『花夜叉殺し 赤江瀑短編傑作選〈幻想編〉』赤江瀑(光文社文庫)★★★☆☆

「花夜叉殺し」★★★★☆
 ――一花は血刀をさげて歩いていた。郷田邸から庭仕事の注文が入ったのは三年前の春先である。四十年近く昔、庭を任された職人が、屋敷の女主人と関係が出来、突然或る日、無理心中の凶行に及んだのだと言う……。結局、篠治は、芳吉に一花をつけて、郷田邸に出すことにした。一口で言えば、それは乱暴な庭であった。

 赤江瀑アンソロジーを編むとすれば、誰もがこの作品を巻頭に持って来たくなるに違いない。それほどまでにインパクトと吸引力のある冒頭の一文です。

 庭への妄執と女への妄執が入り混じり絡み合う、徹頭徹尾暑苦しい熱気に包まれた傑作。

 描かれるフェティシズムのようなものは、耽美というよりむしろグロテスクで吐き気をもよおすほど。思いの強さを表わしているといえばそれまでだが、読んでいてあまり気持のいいものではない。

 けれど、この作品を抜きんでたものにしているのが、まさにそのひねくれた妄念にほかならない。妖艶では済まされない、暴力的な怪作。
 

「獣林寺妖変」★★★☆☆
 ――京都にはいくつかの血天井がある。東京K大学の教授T博士が研究のため獣林寺の血天井を踏査したところ、四百年近くを経ている斑血から、化学反応が検出された。T博士は詳細なデエタをまとめるため、再度獣林寺をおとずれた。そして衝撃的な検査結果を得た。過去一ヵ月以内の血液反応があったのだ。

 血天井から逆算して書かれた作品なのだけれど、あまり逆算がうまくいっておらず、無理矢理感が漂う。そこは初めから取って付けのようなもので、眼目は女形の妄念にあるともいえるが。時代物だった「花曝れ首」と比べて、現代物の分だけ違和感がある。
 

「罪食い」★★★★★
 ――薬師寺で出会ったその青年は、「ご覧になりますか?」と言って木像を私の前へ差し出した。「似てると思いませんか? あの伐折羅大将に」「ほんとだ……」「裏に何か書いてあるでしょう。《都美波美黒人》。『罪食み黒人』と読めませんか」。……その一年後、「西洋には古い死者儀礼で《罪食い》という習慣があるそうです。日本にも存在していたか探しています。秋村黒人」という広告記事を私は目にした。

 記憶と騙りを自在にあやつる著者得意の一篇。おそらくはこれも、伐折羅大将像をヒントに、逆算するように物語を作っていったのだろう。「罪食い」という風習を絡ませた民俗的な展開は「海贄考」にも似ているが、この類には傑作が多い気がする。人の妄念だけだとあまりにグロテスクになりがちな著者の筆致を、寄り添うように語られる民俗的な挿話が避雷針のように逸らす役割も担っているんじゃないだろうか。
 

「千夜恋草」★★★★☆
 ――修学旅行の自由時間、法靖は〈蓮華寺〉という美しい文字と響きの寺に惹かれた。拝観料を払って書院への畳敷に立ったとき、法靖は再び息をのんだ。どこかこの世の外の境地、まぼろしの小世界を感じた。そのとき、自分のほかに人がいることに気づいた。和服姿の若い男女だった。法靖には、それからの記憶がない。

 子どものころ見た“理想郷”を探してさまようパターンは、たいていめっきの剥がれた現実を目にして、幻滅で終わる。崩壊は一瞬。それは唐突にやってくる。思いは“理想郷”から、“理想郷を作った男”の心の謎へと移り変わる。結局囚われてるんだねえ。理想郷の、匂い立つような庭の美しさが印象に残る。
 

「刀花の鏡」★★★☆☆
 ――「上段の高村。中段の成沢」。二人の登場は学生剣道試合には欠かせない話題ともなっていた。竹刀をつかまぬときに、成沢寧道が入り込んでくることはなかった。すくなくとも、大学卒業の夏までは。あの夏、夏高に縁談が持ち込まれた。剣道の試合を見て、相手の父親が見初めたらしい。

