆☆
 ――「母が亡くなる間際に、申したんです。清常正彦、それが父の名だと。じつは僕、尺八を少し勉強しておりまして……。そんな矢先、母が尺八演奏家の清常さんの名前を口にしたのです」

 こういう狂気とも言うべき執念というのは好きなはずなのだが、ちょっとイマイチだった。二人の芸術家の狂気をメインに据えることもできたはずなのだけれど、それよりも出自の不確かな青年が体験する不思議な因縁の方が印象に残る、静かな作品。描かれているのは凄まじい世界なのに、受ける印象はせいぜい普通のお参り&生前のこの人にそんなことがねぇ、へぇ――というごくごく日常的な世間話の世界。どろどろの題材を描いてジェントルな味わいを与えるというのはこれはこれですごいことだと思うのだが、どろどろするならとことんどろどろ、ジェントルにするならとことんジェントルな作品にしてほしかった。そういう意味では「花曝れ首」がいかに超絶的な傑作かがわかる。どろどろ&ジェントルという点こそ本篇と同じだが、そんな不満を感じさせないもの。
 

『海峡』★★★★☆
 ――なにかの拍子でふと眼をあげると、わたしの傍にゴム長靴に同じゴムの黒い前垂れを腰に巻いた威勢のいい若い衆が立っていた。彼は、底の浅い魚箱から、真黒い魚を両手でつかみ出した。わたしがあっけにとられたのは、その奇妙な魚のすさまじい腐爛ぶりであった。

 エッセイ――とは言っても、「破片B」の魚町のシーンなど、まるで異世界猫町、すぐれた幻想小説である。「破片D」の小野小町の論考、「破片E」の溺死者、「破片F」の血天井、「破片G」の歌舞伎など、ほかにも幻想好きの心をくすぐる箇所が満載だった。
 

赤江瀑インタビュー」

 『幻想文学』で読んだはずなのだが、けっこう忘れてた。冒頭の『天守物語』のト書きのところはよく覚えていたんだけどな。やはりこういう、創作の秘密の一端が垣間見られるようなインタビューはいい。
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