『世界の終わり、あるいは始まり』歌野晶午(角川文庫)★★★★☆

 これはまた問題作だなあ。しかしよくもまあこれだけ悲劇的な結末をいくつもと。さすが『正月十一日、鏡殺し』の作者です(^_^;

 ネタバレにならずにあらすじを書くのが難しい。「私の子供が誘拐犯なのか?」という疑惑を、疑惑のまま持ち続けて苦悩しなくてはならないところに、家族の崩壊があるというような話。目の前に本人がいるのに問いただすこともできない。ただただ想像の繰り返し。

 「パンドラの箱」の中身がというよりも、我が子とキャッチボールを再開したことの方が象徴的。パンドラの箱という大げさな比喩はともかく、要はようやくキャッチボールを始めたんですよね。(たぶん)遅すぎるんだけどね。まあとにかく、向き合うにしてもいろいろな向き合い方があるということです。

 ただ、『ダ・ヴィンチ』第94号の著者インタビューなんかを読むと、著者自身はどうやら後半部分をトリッキーなミステリ的仕掛けだと考えているみたいで、そうだとすると失敗作だよなあ。一度だけならともかく、二度、三度はあれでしょ。確かに、今度こそはもしかして……と思いながら読んじゃうけどさ。

 東京近郊で連続する誘拐殺人事件。誘拐された子供はみな、身代金の受け渡しの前に銃で殺害されており、その残虐な手口で世間を騒がせていた。そんな中、富樫修は小学六年生の息子・雄介の部屋から被害者の父親の名刺を発見してしまう。息子が誘拐事件に関わりを持っているのではないか? 恐るべき疑惑はやがて確信へと変わり……。既存のミステリの枠を超越した、崩壊と再生を描く衝撃の問題作。(裏表紙あらすじより)
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