『文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁』泉鏡花/東雅夫編(ちくま文庫)★★★★☆

「高桟敷」★★★★☆
 ――遥な空に、家の二階があって、欄干もともに目に附いた。けれども二階ではなかった。崖の頂辺から桟橋の如く、宙へ釣った平家なのである。その縁の曲角に、夕視めと云う、つれづれ姿で、絵の抜出したらしい婦がいた。

 たたみかけるような怪異。ぶらり〜妖艶〜不思議〜恐怖。ここらへんの呼吸が現代作家には絶対真似できない。いや真似できたとしてもそれは盛り上げ方が下手とかオチが弱いとか言われてしまうだろうな。現代を舞台に現代作家が書けば、この女に幽霊だなんだという因縁をまとわせずに書くのは苦労すると思うし。高桟敷のビジュアルも絵で見たいよなあ。パロル舎かどっかで金井田英津子氏の装画で出してくれないかな。
 

「浅茅生」★★★★★
 ――その時、唯吉がひやりとしたのは――縁前、竹垣を一ツ隔てたばかりに、窓越しに透かすような姿が見えた事である。「や、」たしかに、その家は空屋の筈。その家は家賃もかっこうだと聞くのに、入るかと思うと出る、塞がったと思えば空く。その中に、今も忘れないのは、この美人であった。

 これはわりとモダンホラーというか現代怪談的な作品。「……可厭な虫が鳴きます事……」という一言にぞくっとした。それまでののんびりした会話から、一気に妖艶な世界に誘《いざな》われる。そこから先は独擅場。嫋やかな妾と虫の音から、鉦たたきの僧侶、実話怪談めいた病院の怪。圧巻。見事。
 

「幻往来」★★★★☆
 ――夏の末方、橘が豊国の前を通って左へ折れると、前途から、一台釣らせて来た駕籠がある。見た中に、凄いほど美しい、年紀は二十余が、静々と舁かれて通る。以来寝覚にもその俤を忘れなかった。医学生のことであるから病院には次手があって、霧島民、というその美人の名と、病は肺結核であることを知った。

 「何故、肖《に》ないのであろう」という表現に一瞬ゾクッとしたが、この「似ない」は「似ていない」という意味であるようだ。これまでの乏しい鏡花体験からしてみると、主人公が怪異に積極的に関わるのは珍しい。「魔法じゃあがらせんから、呪文も何も要りやしません」とはいえ、民間伝承じゃ済まされませんよ、それは魔法です(^^)。不完全な呪術は呪者の身を滅ぼす。思いを断てないのなら、それもまた呪いなのでしょう。
 

「紫障子」★★★☆☆
 ――黒い雨が雨戸に当ると、ばらばらと枕頭の障子を敲き、ぱらぱらと鳴って、目、口、鼻を飛塞ぐ。胸苦しさに堪えないで、京都の宿で目が覚めた。並べた厚衾に、美人が一人、大阪南地の蘆絵と言う芸妓である。見返った時に、入口に装った装塩が、三石、碁石が並んだように見えたんだ。ハタと碁石に折衝り、それが胸へ支えたのである。

 面白い語り。目覚めた男の問わず語り風の回想から始まるのだけれど、もちろんきっかけはマドレーヌなどではなくって、胸の支えは碁石のせいだろうかというすっとぼけた回想なのです。途中からは、こんなんじゃ埒があかないと語り手自身によって普通の三人称に戻る。

 これはコントと言っていいんじゃないでしょうか。木菟なる男が、胸がむかむかする原因を探って、碁石のことにねちねちと思いを馳せます。吐き気をめぐるあれやこれやは、ほとんど脳内ドタバタコメディ。無論(?)最後にいたっては、それが神経衰弱の妄想などではなく、纐纈城の類による邪悪な企ての一端だと知れるわけなのですが……。やれ体調が良くないだのやれ天気が悪いだのとあれこれ理屈をつけては何事も先延ばしにするような、情けないおぼっちゃま文士か何かのパロディでしょうか?
 

「尼ヶ紅」★★☆☆☆
 ――塩梅が悪いもんだで、或人が言うには、蝮の生肝鵜呑みにするだ。心の弱ったには、これくらい効力の可えものはねえ。「首か」と言って大尉は愕然として目を開いた。この(首か)に六兵衛は「う、へい」と言う。「肝ですが旦那。蝮の生肝でがすよ」「ああ、肝か。己は首かと思った。人間の、露西亜兵の、ロスケのよ」

 鏡花の怪談はだいたいパターンが決まっていて、終盤に突然クライマックスが訪れる。それは中篇でも変わらないので、いきおい序盤中盤が長くなる。「紫障子」はそれでもユーモラスだったのだけれど、本篇「尼ヶ紅」には生理的に気持ち悪いグロテスクな部分があるのでややしんどかった。吐き気をめぐる神経症的な語り手の、ねちねちした妄想というのは「紫障子」と共通する。しかしまた怪異が大時代的なところがいい。蛇と懸想といえば『道成寺』だけど、本篇も大尉の話かと思いきや最後の最後に女の物語になるところが強烈。
 

