『The Long Goodbye』Raymond Chandler,1953年。
読む前からいろいろ期待したり不安視したり。
その1.春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』はトンデモ訳に近かったから。春樹訳だとねえ、ホールデンくんがスノッブなものを憎むスノッブみたいでなにやら不思議だったよ。
その2.なぜか飛び抜けて『長いお別れ』の人気(評価ではない)が高いので、男のクソ美学ハードボイルドとして認知されているんじゃないかと不満だった。春樹訳のおかげでまた本作品だけ人気が上がっちゃうぞ、と八つ当たりですな。
結果。ぜんぜん杞憂だった。
まずは春樹訳。びっくりするほどぴったり。気のない振りしてけっこう熱いインテリ不良=フィリップ・マーロウ。このクール加減は春樹'sキャラクターたちに通ずるような。春樹の場合はもっと気取り(とやる気のなさ?)が強いが。どうでもよさそうな雰囲気をまといながらも決まって余計な一言が多いのがいちいち笑える。
男の友情!みたいなのばっかが喧伝されててそれがいやだったんだけど、『ミステリマガジン』に月々掲載されてる新訳短篇を読み返してみてから本書を読んでみると、なんてーか、マーロウにとってはこれって当たり前のことなんですよね。ことあるごとに余計なことに首を突っ込むというか、ほっとけばいいのに気になってほっとけずにトラブルに巻き込まれるというか。いつもの通り。それが今回は長〜いだけ。
長くこだわるだけの魅力を(かつては)持っていた人物だったということなのだろうが、あいだに挟まれたもう一つの本筋の方も魅力的。というか、初読のときはラストのミステリ的な仕掛けばかりが記憶に残っていたのだが、読み返してみれば真ん中部分の方が魅力的な人物が多い。メンツにこだわるギャングのボス(のくせして妙にチンピラ的なところもある)メネンデス。マーロウと友情をはぐくむ警官のバーニー。心の弱い酔いどれ作家のロジャー。チャンドラー作品には欠かせない悪女アイリーン。なぜかロジャーに義理堅い使用人のキャンディー。面白味皆無なコチコチ人間ドクター・ローリング。読み返してみると意外と印象が薄かったリンダ・ローリング。こいつらの生きっぷりを読んでるだけで面白い。
しかしすっかり忘れていたが、驚くほどミステリ度が高くて驚いた。
清水俊二訳マーロウはかっこよすぎるくらいかっこよくて完璧すぎるんだけど、ちょっと不器用でお茶目なところも感じられる春樹訳もいい。マーロウの口の悪さとか、チャンドラーの比喩とかは、直訳調に律儀に訳している春樹訳の方がおかしみが出ていると思う。清水訳=簡潔すぎる→クールすぎる→かっこよすぎるという感じ。男酔いしたい読者なら清水訳だろう。(※ただ、清水訳は文脈を重視せずに訳してたりするから、ときどき会話がトンチンカンだ)。
村上春樹が『グレート・ギャツビー』との関係について云々言っているけど、確かに例えば上流階級のしょーもないパーティの様子なんかはそんな感じ。
装幀がひどいなぁ……。カバー袖の解説文によれば、往年のペーパーバックを意識したそうだが、それならそれで単行本もペーパーバックで出してくれればよかったのに。ジャケット付きハードカバーにしてしまうと、狙ったチープではなくただのチープになってしまう。
私立探偵フィリップ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には哀しくも奥深い真相が隠されていた……大都会の孤独と死、愛と友情を謳いあげた永遠の名作が、村上春樹の翻訳により鮮やかに甦る。(カバー袖あらすじより)
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