「署名人」★★★★★
――讒謗律に触れる新聞雑誌の署名や投獄を、大金で肩代わりする署名人。民権運動の憂国の志士と同房に……。(裏表紙あらすじより)
素晴らしいな。安部公房に絶賛されたというのもむべなるかな。真っ先に連想したのが安部公房の戯曲だった。
明治の代、憂国の志士に代わって記事に署名し身代わりに投獄されることで大金を得ている、署名人という特異な設定に、まずはすぐさま引き込まれます。金のために損得勘定で動く署名人と、信念のためなら殺しも辞さない志士たちですから、当然そりは合いません。やがて自らの信じるものをぶつけ合い、信念が揺らぎ、また振り戻され、の繰り返し。
自分の信じていたもの・常識・尊厳が、くるりとひっくり返るように、あるいはがらがらとくずれてゆくように揺らぐ衝撃というのは、やはり戯曲・小説の醍醐味ですね。
猫のエピソードを用いることで、重くはあるけれど堅苦しくはない読み物としても楽しめます。
たとえばこの作品のテーマの一つを――人殺しなどもってのほかの人間が、人殺しに協力しないとお前を殺すぞ、と脅されたら――と書くとすっげえ陳腐なんだけれど、これを署名人という設定と猫助けのエピソードで描かれると、ははあとうなるしかない。
「ぼくらは生れ変わった木の葉のように」★★★★☆
――車を民家に突っ込んだ男女。住人は驚きもせず、唐突な芝居の真似事やあの手この手で引き止めてくる……。(裏表紙あらすじより)
これは面白い。「ドン・キホーテの作者ピエール・メルナール」とでもいうのかな。作中人物にシェイクスピアのセリフを諳んじさせることで、そのセリフが古典のセリフではなく生身のセリフとしてもろに響いてくる。そういう意味では「楽屋」の方がストレートではある。でも芝居なのかな?本音なのかな?と惑わされる本篇もそれはそれでスリリングで面白い。
笑いのセンスもあるし、オセローの場面は笑った笑った(^_^)。
あらすじだけ読むと安部公房の「友達」なんかを連想したんだけれど――何て言うんだろう――本篇の方はディスコミュニケーションではなくコミュニケーションを描いている。関係性の欠如による不条理ではなく、人種の違う人々による会話。そうやって少しずつ少しずつ、サブリミナルのように影響され合ってゆく……。
「楽屋」★★★★★
――女優二人が出番を待つ楽屋。主演女優や枕を抱えた謎の若い女優が次々出入りし……女優の凄まじい業を描く「楽屋」。(裏表紙あらすじより)
芝居のセリフと作中人物の心理がリンクするという点で、「ぼくらは〜」の趣向を特化させたような作品。わかりやすい趣向なだけにスリルという点では劣るけれど、まさに「業」――突き刺さるインパクトの深さでは勝るとも劣らない。
女優はみんなノーマ・デズモンドなんだなあ。
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