『コレラの時代の愛』ガブリエル・ガルシア=マルケス/木村榮一訳(新潮社ガルシア=マルケス全小説)★★★★☆

 解説を読むと「十九世紀風」のリアリズムとのことだけど、ページを開いてしばらくはとてもそうとは思えません。意識の流れ? 意識ではないか。同じ脱線でも『トリストラム・シャンディ』ではなく『レ・ミゼラブル』かな。

 医師のフベナル・ウルビーノ博士が友人の死に赴く場面から始まるのだけれど、そこからいっこうにストーリーが進みません(^_^)。オウムの話が出たら、そのオウムがいかにして博士宅で飼われるようになったか。奥さんの話が出たら、いかに石鹸のことで夫婦が離婚の危機に直面したか。こういう枝葉がいちいち面白いところがさすがガルシア=マルケスなんですが、実はこれは枝葉の枝葉だったんですね。医者の話も(ある意味)枝葉でした。

 ところどころでホラも交える語り口も、これまたガルシア=マルケスらしくて楽しめます。しゃべるオウムだとか、カパブランカ(という名前の人)にチェスで勝っただとか、オペラが流行って親たちが子どもにジークフリートという名前をつけただとか、オウムをつかまえるために消防隊が行うドタバタだとか。

 ストレートな『わが悲しき娼婦たちの思い出』もよかったけれど、やはりこういうのが『百年の孤独』のガルシア=マルケスの本領だと思う。

 長い前フリの一章が終わると、いよいよ本題。ここからはほぼ時系列に沿って語られてゆきます。ホラっぽさは減りますが、それでも細部の面白さは健在。出さないラブレターを書きためたせいで愛の言葉の辞書みたいになったとか、懸想相手の窓の外でヴァイオリンを弾いていたらスパイと間違われて逮捕されたとか。しかしこのスパイ云々、南米の政治情勢がわからないので、大まじめなのかふざけてるのかわからない。。。

 中盤に入っても、水道を整備しようとしたのに水槽には水の精かなんかが住んでるからとか反対されたり、フェルミーナ・ダーサのもとに呪いの人形が届いたりと、ヘンなエピソードがてんこもり。

 極めつけはナサレット未亡人とフロレンティーノ・アリーサの逢瀬のエピソード。「夫は今三インチの釘を十二本打った棺に納められて、地下二メートルのところに埋葬されている、これでもう本当に自分のものになったのだと思うと救われたような気持ちになると付け加えた。/『わたしは幸せなの』と彼女は言った。『だってそうでしょう、あの人が家にいなくても、今どこにいるか分かるんですものね」だの、「ありきたりの正常位ではなく、海上自転車とか、網焼きチキン、あるいは八つ裂きの天使といった体位に変えてみようと提案した」だの(^ ^)。なんだそりゃ。

 しかしこれって、愛かな。51年のあいだ想い続けたフロレンティーノ・アリーサ――とだけ聞けば、大恋愛じゃないかと思うけど、読めばわかるとおり実際のところは思春期から抜け出せないウジウジ君なんだよなー。船上で女に襲われて童貞を奪われたとかいうエピソードでも、またその見知らぬ相手に対する妄想力がすごい(^_^;。そんなだからフェルミーナにフラれたんだよー、と思ってしまう。開き直ってからもなぁ。情事の相手のことを「暗号を使って、公証人のように遺漏のない記録を残していた」。しかもそれが二十五冊。筋金入りの変態です(^_^;。

 しかしまあフロレンティーノ・アリーサにしてもフェルミーナ・ダーサにしても、模索と倦怠の時期が長い長い。前半三分の一くらいから最後の一章までが、いかに二人が遠回りをしたかに費やされています。なんてったって五十一年分あるわけですからね。で、その間の倦怠。これが実に現実的というか説得力があるというか。現実はそうそうきれいにはいかないということは当然なわけで。どんなに愛していたって冷めるときもあれば嫌いになることもあるし何も感じなくなることもある。それが五十一年分。

 ところがこの二人って、実は実際に会って話したりしたことがほとんどないんですよねえ。だからこそ五十年のあいだ偶像を描き続けていられたというべきでしょうか。

 残念なのは、フロレンティーノ・アリーサの妄念(とういべきだ)に対して、フェルミーナ・ダーサの思いがちと弱い。いますよね、誰かに好きって言われたら、その相手を好きになっちゃうタイプの人。五十一年間というのは、恋愛ではなく片思いの期間。だから最後に二人がまた出会うのを読んでも、五十年に及ぶ別個のエピソードで楽しませてくれたあとで、最後にむりやり一つにまとめました、みたいに感じてしまった。

 “五十年に及ぶ愛”を描いたというよりは、その果てに待ち受ける“老年の愛”を示唆した作品というべきかなあ。最後に示されたこの問題を描きあげたのが、あんなにからっと元気のいい『わが悲しき娼婦たちの思い出』というのは面白いなあ。

 葬儀のあと、フロレンティーノ・アリーサは未亡人のフェルミーナ・ダーサに思いを吐き出した。「フェルミーナ。わたしはこの時が来るのを待っていた。もう一度永遠の貞節と変わることのない愛を誓いたいと思っている」……彼女への思いを胸に、独身を守ってきたという男は76歳。ついにその夜、男は女に愛を告げた。困惑と不安、記憶と期待がさまざまに交錯する二人を乗せた蒸気船が、コロンビアの大河をただよい始めた時……。内戦が疫病のように猖獗した時代を背景に、悠然とくり広げられる、愛の真実の物語。(帯裏あらすじなど)

 『El amor en los tiempos del co'lera』Gabriel Garcia Ma'rquez,1985年。
 ------------------

 『わが悲しき娼婦たちの思い出』
  オンライン書店bk1で詳細を見る。>
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。

 ---------------------
 HOME ロングマール翻訳書房


防犯カメラ