『Marie Antoinette』Stefan Zweig,1932年。
たまたまこの時期のフランスについて調べていたので、基本の資料として買ったのですが、意外なことに読み物としてもたいへん面白く、ちょっと得した気分でした。
宮廷でマリー・アントワネットをとりまく周囲のかけひきなどは、嫁姑ドラマみたいで飽きさせません。実質的な権力者である王の愛人と、身分はあれど権力はない王の娘たちの確執に、無邪気な娘が巻き込まれたり。王位を狙う王子たちからやっかまれたり。ただの小娘の気まぐれが、外交をもおびやかしてしまったり。
歴史ものとしてももちろんすぐれた読み物なのですが、ワイドショー的な下世話な楽しみ方もできました。よくもまあこれだけ、と思うほど、エピソードには事欠きません。
しかし、王と王妃、ともに愚かだったというのは致命的です。
これまでは二人のことを、時代に翻弄された被害者のようなイメージで捉えていたのですが、ここまで無邪気で無能で愚かだと、堕ちるべくして堕ちたのかな、という印象に変わりました。権力さえ持たなければただの愚か者でいられたのに、とは思いましたけれども。
しかし最近の富岡多恵子の大津事件の本もそうだったけれど、実は“ただの人”だった、というのが肯定的とまではいかないまでも、ものすごい新事実のように語られているのはどうかと思う。悪女ではなく、ただの人だった。思想犯ではなく、ただの人だった。……それってようするに困ったちゃんだったってことじゃないですか? どうなんだろ。そりゃ確かに、西太后が実は困ったちゃんだったなんて事実があれば意外だとは思いますが。マリ・アントワネットって昔はそんなに極悪人なイメージだったのかなあ。
事前のイメージとは違い、本書はむしろ、そういう困ったちゃんぶりを遺憾なく紹介してくれる本でした。つまり王妃は愚かだったと書かれている本なのですよ。まあ身近には感じるかもしれませんが、むしろ烙印、ですよね。極悪な悪女ではなく、無邪気な愚女だったなんて。
登場人物表が少ないのが難点でした。わざわざ人物表を見なくてもわかるような主要人物しか掲載されていません。この手の書籍には系図が基本だと思うのですが、それもなし。年表も、できれば下巻だけではなく上下巻ともに載せてほしかったところです。