 女への思いというより、女を通した剣のライバルへの思い。こういう屈折した衝動・欲望が赤江瀑はうまい。現代を舞台に剣豪ものを成功させた希有な例。
 

「恋牛賦」★★★☆☆
 ――その絵は、古い色あせた杉戸の上に、描きなぐられている。真っ黒い牡牛が、まさに攻撃に移らんとする一瞬の殺気を、塗り込めた絵だと思われる。絵は牛の頭部だけで中断されている。描かれる途中で画家は絵筆を捨てて横死しているのだ。

 絵師と母への思慕、すなわち才能と妄執。赤江作品で繰り返されるテーマだが、本篇はやや通俗的。セックスのときに牛の角で引っかくとか、母と牛がどうとか。「花夜叉殺し」のように熱すぎるのも気持ち悪くていやだが、本篇みたいにちょっと型どおりなのも拍子抜けしてしまう。
 

「光悦殺し」★★★☆☆
 ――佐和子が強盗に襲われたことは、二つの新聞が取り上げた。記事には「乱暴され」という表現が使われていた。無論、当て身をくらったことを指すのであれば誤りはない。だがその日から友彦とはしっくり行かなくなった。……あなたが殺した。一年半後、佐和子は誰もいない茶室の奥に話しかけていた。

 恋人との誤解とか父のコンプレックスとか、短いなかにつめこみすぎ? そんなんで喧嘩しなくてもいいし死ななくてもいいじゃん、てなことで人はあっけなくそうなっちゃうんだよ、というくらいにあっけない。
 

「八月の蟹」★★★★★
 ――ちょっとしたものどっせ。はじめて聞きやすおかたは、みなさんびっくりしはります。沢全体が、わさわさ揺さぶりたてられて、動いているみたいに鳴んのどすさかい。八月の蟹は、ほんまに沢を揺さぶります。好んで蟹を描く女優、千華子はその夏、蟹沢という旅館を訪れた。

 ↑の「光悦殺し」にしても、「獣林寺妖変」や「正倉院の矢」にしても、たとえば憧れや恨みとは別に、“死んだのは自分のせい”だと思い込む後悔の妄執もある。民話的な蟹のエピソードと紀行文的な旅の情景が味わい深い本篇では、最後の最後にその妄執がちらりと顔を見せるのが余韻に残る。味わいで言えば川端康成『掌の小説』のような、何気ない闇が忘れがたい。
 

「万葉の甕」★★★★☆
 ――千次の出番はたった一役、通行人であるだけだった。楽屋内では千次でいながら「お万さん」で通っていた。「あなた、万葉集ご存じでしょ? わたしの父は、とうとう陽の目を見ずに終わったけれど、れっきとした万葉集の研究者よ。万葉古歌が、わたしの子守歌」

 植物園の甕から首が発見されるというショッキングな出来事から幕を開けるのだが、万年大部屋の歌舞伎役者のキャラクターが面白い。万葉集を女言葉で諳んじる変人の、これだけは守るというプライド。
 

正倉院の矢」★★★★☆
 ――それは、二人の注意をひきたいという願望だった。峻太郎は水に浮いたり沈んだりを続けた。何度目かの浮上の際、舟の上に立ち上がっている征行を見た。『助けに来てくれるかな』。舟が大きく揺れて、征行が飛び込んだ。峻太郎は沈みながら距離をのばした。姉は舟べりに手をさしのべているようにも見えた。それが、姉を見た最後だった。

 横溝正史ばりにこれでもかというくらいサービス満点にどろどろの展開が繰り広げられる。どんでん返しもあるし、赤江による横溝風ミステリといってもいいかもしれない。あらゆる者が誰かを真剣に想っているという作品世界が、随所に緊張感をもたらしている。考えてみると、赤江作品ほどに人を思ったことってないな。いやでも現実にあったら気持ち悪いし。
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