「菊あわせ」★★★★☆
 ――「串戯にも、一振り振ったはずみですわ!……負い紐が弛んだ処へ、飛上ろうとする勢で、どん、とひっくりかえった。あなたが落ちた。雪の上じゃ、些とも怪我はありませんけれども」「人間生涯のうちに、不思議の星に、再び、出逢う事がありそうに思われます。いえ、転んだのではないのです。美しい人を見て、茫然となったのです」

 幼き日の記憶と、成長してから見た幻の記憶を重ね合わせ、それに絡み取られる男の物語。“謎の女”を描いた本書三篇のなかでは、いちばん怪異の度合いが少なくて、たゆたうような淡い記憶のフラッシュバックが繰り返す幻、といった趣。
 

「霰ふる」★★★★☆
 ――若いのと、少し年の上なると……。この二人の婦人は、民也のためには宿世からの縁と見える。ふとした時、思いも懸けない処へ、夢のように姿を露わす――。十歳ばかりの時に、はじめて知って、四度か五度は確に逢った。

 これは子どもの心の機微を描いたストレートな名品。実際に二人の女が見えたかどうかはこの際措いておいて、少年たちの寂しさと怯えが胸を打つ。「雨のびしょびしょ降る時には、油舐坊主だの、とうふ買小僧だのって……あるだろう」「霰だって、半分は、その海坊主が蹴上げて来る、波の[水散]《しぶき》が交ってるんだとさ」。
 

「甲乙」★★★☆☆
 ――場所、時を定めず、帚星のように、スッとこの二人の並んだ姿の、顕れるのを見ます時の、その心持と云ってはありません。はじめて見ましたのは、母親のなくなりました一周忌の頃。可恐くなって遁込んで了いました。二年ばかり経ってからです。父に後妻を勧めるものがありました。行儀よくじっとしてはいられないから、浜へ出ました。霞の中に、女が二人。(やあ父さん――彼処に母さんと、よその姉さんが……)。

 これは前二篇とは趣が異なり、女の方にも因縁をつけましたね。『百鬼夜行抄』みたい。出会うべくして出会ってしまったのでしょうねえ。予知夢のようなものであって、すべてはゴール地点に向かうべく定められた運命だった。だけど、ね。『天守物語』の工人・近江之丞桃六を思い出してしまうのですよ。あれを読んだときは、なんであんな取ってつけたような人物を出すのかなあと思ったものですが、こういうのを読むと、やはり取ってつけでもいいから目を開いてほしい。
 

「黒壁」★★★☆☆
 ――席上の各々方、今や余が物語すべき順番の来りしまでに、諸君が語給いし種々の怪談は、いずれも驚魂奪魄の価値なきにあらず。しかれども敢て、怪物を待たずとも、ここに最も簡単にして、いと凄まじき物躰あり。

 いや……これは違うだろう(^_^;。お化けより何より、夜道で一人歩きしている女にばったり会うのがドキリとする――とか何とか言っておいて、丑の刻参りの女に会った話だなんて……。それじゃあ怖いの意味が違ってくるだろ。。。初期の未定稿とのこと。擬古文で書かれた、百物語スタイルの物語。
 

「遺稿」★★★★☆
 ――「提灯が来ますな――むこうから提灯ですね」見えるその提灯が、むくむくと灯れ据って、いびつに大い。女一人くらいは影法師にして倒に吸込みそうな提灯の大きさだらか、一寸皆声を[口忝]《の》んだ。自動車がその灯影を遮ったと思うと、スッと提灯が縮まって小さくなった。汽車が、その真似をする古狸を、線路で轢殺したという話が僻地にはある。

 「遺稿」というのはタイトルではなくて、文字どおり鏡花の遺稿なのである。作品自体は無題。蛙の鳴き声をめぐる、不思議ではあるけれどのどかな会話から、一気に背筋も凍る怪異へと変じる、鏡花らしい怪談です。ただしそれにしては山が一つではないし、余韻の残る幕切れなので、未完なのかもしれません。
 

「幼い頃の思い出」★★★★☆
 ――人から受けた印象と云うことに就いて先ず思い出すのは、幼い自分の軟かな目に刻み付けられた様々な人々である。私は、その幼い時分から、今でも忘れることの出来ない一人の女のことを話して見よう。

 幼いころ見た女の記憶についてのエッセイ。「菊あわせ」をはじめとした、“記憶の中の女”ものを地で行くようなエッセイです。ああ、そうか、夢とも現ともつかないこういう記憶がもとになっているんですね。
 -------------

  『文豪怪談傑作選 黒壁』
  オンライン書店bk1で詳細を見る。
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。

 ---------------------
 HOME ロングマール翻訳書房



防犯カメラ